Living in the Flat World

「世界はフラットになっている」と考えれば、世の中の変化も少し違った見方ができるはず!その考え方のもと、ITを中心に日常生活から世界のニュースまで幅広い題材を取り上げるブログ。

日常

マーガレット・サッチャーの決断と責任

約1週間滞在したSan Franciscoから、昨日(5月12日土曜日)日本に戻ってきた。実は、1週間前のSan Franciscoに到着した翌日から酷い風邪にやられていて、ほぼ寝込むためにSan Franciscoに行ってきたようなものになってしまっていた。皮肉なことに、到着直後に書いたエントリで、「風邪をひかないように気をつけなければ。」と書いた直後に風邪をひいてしまったわけだ。

海外滞在中に何らかの病気にやられたのは初めての経験で、日本から薬の用意はしておらず、下の写真の薬を現地調達した。
アメリカで買った風邪薬
この薬、「NIGHTTIME」用と書かれているだけあって、とにかく良く眠れる。飲んで10分もすれば、まぶたが鉛のように重くなって、とても目を開けていられない。ただし、「とことん熟睡できるか?」と言うと、そうでもなく、おそらく薬の副作用からか3,4時間後に猛烈に喉が渇いて、それで目覚めてしまうのが悩みどころ。この薬で「完治する」ことは結局出来なかったが、一番辛かった喉の痛み(最初は唾を飲み込むのも辛かった)が緩和されたのは確かなので、まあそこそこにはお勧めできる。

「Walgreens」と言う、全米に展開している薬屋(兼スーパーマーケット)のチェーンに行けば、処方箋無しで簡単に購入できる。またWalgreensは、San Franciscoのような大都市であれば、簡単に見つけられるので、米国滞在中での風邪などの軽い病気には、大いに利用できるだろう。ご参考になれば幸いだ。




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さて、ここからが今日のエントリの主題。

帰りの飛行機の中で、この映画を見た。

「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」(原題:The Iron Lady)

泣けた。涙が止まらなかった。
風邪も完治しておらず、気圧も低かったので通常より涙腺もゆるかったかも知れないが、流した涙の量だけから言ったら、これまで見た映画でNo.1と言えるくらい。

なぜ泣けたのか?
日本公開用の宣伝キャッチコピーでは、「国への想い」だとか「家族への愛」と言ったものが強調されているが、そのようなものに共感して泣いたわけではない。

サッチャーの下した「決断」と、それによって背負うことになった「責任」。この2つは、あまりにも重過ぎて、まず「見ているのが辛かった」と言うのが正直なところ(それが涙の一因であったことも否定しない)。そしてこの傍で見ていても辛くなるような決断と責任に対して、サッチャーは最後まで逃げずに常に正面から向き合っていた。これが涙の最大の理由だ。

映画の中でも取り上げられていたサッチャーの下した決断の代表例は、「新自由主義的な経済政策」と「フォークランド紛争」だろう。完全な弱肉強食(弱者切り捨て)と言える前者の経済政策や、時代錯誤な帝国主義とも言える後者の参戦など、サッチャーの決断を非難するだけなら、もっともらしい理屈をいくらでもひねり出せるだろう。いや、ひょっとしたらそれら非難意見のほうが正しかったかもしれない。だが、それでも彼女は決断した。決断して物事を前に進めた。前に進めれば、それは良くない結果も出てくる(フォークランド紛争では、英軍にも少なからぬ死者が出た)。そして、それらも良くない結果も、全て彼女は自らの責任として受け止めた。

現代のように高度にグローバリズムが進み、政治も経済も複雑化したよの中で、「正しい判断」をすることは、益々難しくなっている。何が「正解」かは、後だしジャンケンでも無い限り分からないし、ある時は「正解」と呼ばれたことが、時代が少し変わっただけで「不正解」になってしまうことも往々にしてある。
だが、結局のところ最後に求められるのは、マーガレット・サッチャーが見せたような決断力と責任の取り方ではないだろうか。それは政治だけでなく、企業経営や、個人の人生の判断においても。



カップヌードルミュージアムで安藤百福の偉大さを知る

1週間前の4月14日に、横浜みなとみらいにある「カップヌードルミュージアム」に行ってきた。
cupnoodles

行く前は大して期待はしていなかったと言うのが正直なところ。アトラクションひとつ「チキンラーメンファクトリー(チキンラーメンを実際に手作りできる!)」の事前予約が出来ていて(土日祝の予約は極めて困難)、単純に家族サービスの一環としてのみ行ったつもりだった。だが、そんな事前の予想は、見事に良い方向に裏切られた。

このミュージアムは素晴らしい!!

子供はもちろん、大人でも十二分に楽しめる。私個人ほぼ一日楽しめたし、何よりも安藤百福の業績やビジネス哲学を知って、大いに感銘を受けた。今日のエントリでは、安藤百福について私が受けた感銘を、皆さんに紹介したいと思う。

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「カップヌードルミュージアム」と言う名前は実は「通称名」で、その正式名称は「安藤百福発明記念館」と言う。安藤百福とは、即席麺(『チキンラーメン』と『カップヌードル』)の発明者にして日清食品の創業者のことだ。

安藤百福は、知る人ぞ知る偉大な発明家で、子供向けの伝記漫画にもなっている。
安藤百福
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もっとも、「知る人ぞ知る」とは言っても、日本にはさらに有名な起業家がいて、例えば本田宗一郎(ホンダ)や松下幸之助(パナソニック)や盛田昭夫(ソニー)に比べると、安藤百福の知名度はイマイチかもしれない。実は私自身も、かろうじて「チキンラーメンの発明者であることを知っていた」程度の知識しかなく、安藤百福の本当の偉大さを知ったのは、ミュージアムに行って展示を見てからだった。

以前の私と同様に、安藤百福に関しておぼろげな知識しかない人は、こちらのウィキペディアの記事を読むのが良いだろう。その業績が簡潔にまとめてある。

でも今なら、断言できる。
安藤百福の偉大さは、本田宗一郎や松下幸之助や盛田昭夫をも凌駕する!

その理由は下記の3つ。
1. 安藤百福は、即席麺とその製法を、誰の力も借りずに全く一人だけで発明した。
  (本田宗一郎も松下幸之助も盛田昭夫も、「独力」での画期的な発明は知られていない)

2. 発明した即席麺も、その製法(瞬間油熱乾燥法)も、今でも形を変えずに残っている。
  (ホンダのCVCCエンジンは今は無く、ソニーのウォークマンも仕組みを大きく変えてしまった)

3. 自らが苦労して発明した即席麺の製法特許を、競合他社に惜しげもなく公開・譲渡した。


私が特に感銘を受けたのは、3. の製法特許の公開・譲渡についてだ。これがなぜそれほどまでに素晴らしいかと言う理由については、追加説明が要るかもしれない。

安藤百福が発明し、1958年に発売されたチキンラーメンは、すぐに人気商品となった。だが、それを模倣した粗悪な製品が他社から売られることを誘発してしまうことにもなった。日清食品は、当初それら粗悪な模倣品に対して裁判などで争っていたが、いくら裁判で勝てても、結局は「もぐら叩き」にしかならなくなってしまった。粗悪品は、後から後から出てくるのだ。

この状況に対する「抜本的な解決」が、製法特許の公開・譲渡だったのだ。つまり、それまで粗悪な製品しか作れなかった競合他社でも、日清食品と同レベルの品質のインスタントラーメンを作れるようにすることで、粗悪品が作られることを根本から防止したわけだ。チキンラーメン発売から僅か6年後の1964年のことだ。確かに「お客様第一」の観点からすると、素晴らしい判断だと言える。

だがいくら「お客様第一」と言っても、これは自社の利益を著しく損なうことにならないだろうか? せっかくの自社の強みを、みすみす競合他社に与えてしまったのだ。それがきっかけでシェアを大きく奪われれば、自社に対する「背任」とも言えるのではないだろうか?

いや、そんなことはない!
この製法特許の公開・譲渡は、日清食品自身が事業拡大にも結びついた英断だったのだ。

安藤百福自身の有名な言葉を引用しよう。

「日清食品が特許を独占して野中の一本杉として発展することはできるが、それでは森として大きな産業には育たない」

全くその通りだと思う。類似した競合製品の無い1社独占の状態(野中の一本杉)では、その製品カテゴリ自体(森)が市場に受け入れられないのだ。これは、インスタントラーメンのような(当事としては)新しい技術を使った目新しい製品カテゴリの場合に、特に良く当てはまる。

私は、下記2つのエントリにも記したとおり、以前からこの「競合必要説」を唱えている。

(AppleのiPhoneは、Androidの登場によって売上げを拡大した)

(Citrixのデスクトップ仮想化製品は、VMwareによる市場参入で売上げを伸ばしたし、今後も伸ばせる)


もちろんこの説を唱えているのは私だけではなく、上記エントリでも紹介したとおり、「キャズム」と言う超有名なビジネス書にも書かれている。しかし、「競合必要説」が最も当てはまるはずのハイテク業界において、それを信じて競合の存在をうまく活用していることは意外に少ない。

現在ほどビジネス理論の確立していなかった1960年代に、まさに自らの身を削るような大英断を下した安藤百福の洞察力は、いくら尊敬してもし過ぎるものではないだろう。



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【閑話休題】
カップヌードルミュージアムを訪れるきっかけとなった「チキンラーメンファクトリー」では、まさに安藤百福が独力で発明した際と全く同じ作り方で、チキンラーメン造りを体験できる。それはまさに、小麦などの材料を「混ぜて練る」ことから始まって、麺の形に生成して最後は油で揚げるまでの製造工程だ。

<この写真は、製造工程最後の「瞬間油熱乾燥」をしているところ> 
油


その1週間前に家族で作ったチキンラーメンだが、まさに今日4月21日の昼ご飯で、やはり家族そろって食べてみた。

日清チキンラーメンは、もう何十年も食べてなかったが、
「こんなに美味しかったんだ・・・」
と言うのが、食べてみての感想。

<自ら作って、自ら食べたチキンラーメンパッケージの「抜け殻」>
チキンラーメン



最も偉大な日本人発明家にして起業家、安藤百福に乾杯!
MomofukuAndo




震災から1年

あの震災から、ちょうど一年が過ぎた。
震災で被災された方々には、あらためて心よりのお見舞い・ご冥福をお祈りいたします。

今日はテレビ各局とも震災関連の特番が放送され、私も家族と一緒にそれら番組を見ていたた。それにしても、改めてテレビで振り返ると、その被害の大きさに言葉を失う。いくつか思ったこと、考えたことはあるが、震災「全般」に関して今すぐこのBlogで語ることは、私には少々荷が重過ぎる。

今ここで何か言えることがあるとしたら、「目をそむけない」「忘れない」の2つだろうか。自分としてどのように行動を起こすかは、少しずつ少しずつ、このBlogに記していきたい。


過去のエントリの紹介になってしまうが、震災での個人的な体験とそこから得られた少しばかりの教訓は、下記の一連のエントリにまとめてある。

あの震災の被害と、そこからの復興に対しては、あまりにも無力すぎる私の文章ではあるが、今後の防災面で少しでも読者の皆様の役に立てば、こんな嬉しいことはない。

「”新しい” iPad 」 買ってみた

「iPhone 5」が登場しなかったのと同様に、「iPad 3」も出てこなかった。今回のエントリは、それにまつわる”ゆるい”話を。

■まずはとにかく注文してみた
「iPad 3」が出てこようが出てこなかろうが、スゴい機能があろうが無かろうが、とにかく「新機種が出たらすぐに買う」と事前に決めていたので、昨日(3月8日)の時点で注文してしまった。3月16日には発送されてくるとのこと。
新iPad注文画面
上の図で分かるとおり、今回は店頭には一切出向かず、iPhoneアプリの「Apple Store」を使って、オンラインで注文した。

私のように、事前に「これを買う」と決めておければ、iPhoneアプリを使ってのオンライン購入は非常に便利。クレジットカードの情報などは、「App Store (Apple Storeと間違えないでネ)」用に既に登録されているので、改めて入力の必要無し。少々面倒だったのは、配送先の住所を入力することだけか。

実は私も実際に注文するまで知らなかったのだが、Apple Store での購入の場合は、無償で刻印が入れられれるとのこと。これについても何を入れるのか若干悩んだが、上記図にあるような刻印にした。「愛社精神の発露」も少しあるのだが、「自分の名前を入れると、再販がしにくい」「妻の名前や子供の名前を入れるガラでもない」と言うことで、消去法で残ったと言うのが事実。


■なぜこうも慌てて注文したのか?
私のことをよく知る人なら、まるで衝動買いのような今回の私の行動に、きっと驚いていると思う。私は(少なくともCitrix社員の中では)「新しいもの嫌い」で有名で、新しいモノに飛びついて買うことなど「絶対に」と言えるほどしない。

そんな私が、なぜ今回ばかりは新製品に飛びついたのか?

「新製品が欲しいから」が直接の理由ではない。現在私はiPad 2 を所有しているが、現在の機能・性能に十分に満足しており、しばらくこれを使い続けても良いと思っていた。ちなみに、過去のエントリで紹介した、こちらこちらの動画デモは、その個人所有の iPad 2 を使って撮影している。

実は「妻の両親に iPad をプレゼントしたいから」と言うのが一番の理由。

私自身の父親は、何年も前からそれなりにパソコンを使いこなして楽しんでいる。ところが残念ながら義理の両親は、数年前にパソコンを購入はしたものの使いこなすには至らず、パソコンは実質「置き物」になってしまっている。そんな義理の両親にも、iPad であればそれなりに楽しめるのだろうと言うのが今回の狙い。iPad なら本当に誰でもできるゲームが充実しているし、何よりも遠くにいる孫たちとのFaceTimeでのテレビ電話は、これぞ「キラーアプリ」と言えるものだ。

当初は、義理の両親のために新しいものを購入することを考えていたのだが、それはそれで問題もあることに気がついた。先方がかえって恐縮してしまい、高価な「お返し」買われてしまうことはほぼ間違いないのだ。もちろん、そんな「お返し」に負担をかけることは本位ではない。そこで思いついたのが、「新しいのを買って古いものがいらなくなった。捨てるわけにもいかないので、どうぞ使ってください」と渡す方法だ。これなら、先方を過度に恐縮させることはないだろう。

あとは時期の問題。小学校の春休みを利用して、妻と子供たちは名古屋の実家に帰るので、そのタイミングで持ち帰ってもらう為には、早く注文しないといけないのだ。

おかげさまで、3月16日には「新しいiPad」が届く。春休みまでに、「古いiPad (?)」を綺麗な状態に戻すには、十分な時間があるだろう。

妻に iPod Touch をプレゼント

スマートフォンの購入を検討したが、「月々5千円以上のパケット定額は、いくらなんでも高すぎる!」と思って、購入を躊躇している人や、既に諦めた人は多いと思う。そんな人たちに、声を大にして言いたい。

「まずは、iPod Touch を買いなさい!」と。

一番安いモデルであれば、パケット定額3か月分でおつりがくる。無線LANのある家の中でなら、ほぼスマートフォンと同様に使えるので、まずこれで3ヶ月は様子を見るべきだ。

外出の少ない人で、「家の中で使えれば十分!」と思った人は、引き続きガラケーとiPod Touchを使えばよい。

「これは素晴らしい!これなら月々5千円以上払っても、屋外で使いたい!」と思った人は、パケット定額を払って、スマートフォンに乗り換えれば良い。iPod Touchの購入費用約1万5千円も、あながち無駄にはなっていない。

実は私もそのように考えて、妻にiPod Touch をプレゼントした。
iPod Touch

話は数ヶ月前に遡るのだが、それまで使っていた妻の携帯電話(au)が購入後2年経過しようとしていて、他キャリアへの乗換えか機種変更かを検討し始めたのがこの話の発端。

妻の周りでも、スマートフォンを使い始めた友達が増え始めたらしく、彼女もかなりスマートフォンに興味がある模様。しばらく携帯電話ショップを巡って、iPhone だの Android だのを見て回ったが、月々5千円以上も必要な「パケット定額」が、スマートフォン購入の最大のネックだと気がついた。

これまで使っていたガラケーでは、妻は典型的なライトユーザーで、自分から通話することもWebを閲覧らすることも滅多になく、もっぱら実質無料の携帯メールを中心に使っているのみだった。月々の使用料は、基本料金など全て合わせても3千円もかかっていなかったはず。

それがスマートフォンでは、一気に倍以上になってしまうのだ!!
これはいくらなんでももったいない。


そこで考えたのが、携帯電話は引き続きガラケーを使ってもらい、(機種は変更して新しいものにした)  それとは別に iPod Touch をプレゼントして、せめて家の中ではスマートフォン気分を味わってもらおうと言うもの。

結果は大成功!
専業主婦で外出の少ない妻は、十分にこれで満足している。

既に無線LAN環境の整っている家の中であれば、ほぼiPhone と同じように使える。使えないのは「電話番号を使った電話」だけだ。「電話番号を使った電話」などとわざわざ書いたのは、Apple純正のFaceTime や、Skypeであれば使えるからだ。

<FaceTime利用時のイメージ>
FaceTime

繰り返しになるが、「スマートフォンに必須なパケット定額は高すぎる!」と思う人は、是非iPod Touch を。

マカオ雑感

1月8日から12日の5日間、会社の研修でマカオに滞在していた。

私が勤めるCitrixでは、1月の年度スタート時に社員を集めた研修イベントを行うのが慣例になっている。数年前までは、本社のあるフロリダに世界中の社員が集まっていたのだが、昨今では社員の数が増えすぎて一箇所に集めるのは難しくなったらしく、全世界を2つに分割して開催されるようになった。「アジア太平洋地区」の研修イベントとしてマカオで開催されるのは、去年に引き続き今年が2回目。実はこちらのエントリで紹介した「Start with Why」は、1年前のマカオでの研修で教材として使われたものだ。

研修の内容自体は、残念ながら現時点ではBlogで公開することは出来ないので、それ以外の面でのマカオ滞在に関する雑感をまとめておきたい。

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真っ先に印象に残ったのが、諸外国から来た同僚達から、真っ先に震災のことを聞かれたこと。かなり心配してくれていたらしい。多額の寄付をしてくれた者もいて、そのお礼を言うとともに、今の日本の現状を「大丈夫」と言うべきか「大丈夫じゃない」と言うべきか自分でも分からなくなってしまい、ましてやそれを英語で説明しなければいけないものだから、相当に苦労したことを覚えている。

研修は、「City Of Dreams」と呼ばれる、カジノを中心に複数のホテルが集まる施設内のイベント会場を借り切って行われた。
City Of Dreams Macau
ここは豪華そうな施設の割にはレンタル料金が安く、円高もあって日本で同程度の設備を借りるよりも相当に安価にすむらしい。にわかに信じ難いが、参加した社員の飛行機による移動費を加えても、マカオ開催のほうが安く済むとのこと。

ホテルの室内は、ちょっとした大名気分だが、これでも一泊二万円以下。
Room of Grand Hyatt Macau



研修施設のある一角は、「コタイ地区」と呼ばれ、かつては海だったが比較的最近(2000年頃)に埋め立てられた地区らしい。マカオの観光資源である豪華なカジノが立ち並び、建物だけを見るとLas Vegasと勘違いしそう。

<こちらは研修会場すぐ隣の、マカオのVenetian Resort>
Venetian Macu

<こちらは本家Las VegasのThe Venetian>
Las Vegas The Venetian


Venetianホテルは、Las Vegasが「本家」かもしれないが、「Venetian」のコンセプトは、実はイタリアの都市ベネチアのいわばパロディー。それだけでなく、Las Vegasと言う町自体が、Venetianやエジプトのルクソールなど、世界中の都市文化のパロディーなわけで、さらにそのLas Vegasを真似たマカオは、「パロディーのそのまたパロディー」と言う、何とも微妙な位置づけになっている。

とは言っても、マカオのカジノの売上げ規模は、本家Las Vegasを上回っているらしいので、パロディーだからと笑ってばかりもいられない。
そのマカオのカジノに大金を貢いでいるのは誰かと言うと、かの製紙会社の御曹司のような日本人も一部いるかもしれないが、大半はお隣中国の富裕層なわけで、超大国中国の底力を身をもって実感したような気がした。


ご多分にもれず、研修に参加した同僚のCitrix社員たちも、そこそこの金額をカジノに貢いでいたようす。私はと言えば、賭け事には全く関心がないので、研修以外はもっぱら食事を楽しんでいた。

全般に美味しい中華料理が食べられるが、なかでも絶対にお勧めなのが「六棉酒家」

最初はホテルのコンシェルジュに薦められて行った店なのだが、本格中華料理が実に美味しいうえに、信じられないほど安い!!(一人3千円程度で、相当豪華なものが食べられる) 
この店は「地球の歩き方」にも載っていないし、Webで調べても日本語での紹介記事は非常に少ないので、観光客よりも地元の人々をターゲットにした店なのだろう。穴場と言ってよい。
そのためか、この店の唯一の難点は、店員に英語がなかなか通じないこと。

以下、六棉酒家で食べた料理の写真いくつか。
六棉酒家

六棉酒家

六棉酒家

六棉酒家

六棉酒家

六棉酒家

六棉酒家

六棉酒家

六棉酒家

こんなのばかりを、たらふく食べていたので、帰国後は恐ろしくて体重計に乗ることが出来ない。

(Las Vegasの写真以外は、全てiPhone 4Sのカメラで撮影)

YouTubeと著作権

以前からずっとやりたかったのだが時間が無くて実行できなかったことがあった。大昔のバンド活動時のアナログビデオで録画した動画をYouTubeにアップすることなのだが、年末に家族が帰省したタイミングでようやく実施することが出来た。

いくつか投稿したうちの、もっとも出来が良い演奏がこの下の動画

(画面右の白服が2002年時点の私) 

投稿したその他の動画はこちら 

投稿した動画は、2002年頃まで私が参加していたアマチュアバンドの活動の様子。ほとんどの曲が、カシオペアと言う、プロのバンドのカバー曲で、YouTubeへの投稿に関しては、著作権に関するひっかりがあったことも事実だ。「まあYouTubeではおおっぴらに皆やっているけれど、厳密には著作権を侵害しているのだろうな。」との考えもあり、これまで実際の投稿を躊躇していた。

恥ずかしながらごく最近になって知ったことなのだが、著作権で保護されている楽曲でも、自ら演奏したものであれば、YouTubeへの投稿は問題ないらしいのだ。こちらこちらの記事にもあるように、日本国内の音楽著作権を管理する団体「日本音楽著作権協会(JASRAC)」が、YouTubeと包括的な契約を結んでおり、YouTubeの利益から一定額が、JASRACを通して楽曲の著作権者に払われているとのこと。 

JASRACとYouTube包括契約の締結が2008年10月で、私がそれを知ったのが2011年末。随分と遅れたコメントで恐縮なのだが、それにしてもこの契約はJASRACの素晴らしい判断だと思う。 

カセットテープやビデオテープに始まって、CD-RによるCDのコピー、携帯音楽プレーヤーによる音楽の「データ化」など、著作権は常にテクノロジーの進歩と言う難題に立ち向かってきた。このような対立構造が生まれた場合、往々にして古い者(例えばJASRAC)は、新しいもの(新しいテクノロジー)を全面否定する方向に行きがちだ。JASRACも、当初はYouTubeに投稿された「著作権侵害動画」を都度削除依頼で対応していたらしい。

このような新旧の対立構造の場合、古い者の指摘は的を得ていることが多い。新しいものには必ず「問題」が付きまとうのだ。しかし、物凄い勢いで普及しようとする新しいテクノロジーを止めることは不可能と言える。それは歴史を見れば明らかだ。であれば古い者は、新参者をうまく利用する方向に発想を切り替えたほうが良い。JASRACの判断は、まさにそれを狙ったものだ。

現代では、「あの曲が聴きたいな」と思えば、CDを買わずともYouTubeで探せば、大抵の曲を聴くことが出来る。これはある意味恐ろしいことで、本来最も保護されるべきミュージシャンの利益を損なうかもしれないし、仲介業者であるところのレコード会社やCDショップのビジネスは本当に苦しくなるだろう。

ただし考え方を変えれば、新しいビジネス創出のチャンスでもある。音楽的な観点で見ても、無名ミュージシャンが、純粋に実力主義で評価されて世の中に認められる可能性が高まったことは確かだ。例えば、こちらのエピソードは、YouTubeが無ければ絶対にありえなかった、シンデレラストーリである。 

2011年を振り返って<その4> 震災を振り返って(下)

注:このエントリを実際に執筆しているのは、2012年が明けてからのこと。ただし文章の構想を練っていたのは2011年末であり、時系列をすっきりさせるために、エントリの日付を2011年末とさせていただいた。 

震災当日の出来事と、そこから得られた教訓については、一昨日昨日のエントリにまとめた。今日のエントリでは、震災後数日間の少々特殊な生活について記録しておく。


■震災後一週間の「在宅勤務」
私が勤務するシトリックス・システムズ・ジャパン(株)は、震災後数日間の社員へのケアに関しては、かなり胸を張って自慢できるような素晴らしいことが出来ていたと思う。これはおそらく、他の企業のモデルケースにもなりえると考えるので、ここに詳しく説明しておく。

震災が発生したのは金曜日。その後の土曜日と日曜日は当然会社を休むとして、「震災3日後の月曜日の勤務をどうしたか?」については、企業によって対応がまちまちだったのではないかと思う。シトリックスでは、震災翌々日の日曜日に全社員に次のような内容の通達がまわってきた。「月曜日は会社には来るな。基本は在宅勤務しろ。もちろん休暇でもOK。」

この通達には重要なポイントが2つある。

ポイント1つ目は、「出社しなくて良い」ではなくて、「出社するな」だったこと。この2つは似ているようで似ていない。3月11日の震災後しばらくは、実際に余震も度々起きていて、遠方に通勤することと、それによって家族と離れることに関しての安全性の懸念は、拭い去ることは出来なかった。家族の安全を思えば家を離れたくないが、まだまだ多くの日本人のマインドには、家族と言う「私」よりも企業人としての「公」を優先することを美徳とする文化は残っている。「出社しなくてよい」と言う通達では、使命感の強い一部の人々は仕事を優先して会社に来るだろうし、必要以上に悩んでしまう人も多いだろう。その点、「出社するな」と言う通達は、安心して家族と一緒にいられる実にありがたい通達だった。

2つ目のポイントは、「休暇を取れ」ではなくて「休暇を取っても良いけど、基本は在宅勤務しろ。」だったこと。この通達も、社員には実にありがたかった。震災後しばらくは、家族と離れたくない気持ちが強い一方で、仕事が完全に無くなるわけでも忘れられるものでもない。また、強制的に有給休暇を消化させられることに不満を持つ人もいるだろう。多くの日本企業が、少なくとも日常では「会社に行って仕事をする」か、「休暇をとって家に居る」かの2つの選択肢しか用意していないため、今回のような非常時には、その狭間で悩むことになってしまう。
幸いなことにシトリックスでは、「在宅勤務」は制度的にもITインフラ的にも普段から認められていたことなので、震災後に在宅勤務を標準にすることに迷いは無かったようだ。家族と一緒に過ごしながら、お客様などへの迷惑を最小限にできるよう必要な仕事を進めることが出来たことは、公私両面で安心できる材料となった。

冒頭にも申し上げたとおり、これらシトリックスの対応は、十分にモデルとして他の企業の参考にしてもらえるものと自負している。会社としても、下記のような広報記事を作っているので、是非参照していただきたい。

「震災後、シトリックスの在宅勤務を支えた2つの制度」


■計画停電
震災後しばらくの間、我が家がもっとも悩まされたのは、余震でも物資不足でもなく、この「計画停電」だった。停電中の不便や不安もさることながら、大きな不満を感じたのはその「不平等さ」だろう。首都圏の家庭や企業が、均一に停電にあうなら「仕方がない」と言う気も起きるが、しばらく後に同僚に聞いたところによると、大多数が「一度も停電などしていない。」と言っていた。いったいどのような基準で、「停電してはいけないところ」と「停電してもよいところ」が区分けされたのだろう?一般家庭である我が家はまだ「不安」「不便」「不満」で済んだが、計画停電によって経済的・経営的な打撃を受けた企業の怒りはどれくらいだったのだろうか。

今更怒ってみても生産的ではないので、計画停電によって「貴重な学習が出来た」と割り切っている。せっかくなので、今後同じような「計画停電」が行われる場合の教訓を、広く共有しておきたい。ただし、これはあくまでも「一般家庭」としての対策である。残念ながら企業様には役に立たない。

・一番良いのは外出すること
計画停電は、ある程度の地理的な範囲に限定して行われるので、その範囲から抜け出れば全く別世界となる。車などが使えて簡単に抜け出せるものなら、停電エリアを脱出してしまうのが、一番有効な対策となる。ただし「脱出」は停電実施前がのタイミングで行うのが望ましい。なぜなら信号機も止まってしまうので、クルマでの走行も危険を伴うからだ。

・二番目は「寝る」こと
停電がある程度遅い時間なら、布団に入って寝てしまおう。これも停電自体が基本的に気にならなくなる。ただし、停電解除時の電気周りのチェックはすべきなので、例えばお父さん一人くらいは、停電解除後に起きたほうが良い。

・冷蔵庫に食糧を溜め込みすぎない
上記の「外出する」あるいは「寝る」の対策を取っても、悩みとして残るのは冷蔵庫の食糧のことだ。この時の計画停電は、幸いなことに寒い時期だったので大きな被害はなかったが、生肉や冷凍食品などは、過度に溜め込むべきではないだろう。

・iPadでのYouTube動画視聴は、かなり使える
3時間近い計画停電の間、ほぼ真っ暗な中で「何も出来ない」と言うのは、かなりストレスが溜まる。我が家で役に立ったのは、iPadを使ってYouTubeの動画を再生して家族で楽しむことだった。事前にフル充電しておけば、iPadのバッテリーは停電期間中も十分に持ってくれるし、3G回線も生きていてくれた。もちろん、iPadでなくても、バッテリーで動作可能なノートPCなら同様なことが出来るはず。


もちろん、二度と同じようなことは経験したくはない。「計画停電」は、地震のような天災とは違って、防ぐことは十分に可能だと思うのだが。

2011年を振り返って<その3> 震災を振り返って(中)

注:このエントリを実際に執筆しているのは、2012年が明けてからのこと。ただし文章の構想を練っていたのは2011年末であり、時系列をすっきりさせるために、エントリの日付を2011年末とさせていただいた。 


<前日エントリからの続き>

【食料の確保と帰宅について】
震災の日、私を含めて数十人のCitrixの社員と、トレーニングを受講していた数名のお客様は、帰宅を諦めてCitrixのオフィスで一晩を過ごすことにした。おそらく他にもこのような形で職場で一晩を過ごした人たちはたくさん居たのだろうが、その中でも我々は相当に恵まれていたほうだった。なぜなら、Citrixのオフィスには飲み物や食料の備蓄がたっぷりあったのだ。食料とは言っても、ほとんどがスナック菓子類だったが、災害時の1回分の食事としては十分だった。さらには、ビールやワインまで、ここぞとばかりに出てきた。どうか不謹慎と言うなかれ。これらアルコール類も、不安を和らげる効果はあるはずなので、馬鹿には出来ない。

もしも食料の備蓄がなかったらどうなっていただろう? Citrixのオフィスは、高層ビルの23階と24階にあるのだが、震災直後からエレベータは動かなくなり、翌朝まで復旧はしなかった。何か食べたければ、タフな階段移動を強いられてコンビニかレストランに行く必要があったのだ。

苦労して階段で移動しても、食料が確保できた保証はない。聞くところによると、コンビニやレストランの在庫も早々に無くなったらしく、誰もが食料確保には相当に苦労したとのこと。あらためて自らの境遇の幸運さを噛み締める必要がある。と同時に、これを読んでいる会社員の皆さんにも訴えたい。今からでもある程度の食料の備蓄を職場に用意しておくことをお勧めする。必要な食料があるか無いかで、災害時の気持ちの持ちようは大きく違うはずなのだ。



夜遅くなると、24階のビルの窓からは、周りの道が渋滞で動かなくなっていることが良く分かった。電車がストップしてしまっている以上、帰宅には徒歩かタクシーかの選択肢しかなかったわけだが、少なくともタクシー移動が、あまりよくない選択肢だったことは想像できた。むしろ徒歩のほうが早かったくらいではないのか。徒歩での帰宅は、自宅までの距離に大いに依存するものだが、自宅がオフィスから約30kmも先にある私には、徒歩での帰宅は最初から問題外だった。

それにしても、震災発生時にオフィスに居たこと自体が、本当に本当に幸運だったと思う。私は仕事上オフィスにいないことが多く、オフィスにいる割合は勤務時間全体のせいぜい3分の1ほど。通勤時間も含めると、さらに会社にいる割合は少ない。この震災では、たまたま幸運な3分の1に引っかかってくれたわけだ。現に、同僚の多くは震災発生時に外出中で、そこからの帰宅に相当苦労したと聞いている。(ある同僚は、10時間かけて徒歩で帰宅した)

災害時の帰宅に関する今後に向けての教訓であるが、外出時に災害に見舞われた際は、無理に自宅に帰ろうとはしないようにすべきだと考えている。外出先が都心であれば迷うことは無い。自分の会社のオフィスに戻ればよい。問題は、(実際に私がよく訪れる)府中市や川崎市と言った微妙な場所にいたときの対処だ。この場合も、「しばらく現地に留まる」ことを優先すべきのように思える。このような場所は、都心に比べれば昼間の人口密度は低いので、食料も確保しやすいだろうし、駅舎や学校など緊急の場合に休める場所は、それなりに確保出来るのではと思える。普段から、緊急時の対応を意識しておくべきだろう。



【家族との連絡について】
震災発生後から継続的に妻との電話連絡やメールでの連絡を試みていたが、電話は全く繋がらないし、メールはこちらから送信はできても返信は返ってこない。ようやく電話が通じたのは22時を回ってからのことだった。幸い家族は無事だったが、いくつかの意外な事実がここで判明した。

第一に、私が想像していたよりもずっと横浜の自宅の揺れは大きく、妻と当時5歳の長女に相当な恐怖感を与えていたこと。食器棚の扉はしっかり閉ざされていたにも関わらず、揺れによって外側に動いた食器の重みで扉が開き、多数の食器が落下して砕け散ったそうだ。霞が関の23階オフィスの揺れが少ないからといって、横浜緑区のマンション11階の揺れが同程度とは限らないと言う事だ。現に、東京でも神奈川でも、揺れによる建物倒壊の直接的な被害が出ていた。地震の揺れは、狭い地域の中でも場所によって、或いは建物によって大きな差が出るものらしい。

2つ目に知ったこと。私の自宅一帯の地区が震災直後から停電になり、20時頃にようやく電力が復帰したとのこと。完全に真っ暗になってマンションのエレベータも止まった中で、家族は相当に辛い思いをしていたらしい。実は、この後も例の「計画停電」で、我が家は停電に悩まされ続ける事になるのだが、冬季の夜間の停電は本当に辛い。暖房や照明だけでなく、マンションの場合は水道も止まってしまうのだ。終わりの時間が明示されている計画停電でさえ相当に辛いものだったのだから、震災直後にいつ終わるともしれない停電に見舞われた家族の不安は相当なものだっただろう。もっと早く連絡が取れていれば、どれだけ家族の力になれたことだろうか。

さて、このような緊急時の家族との連絡について考えてみたい。今回の震災で「電話」が固定にしろ携帯にしろ、緊急時の連絡手段として役に立たないことは、誰にも強く実感できたと思う。メールでの連絡は、少なくとも相手が「携帯メール」の場合はダメだった。さらには、上記したように、私の自宅周辺は震災後停電になったので、我が家に限って言えばパソコンを使ったインターネットの利用もダメだった。災害時の家族での連絡方法は、さらに深く考えておく必要がありそうだが、なかなか明確な答えは無い。

これはさらに後になって知ったことだが、TwitterやFacebookは、震災直後も連絡手段として機能していたらしい。安くない料金を普段から徴収しているインフラが軒並みダウンして、基本的に無償で提供されているサービスが生き残っていたと言うのは、実に興味深いことだと思う。我が家も、災害時の連絡用のためだけに妻にTwitterを使えるようにさせた。

もちろんこれだけでは万全とは言えなくて、東日本大震災と同様に停電が起きてパソコンも無線LANも使え無くなった場合には、妻の持つ携帯電話(いわゆるガラケー)のインターネットアクセスだけが頼りになる。それが使えるかどうかは、災害が起きてみないと分からない。加えて、緊急時連絡手段としてのTwitterやFacebookは、東日本大震災前にはほとんど知られておらず、単にユーザが少なかったためにダウンしなかったのかもしれない。次に同じレベルの災害が襲った際には、TwitterやFacebookにもアクセスが殺到してパンクしてしまう可能性も否定できないだろう。とは言っても、「電話とメールだけが頼り」だった以前に比べれば通信手段は相当に冗長化されているわけで、このような可能な限りの対策を取るべきと意識できたことも、大きな教訓と言ってよいだろう。



【得られた教訓まとめ】
・広域で公共交通機関が止まるような災害がおきた場合は、無理に自宅へは帰ろうとせずに、その近くに留まることを第一に考える

・「その場に留まる」ためにも、職場にはスナック菓子などの食糧備蓄をすべき。外出先の場合は、早々に食糧を確保する。

・「食糧確保」の後は、「夜を越せる場所」を探す。最寄のホテルや公共施設などは日ごろからチェックしておくべき。

・緊急時の家族との通信手段としては、電話や携帯メールは使えない。Twitterなどの他の複数の通信手段を予め用意しておくべき。 


<次回エントリに続く>

2011年を振り返って<その2> 震災を振り返って(上)

注:このエントリを実際に執筆しているのは、2012年が明けてからのこと。ただし文章の構想を練っていたのは2011年末であり、時系列をすっきりさせるために、エントリの日付を2011年末とさせていただいた。 


2011年を振り返って何か語るのであれば、あの震災のことを避けて通ることはできない。私も震災発生時には東京都心にいて、被害は極めて小さかったがそれなりの影響は受けた。年月が経って記憶が薄れないうちに、体験したことと学んだことを、ここにまとめておきたい。

端的に結論を書いてしまうと、震災時に首都圏にいた人たちの中では、私は相当に恵まれていたほうだった。揺れの恐怖も感じなかったし、いわゆる帰宅難民にもならなかった。家族との連絡に多少苦労したが、比較的居心地のよいオフィスで一晩を過ごし、翌朝には普通に電車で帰宅することができた。

だがこれは、いくつかの偶然が重なった幸運であって、少なくとも帰宅難民になる可能性は十二分にあったし、家族を危険な目にあわせた可能性も否定できなかった。自分が地震などの自然災害に対してあまりに無頓着かつ無防備だったことを思い知ったのが、まず一つの教訓だったと言える。

このあまりの無防備さは、45年間の人生で災害らしい災害を経験したことがなかったことによるのかもしれない。とは言ってもこの無防備さは、おそらく私だけが特別なわけでなく、多くの人も同様なのではと勝手に推測している。私と同じように災害に対して無防備のかたが、このエントリを読んで、用心を高めてくれればこんな嬉しいことはない。



【私の過去の地震体験】
反省すべきは、過去に遡る。私が人生の大半を過ごした名古屋は、東京地区より遥かに地震が少ない。もちろん時折軽微な地震は来るが、恐怖を感じるような地震は、名古屋で生まれ育った37年間、まったく経験したことは無かった。

生まれて初めて地震に恐怖らしきものを感じたのは、名古屋から首都圏に引っ越した後のことだった。2005年7月23日(土)に発生した千葉県北西部地震のとき、私は当時借りていた木造二階建ての戸建で一人過ごしていた。土曜日で会社は休み。妻と長男は、長女の出産のために名古屋に帰省して不在だった。そんなタイミングでその(東日本大震災に比べればずっと小規模ではあるが)大きな地震はやってきた。

急激な揺れとともに、木造住宅がミシミシと軋み始めたことに随分と驚いたものだ。あまりに激しい軋み音で「家が崩れ落ちてくるのでは」との恐怖を感じ、ダイニングテーブルの下に必死で逃げ込んだことを記憶している。小学生の頃から地震の避難訓練で、机の下に避難する真似事は何度もしてきたが、本当に恐怖を感じて机の下に文字通り「逃げ込んだ」のは生まれて始めての経験だった。

ただしこの2005年の地震では、「瞬間的な恐怖」を感じただけで、私自身は直接的にしろ間接的にしろ全く被害を受けることはなかった。何かモノが壊れることもなかったし、電気・水道・ガスが止まることも無かった。通信に関して言えば、直後に名古屋の家族と連絡が取れたかどうかは、記憶にさえも残っていない。と言うことは、少なくともそれほど困る事態にはなっていなかったのだろう。世の中では公共交通機関が長時間に渡ってストップし、大量の帰宅難民が生じたらしいが、幸運なことに私は自宅に居て難を逃れた。

しかし今にして冷静に考えてみれば、普段は一日の半分以上を外出して過ごしている私にとって、地震発生時にたまたま自宅に居たのは、単に幸運なだけだったことが分かる。外出していれば、帰宅難民になっていたであろうし、家族が木造住宅にいたならば連絡の可否は死活問題になりかねなかった。このことを踏まえて、しっかり備えをしておくべきだったのだが、「喉元過ぎれば・・・」のごとく、特に対策らしい対策はすることはなかった。だからこそ、2005年のこの地震も、再度思い出してみる必要があると思うのだ。交通機関が止まるレベルの地震は、別に「100年に一度」ではなく、「数年に一度」はやってくる。そしてまさに「それ」がやってきたのが、2011年3月11日だった。しかも、規模を遥かに大きくして。



【2011年3月11日そのとき】
その時私は、Citrixが入居する「霞が関コモンゲート」の23階にて、10名ほどの販売パートナー様を相手に、Citrix製品のトレーニング講師を務めていた。
霞が関コモンゲート

講義をしながら立ち上がっている際に揺れがやってきて、「おや、地震のようですね。」と発言したことを覚えている。興味深いことに2005年のような急激な揺れは無く、恐怖を感じるようなものでは全くなかった。その分、私も周囲も妙に冷静で、ただ普通に座って揺れが収まるのを待っていた。

お客様に対しては、「このビルは非常に新しいうえに、免震設計もしっかりしているはずなので、ビルの中でじっとしているのが一番安全ですよ。」と発言し、そのとおりお客者様も冷静に椅子に座り続けていてくれた。ビルの免震構造が効いていたのか本当に揺れは緩やかで、難点と言えば、恐怖ではなくて乗り物酔いのような気持ちの悪さだけだった。加えて、揺れが異常に長時間続いたことへの気味悪さも感じていた。今にして思うと、天井からの落下物の心配はあったはずなので、一時的にせよ机の下に潜ることを誘導すべきだったかもしれない。結果的には最後まで何も起きなかったが。

もちろん、この揺れの緩やかさは、首都圏の建物の中では特殊なほうだったわけだが、そのことが分かったのは随分と後になってからのことだ。私の自宅(14階建てマンションの11階)では、地震発生時に食器棚から大量の食器が落ちて大きな音を立てて割れてしまい、妻と長女は絶望的とも言っていい恐怖を感じていたらしいのだが、そのことを知ったのも、地震発生日の深夜になってからのことだ。地震発生直後の私はと言えば、10名ほどの社外のお客様をホストする立場にあり、彼らのことをケアすることが目の前の最重要事項だった。霞が関での揺れが大したことがなかったため、横浜の自宅も同程度だろうと勝手に思い込んでしまい、家族の心配は二の次三の次だった。2005年の地震の地震体験からすれば、もっと想像力を働かせて、自宅の惨状を考えるべきだったかもしれない。

地震発生後の状況に話を戻そう。そのときの私は妙に鈍感なのか冷静なのか、「このままビルの中に留まることが最も安全」と判断することに疑いは無かった。お客様に対しても、ビル自体の免震性の高さを継続的に訴えるとともに、「今外に出ても、交通機関は動いていないだろう」ことを根拠に、もこのままビル内に留まることを薦めた。これも結果論としては大きな問題はなかったが、もっと深く考えるべきだったかもしれないと反省している。お客様たちは、私以上に入ってくる情報も行動の自由も制限されていたため、私の支持に従うしか行動の余地がないのだ。私の判断で彼らの安全が脅かされる可能性さえもあったのだが、そこまでの自覚は無かったと言わざるをえない。

幸いなことに、震災時もビルの電力とインターネット接続は生きていた。トレーニングを開催していた教室には、受講者一人ずつにインターネット接続端末があり、揺れが収まってほどなくすると「震源は東北で、相当に規模の大きい地震だったらしい。」と言う情報も入ってきた。ただし、インターネットから得られる情報は断片的で、震災の全貌を実感することはできなかった。ましてや、首都圏でも十分に大きな被害が出ていることは、その時点では想像だにできなかった。

各種の情報が断片的ながらも入ってくるうちに、もうひとつ新たな問題が発生した。お客様の一人が東北出身で、ご家族が東北にいるのだが、携帯電話の連絡が全く通じないとの事。会社の固定電話をお貸ししたが、これもダメ。そのお客様の顔が険しくなっていくのが分かるが、残念ながらどうしようもない。私自身も横浜の家族に電話をかけても繋がらなかったので、東北はさらに難しかったのだろう。(結局、このお客様が東北の家族と連絡が取れたのは深夜になってのこと。幸いにもご無事だったらしい。)

その後、お客様にはインターネット閲覧を続けていただいたり、テレビを見ていただいたりはしたが、基本的にはそのまま教室で過ごすことをお勧めした。夕方までには、歩いて帰れる程度の距離に家がある一部のお客様は歩いて帰り始めたが、一部のお客様は結果的にCitrixの会議室で一晩を過ごすことになった。そして私も交通機関が動いていない以上は、約30km先の自宅に帰ることも出来ず、一晩オフィスで過ごすことにした。

<次回エントリに続く>
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