Living in the Flat World

「世界はフラットになっている」と考えれば、世の中の変化も少し違った見方ができるはず!その考え方のもと、ITを中心に日常生活から世界のニュースまで幅広い題材を取り上げるブログ。

ニュース

マーガレット・サッチャーの決断と責任

約1週間滞在したSan Franciscoから、昨日(5月12日土曜日)日本に戻ってきた。実は、1週間前のSan Franciscoに到着した翌日から酷い風邪にやられていて、ほぼ寝込むためにSan Franciscoに行ってきたようなものになってしまっていた。皮肉なことに、到着直後に書いたエントリで、「風邪をひかないように気をつけなければ。」と書いた直後に風邪をひいてしまったわけだ。

海外滞在中に何らかの病気にやられたのは初めての経験で、日本から薬の用意はしておらず、下の写真の薬を現地調達した。
アメリカで買った風邪薬
この薬、「NIGHTTIME」用と書かれているだけあって、とにかく良く眠れる。飲んで10分もすれば、まぶたが鉛のように重くなって、とても目を開けていられない。ただし、「とことん熟睡できるか?」と言うと、そうでもなく、おそらく薬の副作用からか3,4時間後に猛烈に喉が渇いて、それで目覚めてしまうのが悩みどころ。この薬で「完治する」ことは結局出来なかったが、一番辛かった喉の痛み(最初は唾を飲み込むのも辛かった)が緩和されたのは確かなので、まあそこそこにはお勧めできる。

「Walgreens」と言う、全米に展開している薬屋(兼スーパーマーケット)のチェーンに行けば、処方箋無しで簡単に購入できる。またWalgreensは、San Franciscoのような大都市であれば、簡単に見つけられるので、米国滞在中での風邪などの軽い病気には、大いに利用できるだろう。ご参考になれば幸いだ。




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さて、ここからが今日のエントリの主題。

帰りの飛行機の中で、この映画を見た。

「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」(原題:The Iron Lady)

泣けた。涙が止まらなかった。
風邪も完治しておらず、気圧も低かったので通常より涙腺もゆるかったかも知れないが、流した涙の量だけから言ったら、これまで見た映画でNo.1と言えるくらい。

なぜ泣けたのか?
日本公開用の宣伝キャッチコピーでは、「国への想い」だとか「家族への愛」と言ったものが強調されているが、そのようなものに共感して泣いたわけではない。

サッチャーの下した「決断」と、それによって背負うことになった「責任」。この2つは、あまりにも重過ぎて、まず「見ているのが辛かった」と言うのが正直なところ(それが涙の一因であったことも否定しない)。そしてこの傍で見ていても辛くなるような決断と責任に対して、サッチャーは最後まで逃げずに常に正面から向き合っていた。これが涙の最大の理由だ。

映画の中でも取り上げられていたサッチャーの下した決断の代表例は、「新自由主義的な経済政策」と「フォークランド紛争」だろう。完全な弱肉強食(弱者切り捨て)と言える前者の経済政策や、時代錯誤な帝国主義とも言える後者の参戦など、サッチャーの決断を非難するだけなら、もっともらしい理屈をいくらでもひねり出せるだろう。いや、ひょっとしたらそれら非難意見のほうが正しかったかもしれない。だが、それでも彼女は決断した。決断して物事を前に進めた。前に進めれば、それは良くない結果も出てくる(フォークランド紛争では、英軍にも少なからぬ死者が出た)。そして、それらも良くない結果も、全て彼女は自らの責任として受け止めた。

現代のように高度にグローバリズムが進み、政治も経済も複雑化したよの中で、「正しい判断」をすることは、益々難しくなっている。何が「正解」かは、後だしジャンケンでも無い限り分からないし、ある時は「正解」と呼ばれたことが、時代が少し変わっただけで「不正解」になってしまうことも往々にしてある。
だが、結局のところ最後に求められるのは、マーガレット・サッチャーが見せたような決断力と責任の取り方ではないだろうか。それは政治だけでなく、企業経営や、個人の人生の判断においても。



NHKさん、恐れ入りました! ~実に分かりやすい「シンクライアント」の説明

普段私が売り歩いている製品は、「デスクトップ仮想化」あるいは「アプリケーション仮想化」などと分類されているものだ。ただ残念ながらこれら製品は、まだ一般の人たちには馴染みは薄い。それがどんなもので、どこで使われて、どんな役に立つのか、一般の人(企業ITに関わる以外の人)に説明するのは結構難しい。例えば、私の妻、両親、仕事外の友人などは、私が勤めている「シトリックス」と言う会社が、いったいどんな製品を作っている会社なのか、おそらく分かっていない。当初説明を試みたが、あまりにも分かってくれないので、そのうち私も諦めてしまった。

しかし、そんな説明に苦労した時の「救世主」になりうる材料を発見した!!

こちらのNHKのサイトにある、「クローズアップ現代」のダイジェスト動画を是非ご覧になっていただきたい。重要なポイントは、2分20秒から始まる、リコージャパンさんのテレワーク(後述)に関するドキュメンタリーのうち、3分30秒くらいからの一連の説明。是非注目を!!
クローズアップ現代
 

番組中では、「シンクライアント端末」と呼んで説明しているが、サーバーも含めたシステムとしては、これはまさに「デスクトップ仮想化」の説明に他ならない。

それにしても、番組では「シンクライアント端末」を題材に、「どんなもの」で「どこで使われ」て「どんな役に立つ」のかが本当に誰にでも分かりやすく説明されている。さすがNHKさん、難しいことを誰にでも分かりやすく説明することに関しては、プロ中のプロなのだろう。私自身も、普段から分かりやすい説明を心がけているつもりだが、これには負けた。NHKさん、本当に恐れ入りました。

なお、ダイジェスト動画に加えてこちらのリンクには、2012年3月8日に放送された約30分の番組の全ての内容がテキスト台本として公開されている。いや、NHKさん、これ本当に素晴らしいです!!


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さて、同じNHKの番組ダイジェスト動画を題材にしつつも、テーマを変えた話をしたい。

元々このときの番組のタイトルは、「仕事は会社の外で ~広がるテレワーク~」と言うものだった。「テレワーク」と言う言葉自体も、まだ誰でもが知っている用語とは言えないと思うので改めて説明するが、自宅や外出先など、「会社の外で仕事をすること」を「テレワーク」と呼んでいる。

私の勤めるシトリックス・システムズ・ジャパン(株)では、事業としてテレワークの利用を促進するソフトウェア製品を製造・販売している一方で、働く社員自身も制度的にテレワークの利用が奨励されている。

私自身、昨年の震災後の交通が麻痺して余震の心配も拭えぬ中、このテレワークの制度のおかげで本当に助けられた。過去のエントリにて、そのことを詳しく紹介している。

また会社としても、こちらこちらのように「震災後、シトリックスの在宅勤務を支えた2つの制度」とのタイトルで運用の実態を公開し、これからテレワークを導入しようとしている企業に参考にしていただけるようにしている。(下図は、Citrix社員の実際の在宅勤務のイメージ)
在宅勤務
 

これらCitrixの事例に加えて、冒頭で紹介したNHK「クローズアップ現代」は、日本企業がテレワークを推進するうえでの、強力な推進材料になったと思う。

番組で述べられていたテレワークの利点は明快だ!!
・営業マンの訪問件数は以前の1.5倍まで増えた(生産性向上)
・時間を有効に使えるため早めに帰宅する日が増えた(社員満足度向上)
・節電効果
・万が一端末を紛失しても情報漏えいの心配は無い(セキュリティリスク低減)

さらには、被災地の復興にさえもテレワークは役に立つ!
人手不足の首都圏の企業の仕事を、職を求める被災地の人たちにも担ってもらえるし、逆に震災で被害を受けた企業の再建に、必要な人材を首都圏からも確保しやすくなる。


以下は、私からの切実なお願い。
日本企業の経営層の皆さん、もっと「テレワーク/在宅勤務」を推進できるよう、(ITインフラなどのハード面は後回しにしでも良いので)就業規則などの制度面の見直しを是非すすめてください。
上記したように、テレワークの利点は明快なのですが、多くの日本企業では、就業規則や、そもそも経営層を含めた社員の意識の持ち方と言ったソフト面が、テレワーク推進にあたってのもっとも大きな障害になっているのです。

もちろん在宅勤務を実際に行うためにはITインフラの充実も欠かせないでしょう。しかし、技術的な問題は既に克服されていると言ってよいです。課題があるとしたら予算の確保くらいですが、「生産性1.5倍アップ」で、費用は簡単に回収できます。是非もう一度、NHKさんのWeb動画を、じっくりとご覧になってみてください。


印象操作と言葉の裏の吟味

さて読者のみなさん、下記の赤字で書いた文を読んでどのような印象を持たれるだろうか?

福島第一原発事故から出た放射性物質による東京都民への被ばくの量は、原発事故が起きなかった場合に比べて10%以上も増加していることが分かりました。
また、東京都が事故直後に食品の出荷制限や乳児用のボトルの水を配布するなどの措置を取ったことについては、措置を取らなかった場合に比べて被爆量の低減効果は、せいぜい2分の1から3分の1程度にとどまると推定されるとのことです。

なんか漠然とした不安を感じないか?

では一方で、下記の青字で書いた文ならどうだろう?

福島第一原発事故から出た放射性物質により東京都民がこの1年間で追加して受けた被ばく量は、事故前の通常の生活に比べて数分の1から10分の1程度と推定されることが分かりました。
また、東京都が事故直後に食品の出荷制限や乳児用のボトルの水を配布するなどの措置を取ったことについては、29%から44%被ばく量を低減させる効果があったと推定されるということです。

なんとなく、安心できるような気もする??


もう一度双方を、よーーーーーく読んでいただきたいのだが、青字の文と赤字の文は、論理的には全く同じ事を言っている。違うのは「表現の仕方」だけだ。それにしても印象は随分異なるが。

赤字文も青字文も、別に私が勝手に創作したものではなくて、今日3月12日の「東大のプロジェクトチーム」とやらが発表したことを伝える下記のマスコミ記事を元にしたもの。
(この種のニュース記事は、しばらく経過すると消されてしまうので、イメージキャプチャも取っておいた。)


MSNニュース





テレ朝ニュース

テレ朝ニュース


いずれの記事でも、上記青字のような「安心させる」書き方をしている。果たして本当に安心して良いのだろうか?
東大が発表したこれらの数値データが、不安を感じるべき値なのか、安心して良い値なのかを判断できる科学的知識を、私は残念ながら持っていない。それでも、日本語の文章の不自然さを感じ取ることならできる。
元記事にある「この1年間で追加して受けた被ばく量は、事故前の通常の生活に比べて数分の1から10分の1程度」などと言う表現は、まず第一印象として理解しにくく、それゆえに胡散臭さを感じてしまう。



この種の「公式発表」の場合、多かれ少なかれ「印象操作」のようなことが行われるのは普通だろう。それを聞く側も、「言葉の裏」を吟味するリテラシーは求められる。
ただそれにしても、今回の東大プロジェクトチームの「印象操作」は稚拙に過ぎるが。

コダックの経営破綻と「イノベーションのジレンマ」(下)

前々回前回のエントリに続いて、「イノベーションのジレンマ」に関して。

コダックのような既存技術(アナログカメラ)に強みを持った企業は、不連続な技術革新(デジタルカメラ)に対して、どのように向き合えばよいのか?

【答え】
不連続な技術革新(クリステンセンはこれを「破壊的技術」と呼んでいる)を扱うための独立した新組織を作るしか方法は無い。

この新組織は、予算や企業文化の面で、本体組織とは完全に独立させなければいけない。相手にする顧客やパートナー企業も本体組織とは別のものであるべきだし、地理的にも本体組織とは離れた場所に置いたほうが良い。

もしくは既に不連続な技術革新に取り組んでいる別企業を買収するのも一つの手段である。ただしその場合、本体組織との統合や、本体組織からの介入は最小限にしなければいけない。



【成功例】
IBMは、元々大型コンピュータの製造販売に圧倒的な強みをもっていた企業である。
IBM System 360
そのIBMにとって、「パソコン」が将来脅威になりうる不連続な技術革新であることは、パソコン黎明期に既に予想されていた。ところが、黎明期のパソコンはある意味おもちゃのような代物で、ビジネス規模が小さすぎて巨大企業IBMが取り組めるものではなかった。しかしだからと言って、何もやらないと将来的に飲み込まれてしまうことも十分予想できる。つまり、典型的なイノベーションのジレンマに陥ってしまったのだ。

しかし、IBMは「イノベーションのジレンマ」が出版される20年も前に、この本に書かれている通りの正しいことを実施した。本社のあるニューヨークから遠く離れたフロリダ州に、完全に独立した組織を作ってパソコン事業を担当させたのだ。

こうして登場したのが、「IBM PC」である。
初代IBM PC
これをきっかけに、IBMのパソコン事業は少なくとも5年程度は十分に成功し、パソコン業界の中心的な存在となった。(2012年現在我々が利用しているWindowsパソコンも、この初代IBM PCの影響を受けている。パソコンの持続的進化の歴史を紐解くと、源流はこのIBM PCに行き着くのだ。)

成功していた5年間は、フロリダにあるIBMの新組織はニューヨークの本社にお伺いを立てる必要なく、自由に部品を調達し、独自の販売チャネルで自由に販売し、パソコン業界での競争上のニーズに適したコスト構造を自由に形成できる自立的な組織として存在していた。

残念ながらIBMのパソコン事業が成功したと言えたのは、最初の5年間のみだった。興味深いことに、パソコン部門と本体組織の緊密な連携を図ることをニューヨークの本社が決定したタイミングで、IBMのパソコン事業は衰退してしまった。2012年現在、もうIBMはパソコン事業から撤退している。

同様の成功事例は、IBMのパソコン事業だけでなく、HP(Hewlett Packard)のインクジェットプリンタ事業(それまでHPは、レーザープリンタから主な収益を上げていた)や、カンタムの3.5インチハードディスク事業など、相当数あるらしい。


【それでもコダックは失敗した】
「イノベーションのジレンマ」は、私のような経営学が専門ではない者でも知っている、最も有名なビジネス理論のひとつだ。コダックの経営陣は、「イノベーションのジレンマ」を読んでいなかったのだろうか?いや、それも考えにくい。

こちらの日経ビジネスの記事は、まさにコダックの件に関するクリステンセン教授のコメントを掲載していることが興味深いが、そのコメントは完全に納得できるものとは言いがたい。教授曰く「これほどの難題に直面した企業は他に見たことがない。新たに登場した技術が従来のものと根本的に違いすぎて、旧技術をもって課題を乗り越えるのは不可能だった」とのこと。コダックのケースは、本当に前代未聞の難題だったのだろうか?IBMが一時的にしろ乗り越えたパソコンだって、技術は従来のものと根本的に違いすぎるものだと思うのだが。 それに、富士フイルムが、危機を乗り越えられた説明にもなっていない。

富士フイルムとコダックが明暗を分けた理由に関しては、Web上で多くの論評が見られる。しかし、例えばこちらの「フラッシュ・メモリが日本発だから富士フイルムは生き残れた」との記事のように、ロジカルな説明になっていないものが多い。(「フラッシュ・メモリが日本発」は、理由の一つにはなっても、決定的な理由とするには、いくらなんでも根拠が薄弱)

もっとも納得のいく説明をしていたのが、こちらの大前研一氏の論評。日米の「株主の圧力の差」が、富士フイルムとコダックの明暗を分けたとのこと。日本の株主は、総じて企業がキャッシュを保持することに寛大で、そのキャッシュを使って新規事業に投資することが出来た。一方で、欧米の株主は、企業がキャッシュを持つことを許さない(株主への配当を要求する)ので、新規事業投資のための十分なキャッシュが無かったとのこと。

昨今、円高の影響で軒並み不調が伝えられる日本の製造業だが、この大前研一氏の見解は、日本企業の将来の競争力にひと筋の光を与えてくれるもののように思う。


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2012年3月18日追記
富士フイルムさんの社名を、本来大きな「イ」で書くところを間違って小さい「ィ」で記載してしまっていた。謹んでお詫び申し上げると共に、本文修正させていただきました。申し訳ございませんでした。

キヤノンさんの「ヤ」と共に、富士フイルムさんの「イ」が小さくならないのは、有名な話だそうです。無知をBlogで晒すことは、恥ずかしいことである反面、学習の機会も与えられます。
 

コダックの経営破綻と「イノベーションのジレンマ」(中)

前回のエントリに続いて、「イノベーションのジレンマ」に関してまとめる。

イーストマン・コダックの経営破綻を伝えるニュースには、多くの場合次のような論評が加えられていた。いわく「フィルム事業に拘るあまり、デジタルカメラへの対応が遅れてしまった」と。
そして多くの人は次のように考えただろう。
「もっと早くからデジタルカメラへの移行を進めていればよかったのに。」
「判断を遅らせた経営者の責任は大きい。」

しかし「イノベーションのジレンマ」によると、ことはそんなに簡単なことではないらしい。コダックのように、旧来技術(例:アナログカメラ)で良好な経営を行っている企業にとっては、不連続な技術革新(デジタルカメラ)を使った新規市場に参入することは、「不可能」と思えるほど難しく、参入したとしてもほとんど失敗してしまうと言うのだ。

なぜそこまで難しいのか?
「イノベーションのジレンマ」の著者クリステンセンは、いくつかのもっともな理由と、興味深い事例を挙げている。


【理由1】不連続な技術革新による新しい市場は、優良企業にとって旨みが無い
今現在「儲かる事業」をしている企業が、その儲かる事業のための資源を削ってまでして、「儲けの少ない新規事業」に力を入れることは、はたして正しい判断なのだろうか? 少なくとも短期的には、その正しさを裏付ける結果を得られることはまず無い。

前回のエントリで書いたように、「不連続な技術革新」は、登場直後は機能・性能・品質ともに良くない「粗悪品」として扱われる。したがってそのような製品では、少ない利益で安く売るか、もしくは極端に高くなって一部のマニアしか買わないかで、事業としての利益は極めて低くなる。いくら将来の市場拡大の可能性があったとしても、初期の時点では明らかに「投資すべきでない市場」なのである。

特にコダックの場合、カメラ購入後もフィルムによる収入の続くアナログカメラは、実に旨みのあるビジネスであり、フィルム収入の無いデジタルカメラへの投資は、当時は「自分の首を絞める」行為以外の何ものでもなかった。新規市場への投資は、短期的には明らかに損な行為なのだ。

それでも(例えばスティーブ・ジョブズのような)優れた経営者ならば、「未来への投資」として、儲けの少ない新規事業に投資するのだろうか? コダックはもっと早くデジタルカメラに投資すべきだったのだろうか? いや、それはあくまで「あと出しジャンケン」の発想である。以降の理由で説明するように、「新規事業の将来の市場予測」は、実は極めて極めて難しい。


【理由2】「不連続な技術革新」による将来の市場予測は極めて難しい
我々は、不連続な技術革新が市場においても成功し、旧来技術を使った製品を駆逐する例をたくさん見てきた。「アナログカメラを駆逐したデジタルカメラ」「大型コンピュータを駆逐したパソコン」「パソコンを駆逐する勢いのタブレット」などだ。
しかし、それらの影に隠れた「失敗作」も多くあることを忘れてはいけない。

こちらの写真の製品をご存知だろうか?
Apple Newton
ディスプレイ下のリンゴのマークに注目して欲しいのだが、これは1992年にAppleが発表したPDA(携帯情報端末)「Newton」だ。これを知っている人は、それなりのAppleマニアのはずで、一般にはほとんど知られていない。そのことからも分かるように、ビジネス的には大失敗で、鳴かず飛ばずのまま生産を終了してしまった。当時のCEOジョン・スカリーが「最重要プロジェクト」と位置づけて、研究・開発はもちろん、市場調査にも膨大な予算をつぎ込んだにもかかわらずである。

Appleのような企業でさえも、新しい市場は読み誤って失敗する。他の企業もしかりである。それにはれっきとした理由があって、「今存在しない市場」は、そもそも分析のやりようがないのだ。分析したとしてもその分析は、「持続的な進歩を前提とした既存の市場」の分析でしかなく、「不連続な革新による新規市場」の分析にはなっていないのだ。



【理由3】新規市場は、既存優良企業よりも新興企業には有利
完全な失敗に終わったとされているAppleのPDA「Newton」は、いったいどれくらい売れたのだろうか?「2年間で14万台」だったそうだ。これが「少ない=失敗」とされた根拠は、当時のAppleの全体の売上げに占めるNewtonの割合が1%にも満たなかったことによる。
ところで、次の製品の同じ期間の売上げ台数との比較は、非常に興味深い。
AppleII
このパソコンは1977年のAppleの大成功作「Apple II」で、これによってAppleは、当時のパソコン業界のリーダーの地位に立った。実は、大成功だったと言われるApple IIの販売実績は、「2年間で4万3千台」であった。それでも、社員が数名しかいなかった当時のAppleにとっては爆発的な成功と言ってよかった。

1992年当時、既に規模の大きくなったAppleにとっては、Newtonは失敗作だったかもしれない。しかし同じような製品を小さな新興企業が製造販売し、同じ程度売れれば、それは素晴らしい成功になっていたのである。つまり、不連続な革新を使った新規市場は、中小の新興企業にとっては簡単にビジネスを継続できても、大企業にとってはそう簡単にビジネスを継続できるほどの成功は得られないのである。



【理由4】不連続な革新技術による成功は、偶然の要素も大きい
新しい技術を生み出してそれがビジネス的にも成功すると、それは「成功事例」として大いに注目を集めることになる。現在のAppleへの注目がまさにそれだが、「成功には○○のような必然性があった」と語られることはあっても、成功を偶然の産物にしてしまう論評は極めて少ない。しかしそれは、偶然を理由にしては物語的に面白くないだけで、偶然による成功事例は実際には相当に多くあるようだ。

クリステンセンによると、ホンダが小型オートバイでアメリカ市場で成功したのは、全くもって偶然と幸運の産物であり、成功するための主体的な戦略・投資を、当時のホンダには全くと言ってよいほど実施していなかった。むしろ、当初は完全に間違った戦略・投資をしていたのだ。

1959年当時のホンダは、米国市場に進出するにあたって「市場調査」を行い、「米国では50cc程度の小型バイクなど誰も欲しがっていない=小型バイクの市場は無い」と結論づけた。そのため米国向けに大型バイクを新たに開発し売り込んだが、既存メーカーに対する優位性に欠けたため、全く売れなかった。

ところが、「売るため」ではなく、当時は予算も限られていたホンダの社員が「自分たちの移動用」に持ち込んだ小型バイクが、周囲のアメリカ人達の注目を集め始めていた。市場調査によって「そんなニーズは無い」と結論づけられた小型バイクは、実はニーズは十分にあったのだ。アメリカ人にとっては「見たことないから欲しいと想像すら出来なかった」だけで、実物さえ目にすれば、それは十分に欲しいものだった。このような新たな市場は、「市場調査」では正しい答えを出せない。ホンダの場合、「予算削減のために、やむなく持ち込んだ小型バイク」が、偶然にも幸運を呼んだのである。

下記は、「小型バイクにもニーズはある」と気づいてからの、当時のホンダの広告。
Nicest people on a HONDA
それまでは、米国でのオートバイは、「マッチョな男たちの乗り物」としての市場しかなかったが、それ以外の「普通の人々」でも乗れるバイクがあることを啓蒙している。

 【まとめ】
ここまでのまとめとして、クリステンセンの記述をそのまま引用するのがよいだろう。

なお、これまで私は「不連続な技術革新」と言う用語を使ってきた。一方、クリステンセンの著書では「破壊的技術(disruptive technology)」と言う用語が使われている。実はこの2つは同じものだ。後述する理由により、私が勝手に呼び方を変えたいた。
「破壊的技術」と書くと、どうしても「破壊的なほど素晴らしい技術」と思われがちであるが、ほとんどの場合そうではない。むしろ粗悪な製品として世に出されることのほうが多い。「破壊的」なのはその内容ではなく、あくまでそれがもたらす結果のことである。「破壊的技術」が「素晴らしい技術」と勘違いされないように、あえて「破壊的技術」との用語を避けていた。下記の赤太字は、日本語版「イノベーションのジレンマ」からの、そのままの引用である。
(→以降の黒字は、私(山田)のコメント)


1.資源の依存。優良企業の資源配分のパターンは、実質的に、顧客が支配している。
→アナログカメラとフィルムを求める顧客がいる以上、コダックがその顧客の要望を無視することは容易ではなかった。

2.小規模な市場は、大企業の成長需要を解決しない。
→かつてのAppleの失敗作「Newton」は、大成功作と言われた「Apple II」よりも多く売れたが、大企業となったAppleの成長需要を満たすことができなかった。

3.破壊的技術の最終的な用途は事前にはわからない。失敗は成功への一歩である。
→ホンダの小型バイクがアメリカで受け入れられるとは、事前には誰も分からなかった。需要があるはずの大型バイクの失敗で、はじめて小型バイクの需要に気がついた。

4.組織の能力は、組織内で働く人材の能力とは関係ない。組織の能力は、そのプロセスと価値基準にある。現在の事業モデルの核となる能力を生み出すプロセスと価値基準が、実は破壊的技術に直面したときに、無能力さの決定的要因になる。
→大型コンピュータのビジネスで成功する組織の能力(プロセスや価値基準)は、パソコンのビジネスで成功する能力とは全く異なっている。

5.技術の供給は市場の需要と一致しないことがある。確立された市場では魅力のない破壊的技術の特徴が、新しい市場では大きな価値を生むことがある。
→家電としてのオーディオ・ビジュアル機器は、より良い画質・音質が求められ、持続的な技術はその要求に合わせて進歩した。画質・音質ともに劣悪な「ネット動画」は、不特定多数との共有と言う新しい市場では、その手軽さが大きな価値となった。

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では大企業は、不連続な革新にどう対処すればよいのか?
ここまでの記述で、コダックのような既存技術に強みを持った企業にとっては、不連続な技術革新に対処するのが「不可能」と言えるほど難しいことを書いてきた。不連続な技術革新を前にしては、衰退を待つしかないのだろうか?

僅かだが道はある。現に富士フイルムは生き残った。その方法については次回のエントリにて。


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2012年3月18日追記
富士フイルムさんの社名を、本来大きな「イ」で書くところを間違って小さい「ィ」で記載してしまっていた。謹んでお詫び申し上げると共に、本文修正させていただきました。申し訳ございませんでした。

キヤノンさんの「ヤ」と共に、富士フイルムさんの「イ」が小さくならないのは、有名な話だそうです。無知をBlogで晒すことは、恥ずかしいことである反面、学習の機会も与えられます。
 

コダックの経営破綻と「イノベーションのジレンマ」(上)

米国を代表する企業のひとつであるイーストマン・コダックが経営破綻した。
コダック経営破綻
ニュースを聞いた瞬間に、これはまさに「イノベーションのジレンマ」だと思った。そのように考えたのは私だけではないらしく、Web上では既に、コダック経営破綻を「イノベーションのジレンマ」と結びつけて論評している記事が複数見られる。
その中で読み応えがあったのは下記の2つ。

(いずれも海外経済紙の翻訳で、日本人評論家による分析ではないのが少々寂しいが)

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「イノベーションのジレンマ」とは、ハーバード・ビジネス・スクール教授のクレイトン・クリステンセンの1997年発表の著書のこと。
イノベーションのジレンマ

この本は、知る人ぞ知るビジネス書の名著中の名著であるし、私自身も2007年頃に読んで「まさに評判通りの名著」だと確信した。今後も、コダックのように「イノベーションのジレンマ」で説明できる企業の衰退は多発すると思われるし、技術面での未来予測をするにはこの本の理論は不可欠だ。この本の重要性は益々高まっていくだろう。

今日からの一連のエントリでは、本を読んでいない人のためにと、自分自身の備忘録として「イノベーションのジレンマ」の理論をまとめておくとともに、コダックの事例をさらに深堀りして考えてみたい。

なお、以降の説明は、私(山田 晃嗣)がクレイトン・クリステンセン教授の本を読んで理解した内容を、私の言葉でまとめたものだ。内容的におかしなところや理解しにくい所があれば、責任はクリステンセン教授ではなく私にある。

【入門「イノベーションのジレンマ」】
市場で売られている製品やサービスは、供給者側の競争により、技術面でより良く進歩していくことが普通である。それら技術的進歩は大きく分けて、「持続的な技術の進歩」「不連続な革新」の2つに分類される。

情報機器の進歩で例えるなら、CPUのクロック、メモリ搭載量、価格性能比などが向上していくのは「持続的な技術の進歩」と言える。一方で、それまでキーボードとマウスを使って操作していたものから、マウスもキーボードもない「画面のタッチ」によって操作する情報機器(タブレット)の登場は、「不連続な革新」と言える。

上で例に挙げた「タブレット」では、iPadの登場があまりにも衝撃的だったので、「不連続な革新」とは「誰もが驚く凄い技術」であると思われがちだが、実はそうではない。
ほとんどの場合、「不連続な革新」が初めて世の中に姿を現す時は、「性能・機能・品質の劣る粗悪な製品」として登場する。
であるがために、登場当初は「不連続な革新」は正当に評価されず、注目も集めない。

しかし、そんな粗悪な製品でも、時間が経てばこちらも「持続的な技術の進歩」が得られ、いつか市場が要求する性能・機能・品質のレベルを超えることになる。

ここまでの流れを図に表すと、下記のようになる。(クリックで拡大)

今回伝えられたコダックのニュースの場合、赤矢印がアナログカメラで、青矢印がディジタルカメラであり、赤矢印のアナログカメラを作っていたコダックが衰退したと説明できる。


私が専門とするIT(情報技術)の世界では、次の例が一番有名である。赤矢印をかつての大型コンピュータ青矢印をパソコン、緑の点線を「企業情報システム基盤としての要求」と考えるのだ。登場直後(1970年代後半)のパソコンは、性能・機能・品質、いずれも貧弱すぎて企業の情報システムで使えるレベルでは無かった。それどころか将来そうなりうると予測できた人もごく僅かだった。ところが、持続的な技術の進歩で、いまやパソコンとそれから発展したPCサーバーが企業情報システムの中核を担い、大型コンピュータはごく一部の金融などの分野で使われているのみである。

興味深いのは、青矢印の例として筆頭だったパソコンも、ひょっとしたら赤矢印に分類されてしまう日も近いかもしれないことだ。その際に青矢印になりうるのがiPadなどのタブレットだ。

上にも書いたが、iPadの場合はその登場があまりに華々しかったので、「不連続な革新」による登場早々いきなり注目を集めたように思われがちだ。だが実はそうではない。タブレットのiPadは電話機のiPhoneからの「持続的な技術の進歩」であるし、さらに電話機のiPhoneは、携帯音楽プレーヤーのiPodからの「持続的な技術の進歩」とも言える。iPodが登場した際に、これをベースに持続的な進歩をしたものが、将来パソコンの存在を脅かすものになると予想できた人はまずいなかっただろう。

ここまで読まれたかたは、次のように思われたかもしれない。
「なるほど、技術革新を生み出せるよう研究開発に投資したり、革新技術を使った製品への移行を迅速に行うことが、今後の企業経営の重要な要素になりそうだ。」
「(例えばスティーブ・ジョブズのような)英断を下せるような経営者のいる企業こそ生き残れそうだ。」

いや実は「研究開発や経営判断の問題ではない。」と、「イノベーションのジレンマ」で、著者クレイトン・クリステンセン教授は書いている。
赤矢印の企業にとっては、どんなに研究開発に注力して、どんなに正しい経営判断をしても、青矢印の技術の出現すると、衰退への道以外は無いと。

普通に考えれば、研究開発に投資し、赤矢印の企業自身が青矢印の「不連続な革新」を行えば良いようにみえる。だが、うまく「不連続な革新」となるような技術を生み出せたとしても、それはビジネス的には必ず失敗するのだ。

我々は、この事実を忘れてはいけない。



国産タブレットも、今ならまだ間に合いますよ

昨日のエントリでは、Appleの電子教科書戦略を、ビジネスモデルの観点から見て相当に磐石なものであることを説明した。では、Androidタブレットを使って、この分野でAppleに競争を挑むことは出来るだろうか?

結論:ほとんど勝算はないだろう。

かつて「AndroidタブレットがiPadにどうしても勝てない3つの理由」と言うエントリに書いた理由が、電子教科書の分野にもそのまま当てはまる。特にこの分野では、iPadのサードパーティ製品(この場合は教科書コンテンツ)が質・量両面で既に圧倒しており、Androidタブレットが食い込む余地はほとんど残されていない。

コンテンツを作成する立場で考えて欲しい。
Appleが提供したビジネスモデルに便乗さえすれば・・・

1) 素晴らしいコンテンツ作成ツールが無償で提供されていて、
2) デファクトと言って良いほど対象プラットフォームが普及していて、
  (売れる対象がたくさんある)
3) 代金を回収する仕組みがしっかり用意されていて、
4) 機種ごとの違い(画面サイズなど)をいちいち考慮する必要がない。

現状では、これらAppleの利点を無視して、あえてAndroidベースで苦労してコンテンツを作る理由など全く無い。

Appleの優位点として挙げた上記 1)~4) のうち、ひょっとしたら 1)と3) については、追いつくことは「まったく不可能」ではないかもしれない。~ それでも相当難しいし、いったい誰がその仕組みを作るのか? Googleが作ってくれるのだろうか?~ だが、2)と4) に関しては、Android陣営がAppleに追いつくことは、もう絶望的と言ってよい。特に2)が最重要で、これこそがコンテンツメーカーを引きつけている魅力に他ならない。量を捌くことによって売上げを確保できれば、3)で徴収される「Appleへの上納金」も、大したことではない。

結果として、
コンテンツが充実する → プラットフォーム(iPad)が売れる 
 → さらにコンテンツが充実する → さらにプラットフォーム(iPad)が売れる
  → 繰り返し
の好循環が生まれ、ますますAppleの優位は磐石となるのだ。

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だがそれでも、Androidタブレット陣営(特に日本メーカ)が勝てる分野は残されている!

それこそ今日のエントリの本題なのだが、Appleの電子教科書は、(少なくとも現時点では)日本市場には全く手を付けていない。日本の教科書の「検定」の仕組みや、独特の流通には、さすがのAppleも手が出せなかったのだろう。つまり、日本の学校の教科書の電子化に限って言えば、まだまだ国産タブレットにも十二分に勝算があるのだ。

1ヶ月前のエントリで、AndroidタブレットがiPadに勝つためにはニッチマーケットで戦うしかなく、学校での利用はその一つだと書いた。その時点では私も、ここまでのレベルの教科書の電子化は想定していなかったが、具体的なモデルはAppleが示してくれた。このアイデアはアイデアとしていただいてしまおう。

これからの進め方としては、各タブレットメーカーがそれぞれ独自に動いてもダメ。役所(文部科学省など)や出版社も巻き込んだ上で、国産メーカーが足並み揃えて共同で共通基盤を作っていかなくてはいけない。メーカー同士で争っている場合ではないのだ。具体的には、メーカー間での共通仕様の作成や、コンテンツ作成ソフトの製作、役所や出版社にも正しく利益を分配できる仕組み作りでは、足並みを揃えないと前に進まない。

それでも、出版社や印刷業者はもちろん役所の中からも相当な抵抗があることが予想される。そんな場合は、その人たちにも「今はそんなことを言っていられる場合じゃない」ことを訴えよう。ぐずぐずしていると、国内の教科書出版も教育ITインフラも、黒船(Apple)に侵略されかねないのだ。Appleが米国での教科書の電子化を華々しく発表してくれたおかげで、これら抵抗勢力の勢いも多少は弱まるのではないか。

例えば富士通さん、Exileをキャラクターに使ったり、個別に凄い機能を備えたところで、そうそう簡単にiPadの牙城は崩せないと思います。



その理由は、右メニューの私の過去のエントリのうち「Android」と言うカテゴリのエントリをお読みください。


それよりも、まだAppleが手を付けていない、日本の教育市場をおさえるべきだと思いませんか?


 

「教科書の再発明」に隠れた真のイノベーション

Steve Jobs 亡き後も、そのDNAはAppleに引き継がれていると思わせる発表だった。2012年1月19日に発表された「教科書の再発明」と謳われた、あの発表のことだ。
教科書を再発明
誤解しないで欲しいのだが、私は「教科書(教材)を電子化してiPadで見られるようにしたこと」を特段凄い事だとは思っていない。教材の電子化は、「e-Learning」と言う名前で何年も前から実現されているし、既にビジネスとしても十分成立している。

では何が凄いのか?

磐石のビジネスモデル(端的に言うならば「後はラクして儲かる仕組み」)を作り上げたことだと思う。発表された後に「後だしジャンケン」で振り返れば、至極シンプルかつロジカルなビジネスモデルなのだが、今まで誰もやっていなかった。それをまたAppleが「発明」してしまったのだ。

例の「教科書の再発明」でAppleがリリースしたものを、もう少し詳しく見てみよう。これを紹介したテレビの映像などでは、いかにも利用する子供たちの興味を引きそうな、美しくて迫力のあるiPad上の教材の映像が流されていて、思わずそちらに興味が行きがちだった。しかし、Appleは「教材のコンテンツ(中身)」そのものは作っていないし、今後も作らないはずだ。

Appleが作ったものは何だったのか?

1つは、コンテンツ作成者用のツール「iBooks Author」
iBook Author
おそらくこのツールは、AppleとiPadの強みを活かして、コンテンツ作成者にとって飛び切り使いやすく魅力的なツールになっているのだろう。多くのコンテンツ作成者がこのツールで創造意欲を掻き立てられて、今後良質のコンテンツが充実していくことが予想できる。

2つ目は、電子書籍をiPad上で見るアプリ「iBooks 2」
iBook 2
既存のe-Learningアプリよりも、魅力的で使いやすいものになっていることは、少し見たテレビの映像から用意に創造できる。パソコンでのマウス操作よりも、iPadのタッチ操作は、特に教育分野では魅力的だ。

注目すべきは、新たに発表された上記2つのアプリが、いずれも無料で提供されることだ。
ではAppleは、どのようにお金を儲けるのか?


答えは既に運用中の「iBookstore」にある。これはいわば、Appleが経営する「電子書店」であり、「iBooks Author」を使って作成した電子書籍は、「iBookstore」が独占販売するのである。iBook Authorを使って誰かが電子書籍を作り、それを誰かが買うと、売り上げの一部が自動的にAppleに入ってくる。つまり、自らコンテンツを作らなくても、無料ツールに引寄せられて集まってきたコンテンツ作成者がコンテンツを作ってくれる。そしてそのコンテンツの売り上げの一部が、自動的にAppleの懐に入ってくるのだ。

実に素晴らしいビジネスモデルだ!
お賽銭


それにしても、言われてみればこんな簡単なことを、どうして今まで誰もこれを実現できなかったのだろう?

ひとつの理由として考えられるのは、「iPadと言う電子書籍に適した魅力的な端末があって初めて実現できた」と言う考え方だ。確かにWindowsパソコンでは、このモデルは成立しにくいかもしれない。

では、ハードウェア的な造りはだけならiPadに近いAndroidタブレットを使った電子書籍ビジネスは成り立つのか?これは深い問題なので、次回のエントリにて。

2011年を振り返って<その4> 震災を振り返って(下)

注:このエントリを実際に執筆しているのは、2012年が明けてからのこと。ただし文章の構想を練っていたのは2011年末であり、時系列をすっきりさせるために、エントリの日付を2011年末とさせていただいた。 

震災当日の出来事と、そこから得られた教訓については、一昨日昨日のエントリにまとめた。今日のエントリでは、震災後数日間の少々特殊な生活について記録しておく。


■震災後一週間の「在宅勤務」
私が勤務するシトリックス・システムズ・ジャパン(株)は、震災後数日間の社員へのケアに関しては、かなり胸を張って自慢できるような素晴らしいことが出来ていたと思う。これはおそらく、他の企業のモデルケースにもなりえると考えるので、ここに詳しく説明しておく。

震災が発生したのは金曜日。その後の土曜日と日曜日は当然会社を休むとして、「震災3日後の月曜日の勤務をどうしたか?」については、企業によって対応がまちまちだったのではないかと思う。シトリックスでは、震災翌々日の日曜日に全社員に次のような内容の通達がまわってきた。「月曜日は会社には来るな。基本は在宅勤務しろ。もちろん休暇でもOK。」

この通達には重要なポイントが2つある。

ポイント1つ目は、「出社しなくて良い」ではなくて、「出社するな」だったこと。この2つは似ているようで似ていない。3月11日の震災後しばらくは、実際に余震も度々起きていて、遠方に通勤することと、それによって家族と離れることに関しての安全性の懸念は、拭い去ることは出来なかった。家族の安全を思えば家を離れたくないが、まだまだ多くの日本人のマインドには、家族と言う「私」よりも企業人としての「公」を優先することを美徳とする文化は残っている。「出社しなくてよい」と言う通達では、使命感の強い一部の人々は仕事を優先して会社に来るだろうし、必要以上に悩んでしまう人も多いだろう。その点、「出社するな」と言う通達は、安心して家族と一緒にいられる実にありがたい通達だった。

2つ目のポイントは、「休暇を取れ」ではなくて「休暇を取っても良いけど、基本は在宅勤務しろ。」だったこと。この通達も、社員には実にありがたかった。震災後しばらくは、家族と離れたくない気持ちが強い一方で、仕事が完全に無くなるわけでも忘れられるものでもない。また、強制的に有給休暇を消化させられることに不満を持つ人もいるだろう。多くの日本企業が、少なくとも日常では「会社に行って仕事をする」か、「休暇をとって家に居る」かの2つの選択肢しか用意していないため、今回のような非常時には、その狭間で悩むことになってしまう。
幸いなことにシトリックスでは、「在宅勤務」は制度的にもITインフラ的にも普段から認められていたことなので、震災後に在宅勤務を標準にすることに迷いは無かったようだ。家族と一緒に過ごしながら、お客様などへの迷惑を最小限にできるよう必要な仕事を進めることが出来たことは、公私両面で安心できる材料となった。

冒頭にも申し上げたとおり、これらシトリックスの対応は、十分にモデルとして他の企業の参考にしてもらえるものと自負している。会社としても、下記のような広報記事を作っているので、是非参照していただきたい。

「震災後、シトリックスの在宅勤務を支えた2つの制度」


■計画停電
震災後しばらくの間、我が家がもっとも悩まされたのは、余震でも物資不足でもなく、この「計画停電」だった。停電中の不便や不安もさることながら、大きな不満を感じたのはその「不平等さ」だろう。首都圏の家庭や企業が、均一に停電にあうなら「仕方がない」と言う気も起きるが、しばらく後に同僚に聞いたところによると、大多数が「一度も停電などしていない。」と言っていた。いったいどのような基準で、「停電してはいけないところ」と「停電してもよいところ」が区分けされたのだろう?一般家庭である我が家はまだ「不安」「不便」「不満」で済んだが、計画停電によって経済的・経営的な打撃を受けた企業の怒りはどれくらいだったのだろうか。

今更怒ってみても生産的ではないので、計画停電によって「貴重な学習が出来た」と割り切っている。せっかくなので、今後同じような「計画停電」が行われる場合の教訓を、広く共有しておきたい。ただし、これはあくまでも「一般家庭」としての対策である。残念ながら企業様には役に立たない。

・一番良いのは外出すること
計画停電は、ある程度の地理的な範囲に限定して行われるので、その範囲から抜け出れば全く別世界となる。車などが使えて簡単に抜け出せるものなら、停電エリアを脱出してしまうのが、一番有効な対策となる。ただし「脱出」は停電実施前がのタイミングで行うのが望ましい。なぜなら信号機も止まってしまうので、クルマでの走行も危険を伴うからだ。

・二番目は「寝る」こと
停電がある程度遅い時間なら、布団に入って寝てしまおう。これも停電自体が基本的に気にならなくなる。ただし、停電解除時の電気周りのチェックはすべきなので、例えばお父さん一人くらいは、停電解除後に起きたほうが良い。

・冷蔵庫に食糧を溜め込みすぎない
上記の「外出する」あるいは「寝る」の対策を取っても、悩みとして残るのは冷蔵庫の食糧のことだ。この時の計画停電は、幸いなことに寒い時期だったので大きな被害はなかったが、生肉や冷凍食品などは、過度に溜め込むべきではないだろう。

・iPadでのYouTube動画視聴は、かなり使える
3時間近い計画停電の間、ほぼ真っ暗な中で「何も出来ない」と言うのは、かなりストレスが溜まる。我が家で役に立ったのは、iPadを使ってYouTubeの動画を再生して家族で楽しむことだった。事前にフル充電しておけば、iPadのバッテリーは停電期間中も十分に持ってくれるし、3G回線も生きていてくれた。もちろん、iPadでなくても、バッテリーで動作可能なノートPCなら同様なことが出来るはず。


もちろん、二度と同じようなことは経験したくはない。「計画停電」は、地震のような天災とは違って、防ぐことは十分に可能だと思うのだが。

2011年を振り返って<その3> 震災を振り返って(中)

注:このエントリを実際に執筆しているのは、2012年が明けてからのこと。ただし文章の構想を練っていたのは2011年末であり、時系列をすっきりさせるために、エントリの日付を2011年末とさせていただいた。 


<前日エントリからの続き>

【食料の確保と帰宅について】
震災の日、私を含めて数十人のCitrixの社員と、トレーニングを受講していた数名のお客様は、帰宅を諦めてCitrixのオフィスで一晩を過ごすことにした。おそらく他にもこのような形で職場で一晩を過ごした人たちはたくさん居たのだろうが、その中でも我々は相当に恵まれていたほうだった。なぜなら、Citrixのオフィスには飲み物や食料の備蓄がたっぷりあったのだ。食料とは言っても、ほとんどがスナック菓子類だったが、災害時の1回分の食事としては十分だった。さらには、ビールやワインまで、ここぞとばかりに出てきた。どうか不謹慎と言うなかれ。これらアルコール類も、不安を和らげる効果はあるはずなので、馬鹿には出来ない。

もしも食料の備蓄がなかったらどうなっていただろう? Citrixのオフィスは、高層ビルの23階と24階にあるのだが、震災直後からエレベータは動かなくなり、翌朝まで復旧はしなかった。何か食べたければ、タフな階段移動を強いられてコンビニかレストランに行く必要があったのだ。

苦労して階段で移動しても、食料が確保できた保証はない。聞くところによると、コンビニやレストランの在庫も早々に無くなったらしく、誰もが食料確保には相当に苦労したとのこと。あらためて自らの境遇の幸運さを噛み締める必要がある。と同時に、これを読んでいる会社員の皆さんにも訴えたい。今からでもある程度の食料の備蓄を職場に用意しておくことをお勧めする。必要な食料があるか無いかで、災害時の気持ちの持ちようは大きく違うはずなのだ。



夜遅くなると、24階のビルの窓からは、周りの道が渋滞で動かなくなっていることが良く分かった。電車がストップしてしまっている以上、帰宅には徒歩かタクシーかの選択肢しかなかったわけだが、少なくともタクシー移動が、あまりよくない選択肢だったことは想像できた。むしろ徒歩のほうが早かったくらいではないのか。徒歩での帰宅は、自宅までの距離に大いに依存するものだが、自宅がオフィスから約30kmも先にある私には、徒歩での帰宅は最初から問題外だった。

それにしても、震災発生時にオフィスに居たこと自体が、本当に本当に幸運だったと思う。私は仕事上オフィスにいないことが多く、オフィスにいる割合は勤務時間全体のせいぜい3分の1ほど。通勤時間も含めると、さらに会社にいる割合は少ない。この震災では、たまたま幸運な3分の1に引っかかってくれたわけだ。現に、同僚の多くは震災発生時に外出中で、そこからの帰宅に相当苦労したと聞いている。(ある同僚は、10時間かけて徒歩で帰宅した)

災害時の帰宅に関する今後に向けての教訓であるが、外出時に災害に見舞われた際は、無理に自宅に帰ろうとはしないようにすべきだと考えている。外出先が都心であれば迷うことは無い。自分の会社のオフィスに戻ればよい。問題は、(実際に私がよく訪れる)府中市や川崎市と言った微妙な場所にいたときの対処だ。この場合も、「しばらく現地に留まる」ことを優先すべきのように思える。このような場所は、都心に比べれば昼間の人口密度は低いので、食料も確保しやすいだろうし、駅舎や学校など緊急の場合に休める場所は、それなりに確保出来るのではと思える。普段から、緊急時の対応を意識しておくべきだろう。



【家族との連絡について】
震災発生後から継続的に妻との電話連絡やメールでの連絡を試みていたが、電話は全く繋がらないし、メールはこちらから送信はできても返信は返ってこない。ようやく電話が通じたのは22時を回ってからのことだった。幸い家族は無事だったが、いくつかの意外な事実がここで判明した。

第一に、私が想像していたよりもずっと横浜の自宅の揺れは大きく、妻と当時5歳の長女に相当な恐怖感を与えていたこと。食器棚の扉はしっかり閉ざされていたにも関わらず、揺れによって外側に動いた食器の重みで扉が開き、多数の食器が落下して砕け散ったそうだ。霞が関の23階オフィスの揺れが少ないからといって、横浜緑区のマンション11階の揺れが同程度とは限らないと言う事だ。現に、東京でも神奈川でも、揺れによる建物倒壊の直接的な被害が出ていた。地震の揺れは、狭い地域の中でも場所によって、或いは建物によって大きな差が出るものらしい。

2つ目に知ったこと。私の自宅一帯の地区が震災直後から停電になり、20時頃にようやく電力が復帰したとのこと。完全に真っ暗になってマンションのエレベータも止まった中で、家族は相当に辛い思いをしていたらしい。実は、この後も例の「計画停電」で、我が家は停電に悩まされ続ける事になるのだが、冬季の夜間の停電は本当に辛い。暖房や照明だけでなく、マンションの場合は水道も止まってしまうのだ。終わりの時間が明示されている計画停電でさえ相当に辛いものだったのだから、震災直後にいつ終わるともしれない停電に見舞われた家族の不安は相当なものだっただろう。もっと早く連絡が取れていれば、どれだけ家族の力になれたことだろうか。

さて、このような緊急時の家族との連絡について考えてみたい。今回の震災で「電話」が固定にしろ携帯にしろ、緊急時の連絡手段として役に立たないことは、誰にも強く実感できたと思う。メールでの連絡は、少なくとも相手が「携帯メール」の場合はダメだった。さらには、上記したように、私の自宅周辺は震災後停電になったので、我が家に限って言えばパソコンを使ったインターネットの利用もダメだった。災害時の家族での連絡方法は、さらに深く考えておく必要がありそうだが、なかなか明確な答えは無い。

これはさらに後になって知ったことだが、TwitterやFacebookは、震災直後も連絡手段として機能していたらしい。安くない料金を普段から徴収しているインフラが軒並みダウンして、基本的に無償で提供されているサービスが生き残っていたと言うのは、実に興味深いことだと思う。我が家も、災害時の連絡用のためだけに妻にTwitterを使えるようにさせた。

もちろんこれだけでは万全とは言えなくて、東日本大震災と同様に停電が起きてパソコンも無線LANも使え無くなった場合には、妻の持つ携帯電話(いわゆるガラケー)のインターネットアクセスだけが頼りになる。それが使えるかどうかは、災害が起きてみないと分からない。加えて、緊急時連絡手段としてのTwitterやFacebookは、東日本大震災前にはほとんど知られておらず、単にユーザが少なかったためにダウンしなかったのかもしれない。次に同じレベルの災害が襲った際には、TwitterやFacebookにもアクセスが殺到してパンクしてしまう可能性も否定できないだろう。とは言っても、「電話とメールだけが頼り」だった以前に比べれば通信手段は相当に冗長化されているわけで、このような可能な限りの対策を取るべきと意識できたことも、大きな教訓と言ってよいだろう。



【得られた教訓まとめ】
・広域で公共交通機関が止まるような災害がおきた場合は、無理に自宅へは帰ろうとせずに、その近くに留まることを第一に考える

・「その場に留まる」ためにも、職場にはスナック菓子などの食糧備蓄をすべき。外出先の場合は、早々に食糧を確保する。

・「食糧確保」の後は、「夜を越せる場所」を探す。最寄のホテルや公共施設などは日ごろからチェックしておくべき。

・緊急時の家族との通信手段としては、電話や携帯メールは使えない。Twitterなどの他の複数の通信手段を予め用意しておくべき。 


<次回エントリに続く>
このBlogについて
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