Living in the Flat World

「世界はフラットになっている」と考えれば、世の中の変化も少し違った見方ができるはず!その考え方のもと、ITを中心に日常生活から世界のニュースまで幅広い題材を取り上げるブログ。

スポーツ

さらば中日ドラゴンズ

初めて「彼ら」を意識しはじめたときのことは、今でもよく覚えている。そのとき私はまだ小学校二年生で野球のことなどさっぱり分からなかったが、「20年ぶりの優勝」とやらで騒ぐ周りの大人たちに引きずられて、その瞬間のテレビは見ていたらしい。試合そのものは何も覚えていないのに、優勝後に球場グラウンドが人で埋め尽くされお祭り騒ぎになっていた映像だけは、なぜかしっかりと頭に焼き付いている。
1974年ドラゴンズ優勝

そんなはしゃぎまくる大人たちに煽られてか、野球など分かっていないはずの小学校二年生の教室でも、期待の地元球団の話題がすぐにもちきりになった。幸いなことに当時は、野球を知らない子供に野球の打順の何たるかを教える絶好の教材が存在していた。「♪一番高木が塁に出て~、二番谷木が送りバント~、三番井上タイムリー~、四番マーチン ホームラン~・・・」の歌詞でおなじみ(?)の「燃えよドラゴンズ!」は、この年に作られ、いまだにメンバーを変えて歌い継がれているのだ。おかげでその当時のレギュラーメンバー(高木・谷沢・木俣・マーチンら)は、私の年代のドラゴンズファンなら誰でも明確に覚えている。

しかしその後、私が小学校の高学年から中学生にかけての、もっともスポーツチームに気持ちを入れ込みたい時期、残念ながらずっとずっと彼らは弱かった。私の育った名古屋市内は、当然のことながらドラゴンズファンが圧倒的に多かったが、ごく稀にいる巨人ファンの「へそ曲がり」に全く頭が上がらない日々が続いたのだ。

その後、高校一年のとき(8年ぶり)、大学三年のとき(6年ぶり)、最初の転職をした直後(11年ぶり)にもリーグ優勝したが、日本シリーズでさっぱり勝てないことと、優勝の翌年に情けないほど弱くなってしまうことは相変わらずだった。もっとも、この程度の頻度のリーグ優勝は、それはそれでありがたみは増すかもしれない。私も上述の3回の優勝の瞬間、その時自分がどこで誰と過ごしていたか、はっきりと記憶に残っている。例えば1988年のリーグ優勝時は、友人たちと大学近くのラーメン屋台でテレビを見ていたな。あの「郭源治が泣いています」と言う東海テレビ吉村アナウンサーの歴史に残る実況を聞きながら、寒い中大汗をかいてラーメンを食べ、それが祟ってか翌日以降ひどい風邪をひいたことも良く覚えている。

そんな「思い出したように時々リーグ優勝するチーム」が明らかに変わったのは、もちろん落合博満が監督になってからだ。優勝の頻度だけでなく、8年間の長きにわたってずっと強豪であり続けたのは、過去まったくなかったことだ。

強くなっただけではない。たまにテレビで見る落合ドラゴンズは、判官贔屓を抜きにしても魅力的なチームだった。8年間君臨し続けた荒木・井端の二遊間の守備の美しさは言うまでもなく、期間は短かったが英智・アレックス・福留のスーパー強肩外野手の揃い踏みは、まさにプロでしか見られないものだった。これらプロ中のプロの美技は、いまだにYouTubeで楽しめることもありがたい。
 
 
実は私個人の生活も、落合博満が監督になった年(2004年)に大きく変わった。三度目の転職とともに37年間過ごした名古屋を離れ、横浜に住み始めたのがこの時。テレビ中継でドラゴンズの試合を見られる機会が激減するとともに、中日新聞や地元テレビ局の「大本営報道」や、実際のファンの声も耳に入らなくなった。

そんな中、本当に最近になって知って驚いたことだが、名古屋での落合ドラゴンズの人気はいまひとつだったらしい。あらためてネットの論調を調べてみると、解任発表前は落合批判派が多数を占め(代表例がこちら)、解任発表後に擁護派も盛り返してきたかと言ったところ。ネット上の落合批判派に言わせると、この8年間強かったのは「監督の功績ではなく単純に選手が良かったから」と言うことのようだ。もちろんネットの落合批判派は「良い選手がいる」状態がなぜ8年間の長きにわたって続いたのかの理由は全く明らかにはしていないが・・・

まあ、一般のファンが野球そのものよりも監督のキャラクターのほうに楽しみを求めるのは百歩譲って仕方ない。みるからに熱血キャラの星野や、文句のつけようの無い人格者キャラの高木守道に比べれば、寡黙なだけの落合は面白おかしくないのは理解できないこともない。

それにしてもだ!

球団フロントがそれにつられてどうするよ。しかも球団オーナーは新聞社なのだから、野球本来の魅力をファンに伝えるのが仕事だろう。メディアが商業主義になるのは仕方ないにしても、その商業主義にさえ徹底できていないのは情けない限りだ。あの強さと美しい守備は、十分にビジネスとしても魅力的のはずなのに、それを活かしていない。中日新聞は自分たちがラクすることしか考えていないのか。


そして今日、落合ドラゴンズの冒険は終焉を迎えた。中日新聞社の決断は、「彼らにとっての古き良き時代」へ回帰することだった。つまり、「たまにしか優勝できないが、そのたまの優勝が印象に残る」ような時代へとだ。呆れたことではあるが、中日新聞とドラゴンズ球団は、そのような懐古趣味でビジネスも回復すると本気で考えているらしい。この明らかな変化の時代に、変化そのものを拒んでしまったのだ。この場合の「変化」とは、安易に監督を変えることではもちろんなく、プロ球団を中心としたメディアとしてのビジネス戦略の変化のこと。強くて寡黙な落合ドラゴンズは、その寡黙さゆえにメディアにとって実に魅力的なコンテンツのはず。落合関連書籍が解任発表後にベストセラーになっていることがなによりの証拠だ。


いささか感情的な理由ではあるが、私も今日をもって30年近く続いたドラゴンズファンを卒業しようかと思う。ベイスターズさん、落合博満を監督にしませんか?そうすればファンになって年間5回以上はスタジアムに行きますよ。

NOT「ナベツネ 対 清武」 BUT「既存メディア 対 新興ネットメディア」

今日はIT関連の話題から離れて、時事ネタを。

プロ野球の巨人軍が騒々しい。
清武
 
この騒動の中身自体にはあまり興味はないが、少し視点を変えると興味深い事実が浮かび上がってくる。何年か後に振り返ると、歴史的な事件として振り返られるかもしれない重要な事実ではと考えているのだが、皆さんいかがでしょう?

どう言うことかと言うと・・・

既存メディアとしての新聞社の中枢にいる人物が、
自ら新興のネットメディアに対する敗北を公式に認めてしまった!

初の出来事ではないかと思うのだ。

言い方を変えると、「ナベツネ 対 清武」の泥仕合なんかよりも、「既存メディア 対 新興ネットメディア」の対立軸に注目したほうが、ずっと面白い。

新聞やテレビなど既存メディアの凋落と、それに変わる新興のネット系のメディアの隆盛が言われて久しい。少なくともビジネス規模の面では、まさにそのようになっている。「何年か後には今の形の新聞は消滅するだろう」と予想する人は多い。

その一方で、「記事の信頼性やクオリティの高さでは、ネット系メディアはまだまだで、既存の新聞テレビのほうが信頼できる。」と言う人もいまだに多い。少なくとも既存メディア内部の人たちはそのように言い続けている。

ところがだ!

巨人軍の清武球団代表は、ある意味社会人生命を賭けて内部問題の告発に踏み切ったわけだが、その記者会見をネットの動画配信サービス「ニコニコ動画」にも生中継させた。これは実は凄いことだと思う。清武さんは現在はプロ野球球団の代表をしているが、元々読売新聞の記者だった人物だし、今も読売新聞の中枢にいて当然新聞社の利害とも一致する立場にいる。

そんな人が、自らの社会人生命をかけた記者会見を、ネット動画で生中継させたのだ!

この人は十分に分かっていたのだろう。自分がこれからやる記者会見は、既存メディアには黙殺されるか、報道されたとしても曲解されるかだと言うことを。だから、自分の言い分を全て伝えてくれるネットメディアに助けを求めたのだ。つまり、既存メディアの代表格である読売新聞の中枢にいる人物が、「既存メディアだけでは信用できません。ネットメディアを入れないと正しい報道はされないのですよ」と、公式に認めてしまったことに他ならないのではないか。




この意味を理解しているかどうか不明だが、少なくとも(我が家が購読している)朝日新聞は、(清武代表の予想通り?)全く的外れの支離滅裂な論評をしている。

------以下、朝日新聞西村欣也編集委員の論評からの引用------
会社において、人事の内示は内示であり、変更されることは多々ある。それを記者会見を開いて、この時期に発表する意図は理解できない。
しかし、この声明の中にも真実が隠れているのも事実である。
-------------------------以上引用-------------------------

「理解できない」のは、西村編集委員の論評のほうだろう。この論評、素直に読むと「(たとえ会社内部で不正が行われていても)多々あることなら内部告発などするべきでない」と解釈できる。告発すべきかどうかの判断基準は、「多々ある or 滅多にない」ではなく、「不正が行われている or いない」だろう。であれば、「不正が行われているか否か」を独自に取材し、それを元に論評するのが新聞社の役目ではないのか。

また、「真実が隠れている」なんて、まさに思考停止していることを示す表現だろう。全てのことには何らかの真実が隠れており、「真実が隠れていないこと」なんて一体どこにあると言うのか?(全て嘘の内容にだって、「その嘘をつきたい動機がある」と言う真実が隠れている) 私自身も朝日新聞の記事には「真実が隠れている」と思うよ。だから高いお金を払って購読しているわけだが。  ---実は新聞を購読する最大の目的は、折込チラシなのだが、それはこの際置いておこう---


さらに西村編集委員は、同じ論評の中で上記主張と矛盾するようなことも書いている。
------以下、朝日新聞西村欣也編集委員の論評からの引用------
巨人という球団は清武代表が暴露したように、渡辺会長の「鶴の一声」で動いてきた。
(中略)
今年もそうだった。大震災に配慮し、電力問題もあったため、選手会が「開幕延期」を主張したのに、全く耳をかさずに、強行しようとして、世論の猛反発にあった。これは清武代表、あなたも同罪だ。
-------------------------以上引用-------------------------

清武代表はいったいどうすればよいのか?ナベツネ氏の言うことを聞けば「同罪だ」と弾劾され、それではと反旗を翻せば「理解出来ない」とされてしまう。


西村さんの気持ちもわかるよ。こんな支離滅裂な論評が出ると言うことは、同業者による「同業者らしくない行動」に随分腰を抜かしているのだろう。---それこそ「真実が隠れている」ね(笑)---

おそらく思うに、新聞社においては「社内問題の批判はタブー」と言う文化が出来上がっているのだろう。であれば、上で紹介した西村編集委員の「理解できない」と言う論評もうかがい知れる。清武球団代表も元読売新聞記者であり、社は違えど新聞社の一員が社内問題を内部告発するなんて、それはそれは仰天ものだったのだろう。もちろん清武代表も、そのタブーを分かっていたからこそ、「禁断のネットメディア」に頼らざるをえなかったのではないか。


別に現在のネットメディアが「実に素晴らしいものだ」とは私も思っていないし、それを礼賛するつもりもない。しかし、新興ネットメディアが既存新聞社に確実に勝る要素がひとつある。それは、読者からのフィードバックに非常に敏感であることだ。記事ごとに内容が評価され、多数の賛同者が得られる場合もあれば、いわゆる「炎上」する場合もある。そのような中でクオリティの高い記事のライターが生き残っていく土壌は少なくともある。(必ず質の高いものが生き残るとも断言できないが、既存メディアよりは相当にマシなシステムではあると言う意味)

一方の既存メディア。読者からのフィードバックは極めて限定的であることに加え、社内批判さえもタブー視されていることがうかがい知れる。これでは既存メディアの凋落のスピードは我々の予想よりもずっと早いかもしれない。今回の件は、それを象徴する出来事として記録に留めておきたい。



今回のエントリでは既存メディアを批判したが、これはどんな分野でも既得の力をもっている組織には起こりがちなことだろう。自分自身および自分自身が所属する組織への戒めとして胸に刻む必要があるのが、次のダーウィンの言葉。

チャールズ・ダーウィン
「最も強いものが生き残るのではない。最も変化に敏感なものが生き残るのだ」
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