約1週間滞在したSan Franciscoから、昨日(5月12日土曜日)日本に戻ってきた。実は、1週間前のSan Franciscoに到着した翌日から酷い風邪にやられていて、ほぼ寝込むためにSan Franciscoに行ってきたようなものになってしまっていた。皮肉なことに、到着直後に書いたエントリで、「風邪をひかないように気をつけなければ。」と書いた直後に風邪をひいてしまったわけだ。

海外滞在中に何らかの病気にやられたのは初めての経験で、日本から薬の用意はしておらず、下の写真の薬を現地調達した。
アメリカで買った風邪薬
この薬、「NIGHTTIME」用と書かれているだけあって、とにかく良く眠れる。飲んで10分もすれば、まぶたが鉛のように重くなって、とても目を開けていられない。ただし、「とことん熟睡できるか?」と言うと、そうでもなく、おそらく薬の副作用からか3,4時間後に猛烈に喉が渇いて、それで目覚めてしまうのが悩みどころ。この薬で「完治する」ことは結局出来なかったが、一番辛かった喉の痛み(最初は唾を飲み込むのも辛かった)が緩和されたのは確かなので、まあそこそこにはお勧めできる。

「Walgreens」と言う、全米に展開している薬屋(兼スーパーマーケット)のチェーンに行けば、処方箋無しで簡単に購入できる。またWalgreensは、San Franciscoのような大都市であれば、簡単に見つけられるので、米国滞在中での風邪などの軽い病気には、大いに利用できるだろう。ご参考になれば幸いだ。




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さて、ここからが今日のエントリの主題。

帰りの飛行機の中で、この映画を見た。

「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」(原題:The Iron Lady)

泣けた。涙が止まらなかった。
風邪も完治しておらず、気圧も低かったので通常より涙腺もゆるかったかも知れないが、流した涙の量だけから言ったら、これまで見た映画でNo.1と言えるくらい。

なぜ泣けたのか?
日本公開用の宣伝キャッチコピーでは、「国への想い」だとか「家族への愛」と言ったものが強調されているが、そのようなものに共感して泣いたわけではない。

サッチャーの下した「決断」と、それによって背負うことになった「責任」。この2つは、あまりにも重過ぎて、まず「見ているのが辛かった」と言うのが正直なところ(それが涙の一因であったことも否定しない)。そしてこの傍で見ていても辛くなるような決断と責任に対して、サッチャーは最後まで逃げずに常に正面から向き合っていた。これが涙の最大の理由だ。

映画の中でも取り上げられていたサッチャーの下した決断の代表例は、「新自由主義的な経済政策」と「フォークランド紛争」だろう。完全な弱肉強食(弱者切り捨て)と言える前者の経済政策や、時代錯誤な帝国主義とも言える後者の参戦など、サッチャーの決断を非難するだけなら、もっともらしい理屈をいくらでもひねり出せるだろう。いや、ひょっとしたらそれら非難意見のほうが正しかったかもしれない。だが、それでも彼女は決断した。決断して物事を前に進めた。前に進めれば、それは良くない結果も出てくる(フォークランド紛争では、英軍にも少なからぬ死者が出た)。そして、それらも良くない結果も、全て彼女は自らの責任として受け止めた。

現代のように高度にグローバリズムが進み、政治も経済も複雑化したよの中で、「正しい判断」をすることは、益々難しくなっている。何が「正解」かは、後だしジャンケンでも無い限り分からないし、ある時は「正解」と呼ばれたことが、時代が少し変わっただけで「不正解」になってしまうことも往々にしてある。
だが、結局のところ最後に求められるのは、マーガレット・サッチャーが見せたような決断力と責任の取り方ではないだろうか。それは政治だけでなく、企業経営や、個人の人生の判断においても。