実は昨年11月にブログを始めた頃からずっと、強く書きたいと思っていたテーマがある。このような形で「ブログを書く理由について」だ。

昨年末には、こんなエントリ(Start With Why)を書いた。2011年初頭の社内研修で、「Why」と言う理由をはっきりさせ、それを人に伝えることの重要性を思い知ったのだ。「Why」の重要性は、ブログに関しても当てはまる。「なぜブログをやっているのか?」を明確にしないままでは、書いてあることに対して読者からの真の共感を得ることなどできるはずもない。

だが、なかなか「Why Blog?」を書くことができなかった。自分の中では「Why Blog?」は分かっているつもりでも、書きたいことが多すぎて整理できないまま、ズルズルと月日が経ってしまっていたのだ。

このままではいつまで経っても書けない。そこで考え方を少し変えることにした。片意地張って「全ての理由」を書こうとせずに、少しずつ少しずつ、思ったことを書いていこうと思ったのだ。今日のエントリのタイトルに(その1)とあるが、(その2)や(その3)もそのうち書くと思う。だが、いつになるかは分からない。個別に書きたいことが整理されたときに少しずつ書いていくつもりだ。


このように考え直したきっかけは、最近この本を読み終えたことにある。


この本、Amazonの書評では低い評価も多く寄せられているが、私にとっては相当に興味深く読むことが出来た。以前から私が頭の中に描いていた「Why Blog?」を、明確に後押ししてくれる内容が、非常に豊富な事例を伴って丁寧に書かれていたからだ。


本の概要としては、タイトルの通り「キュレーション」の重要性が高まっていることの説明である。だが「キュレーション」と言う言葉自体がそれほど知られている言葉ではないかもしれない。元々「キュレーション」とは、博物館や美術館の学芸員の中でもさらに中枢の役割を担う「キュレーター」が行う仕事のことを指していた。「キュレーションの時代」の表現を借りるなら
世界中にあるさまざまな芸術作品の情報を収集し、それらを借りてくるなどして集め、それらに一貫した何らかの意味を与えて、企画展として成り立たせる仕事。
なのだそうだ。

旧来は美術館や博物館に限定された用語だったが、それが最近ではWebの世界でも(特に英語圏に於いて)よく使われるようになってきている。Webでのキュレーターとは、Web上にある膨大な情報に関して「独自の視点で情報を選定し、それを人々に届ける人」と言う意味になる。

そう、これこそまさに私がやりたいことだ!

Citrixの製品を中心に、様々なことに対して「山田晃嗣ならではの視点」を提供したい。そして、その情報は多くの人に喜んでもらえるものになると信じている。

ITに限らず最近の世の中に現れるものは大抵とても複雑で、同じものでも見る角度を少し変えるだけで全く違った見え方をするものが多い。何かに対して独自の視点を発見し、それを情報提供することは、そのモノ自体を造ることと同様に創造的な仕事になるはずだ。

私が勤務するCitrixの製品も同じだろう。私自身は製品の設計や製作に関わっていないが、恐ろしく多機能な製品なので、「独自の視点」による有用な使い方は多々ある。それを提供することは、多くの人々に有用な情報となるはずだ。


一方でこのような私の思いに対しては、次のような突っ込みもあるかもしれない。
「Citrix製品に関しては、既に公式なマーケティングメッセージとして十分な情報が発信されている。『独自の視点』など必要無いし、ましてやCitrixのいち社員が、会社の公式メッセージと異なることを発信するのは、混乱を与えるだけである。」


このような突っ込みがあったとしても、引き続き自信を持って「独自の視点」を提供していこうと思えるようなエピソードが、「キュレーションの時代」の中で紹介されていた。一見ITとは関係無さそうにみえるが、CDショップHMV渋谷店が閉店してしまったことに関してだ。これに対する見解が非常に興味深い。

HMV渋谷店は、2010年夏に業績悪化のために閉店してしまったわけだが、大手CDショップの旗艦店であり、渋谷に集まる音楽的に最先端を行く若者達をさらに牽引する店としても有名だったため、その閉店は一般マスコミにも大きく報道された。それらマスコミの見解は概ね次のようなものだった。

インターネットの音楽配信に押されてCDの売上げが落ち込んでいた。ネットが台頭してきたことが、HMV渋谷弊店の最大の要因。

ところが、「キュレーションの時代」の著者佐々木俊尚さんは、あるブログエントリの記述を引用しながら、上記の大手マスコミの見解に異を唱えている。そのブログエントリとは、「wonderground」と言う音楽レーベル運営されている加藤孝朗さんのブログのこと。

「キュレーションの時代」にも引用されている、 加藤孝朗さんのブログの記述 を、さらにここでも引用してみたいと思う。

ご存知、HMV渋谷は、90年代のある一時期には文化発信基地としての役割を担い、そこからは渋谷系と呼ばれる音楽を世に広めたりした功績を残した。ブームの中心にいつもいるお店だった事は、確かだ。

アルファベット順に置かれた棚以外の壁面のコーナーでは、バイヤー独自の企画で多くのシーンが紹介され、熱いながらも的確な批評も盛り込んだ解説が書かれていた。その解説を元にCDを買い、そして自分の音楽の見識を広めていった。どんどん膨らんでいく自らの知識の常に上を行くバイヤーの情報は、ネットなんぞない時代に確実にメディアの一つとして機能していたし、店にはとにかく客が放つ熱気と興奮で充満していた。

だが、そのうち、徐々にではあるが、HMVは変わっていった。同じく全国に支店を持つ外資系チェーンのタワーレコードと比べ、HMVは洗練された店づくりをするようになり、そういうイメージが定着していた。その時期、タワーが手作り看板に手描きのポップをべたべたと張り雑多な店づくりをしていたのに対し、HMVは綺麗に印刷された看板に、印刷された解説ポップを主流とし始めた。

HMVの各店舗は、ものすごいスピードで画一化されていき、個性を失っていった。その上、各店舗での裁量が制限されたことで店舗のバイヤーのやる気が明らかに低下し、直接プレゼンに行っても、熱心に話を聞いてくれる人が明らかに減っていった。

HMV渋谷の閉店。これは、確かに一つの時代の閉幕を意味する。が、これは時代の変化や、音楽販売を取り巻く環境の変化が招いた結果ではなく、HMVの経営姿勢が招いた結果だと、少なくとも僕は思っている。

HMV渋谷店の閉店は、とっくの昔に予想できていた。六本木にあったHMVの本社オフィスは、全く音楽の匂いのする場所ではなかった。だから、驚くべきことじゃないし、今更、メディアが大きく取り上げることでもない。配信や、アマゾンが、閉店の理由でもない。

結局は、人なんだよ。結局は、音なんだよ。


私が提供する「独自の視点」も、「熱いながらも的確な批評」として読者の皆様に受け取っていただき、有用情報源のひとつとしていただけることを目指して、このブログを続けて行きたい。