前回のエントリでは、「文書を閲覧するための道具」としてのコピー機が、iPadのような電子端末で置き換えられるプロセスを、「イノベーションのジレンマ」の観点から振り返ってみました。それだけで一つの見方として十分興味深いことだと思うのですが、そのような文書閲覧ツールとしての電子端末の発展に、コピー機最大手のゼロックス自身が大いに関与していたと言う事実もあり、これもまた歴史の皮肉であるのです。今回のエントリでは、そのことを整理してみたいと思います。

Xerox Alto
まず、この写真のコンピュータをご覧ください。この写真だけで、これが何物なのか分かれば、コンピュータの歴史に相当に詳しい人です。ほとんどの人は、分からないでしょう。
450px-Xerox_Alto_mit_Rechner

これは、かのゼロックスのパロアルト研究所(通称PARC:Palo Alto Reserch Center)が開発した、「Alto」です。1973年に作られたコンピュータなのですが、現在我々がWindows や Mac で当たり前のように使っているGUI(Graphical User Interface)を史上始めて実装したコンピュータとして、歴史にその名を残しています。マウスで操作ができるようになったのも、このAlto が初めてです。

このAltoが、1973年当時(半世紀近く前のことですが)に実際にどのような動きをしていたのか、これまでは私自身もよく分かっていませんでした。ところが最近になってAltoを実際に動作させているデモ動画がYouTubeで公開され、誰もが歴史的な偉業を見ることが出来ます。YouTubeには複数のAltoに関連した動画があるのですが、マルチウィンドウのGUIのデモとしては、下記の動画がもっとも分かりやすいでしょう。(動画開始1分頃からデモが始まります)



このデモの本来の目的は、GUIを見せることではなく、Smalltalkと言うプログラミング言語と、その言語を使って開発を行うためのプログラミング環境を見せることです。それでも半世紀近く前にどのようなGUIが実現できていたかを知るうえで、非常に興味深いデモとなっています。

ご覧になっていただければ、(画面は荒く動きはぎこちないながらも)現在に通じるマルチウィンドウやマウス操作と言ったGUIが、半世紀近く前に既に実装されていたことがよく分かります。これを発明し開発したのは、ゼロックスが作った研究所ですから・・・
現代に繋がるGUIやマウスを発明したのはゼロックスだ!
と言えるのです。

当時のゼロックスは、オフィスの必需品とも言えたコピー機で絶対的な強さを持っていましたので、有り余る資金を持っており、このような(当時としては売れるかどうかさえ不透明な)未知の技術の基礎研究に投資する余裕がありました。また、アラン・ケイをはじめとした、当時の最高の頭脳もパロアルト研究所に集めていたのです。

さらにゼロックスは、GUIの商品化でも世界初の栄誉を手にしました。こちらの「Xerox Star」がそれで、1981年に発売されています。
XeroxStar


実際の栄誉と実利を手にしたのは・・・
ところがです。最高の頭脳を集めて、時代を何十年も先取りしたものを発明し、さらに真っ先に商品化しておきながら、ゼロックスはそれを十分に活かすことが出来ませんでした。「GUIをそなえた最初のコンピュータ」として世界に認知されると言う世間的な栄誉(必ずしも正しくはありませんが)と、ビジネス的な実利を得たのは、スティーブ・ジョブズ率いるApple でした。

そう、初代Macintosh です。これなら上述したXerox Alto やXerox Starよりも、遥かに多くの人が知っているはずです。
firstmac

真の意味での「世界初のGUI」は、Xerox Alto やXerox Starだったとしても、それを知っているのは極めて僅かな人しかいません。多くの人は、スティーブ・ジョブズと初代Macintosh にその栄誉があると信じているのです。(だからと言って、スティーブ・ジョブズの功績を否定するつもりはありません。彼の凄さについても別途触れたいと思います)

さらに信じられないことに、パロアルト研究所でGUIを作ったゼロックスの技術者たちは、お人よしにもスティーブ・ジョブズ率いるAppleの技術者たちに、GUIのことを懇切丁寧に教えてあげていたのです。まさかそのことが遠因で、半世紀後に自社のビジネスが脅かされるとは知る由もなく・・・・



なぜゼロックスはGUIでビジネス的な成功を得られなかったのか?
Xerox Alto や初代Macintoshの時代から半世紀近くが経過した2018年現在、後だしジャンケンのように過去を振り返れば、当時のゼロックスは随分間抜けなことをやっていたように思われます。せっかくの独自技術を持っていたわけですから、その後のAppleや、後に続くMicrosoft(Windows)で出来たように、ビジネス的に成功することは十分に可能だったはずです。そうしていれば歴史は変わり、2018年現在スマートフォンやタブレット端末で覇権を握っていたのは、Appleでは無くゼロックスだったのかもしれないのです。

もちろん、これは後出しジャンケンでしかありません。当時の状況でなら、ゼロックスのやったことはは全くもって「まとも」なことだったのです。GUIを搭載したコンピュータがどれほど売れるのかは、当時としては全く未知数でしたし、仮に売れたとしても巨大企業のゼロックスからすれば、大した額にはなりません。(実際にXerox Star はビジネス的な成功を収めることはできませんでした) さらには、そのようなものが広まったら、自分たちのコピー機のビジネスを脅かしかねないのです。

少し極端な例ですが、ゼロックスのやり方が「まとも」であったことが納得できるエピソードがあります。1か月ほど前のエントリで紹介した「風雲児たち」の場面に、次のような場面がありました。
エレキテルを老中 田沼意次に披露する平賀源内。
田沼:「して何の役に立つのじゃ?」
源内は言葉に詰まるが・・・・
源内の頭には、冷蔵庫、テレビ、蛍光灯と言った家電製品が頭に浮かび、
さらには煌煌と明かりが灯された大都市の夜景も頭に浮かぶ・・・
源内:「はっ」 「今のは・・・・」
田沼:「何をぶつぶついうとるんじゃ」「一体何の役に立つのじゃ」
源内:「一体何の役に立つのだろう・・・・」
田沼:ズッコける
風雲児たち2


これは、江戸時代の発明家平賀源内が、エレキテルへの投資を老中  田沼意次にもちかけた場面なのですが、江戸時代に電気が何の役に立つのか知る由もありません。そのようなものに巨額の投資をするのは狂気の沙汰以外の何物でもないのです。

程度の差こそあれ、1973年当時にGUIを持つコンピュータに巨額の投資をするのも、同様に狂気の沙汰と言えるでしょう。当時のゼロックスの判断は、極めて「まとも」なものでした。

結果としてゼロックスは、自ら発明した「GUIを持つ電子端末」によってコピー機ビジネスを圧迫されました。同様に、写真フィルムのメーカのコダックは、デジタルカメラによって自社ビジネスを圧迫されましたが、実はデジタルカメラを発明したのは、コダックだったのです。このことは偶然ではありません。まさにそれがイノベーションのジレンマなのです。


それではなぜ、スティーブ・ジョブズは、ゼロックスが出来なかった「GUIによるビジネス的な成功」を成し遂げることができたのでしょうか?次回のエントリでは、そのことに踏み込みたいと思います。