初の生観戦
もうかれこれ2週間も前の話なのですが、1月2日に外出した際にはからずも「箱根駅伝」に出くわしてしまいました。狙って見に行ったわけではなく「ぶつかったら渋滞するだろうな」程度には意識してクルマを走らせたのですが、予想以上に道路が流れてトップを走るランナーの直前で駅伝コースにぶつかった次第です。警察の指示でしばらくクルマを停止させられ、そのおかげで駅伝コースから数十メートル離れたところからレースを(トップから最後尾まで)見物できました。

下は、私が停止させられた位置から撮影した写真です。日なたから日陰を撮影したため写りは悪いですが、ランナーの後に撮影用のバイクと白バイが続いているのがご覧になれるはずです。
箱根駅伝







箱根駅伝の生観戦は全くもって初めてだったのですが、沿道からの
「がんばれー!」
と言う声援が、テレビで観るよりも遥かに大きく聞こえたことが強く印象に残りました。確かにあれだけの声援をずっと浴び続ければ、限界以上の力が出せると言うのも頷けます。


青山学院大学 原監督の偉業とその主張
さてその箱根駅伝ですが、結果はご存知の通り青山学院大学が4年連続の総合優勝。大学のスポーツ競技で4年連続と言うことは、その間にほとんどのメンバーが入れ替わっているはずで(最初の年の1年生が今は4年生)、特定の選手の能力だけでは成し遂げられないはずです。これはもう、原監督の手腕が凄いと言う理由以外に説明のしようがないと思うのです。

さてその青山学院大学陸上部の原監督ですが、今回の箱根駅伝4連覇によって、従来からの主張をさらに声高に訴えています。それは即ち・・・
「箱根駅伝を全国化して、関東だけでなく全国の大学が出場できるようにしよう!」
と言う主張です。

知らない人もまだまだ多いのではと思うのですが、日本で最も多くの人が注目する陸上競技の大会である箱根駅伝は、 「関東学生陸上競技連盟」が主催するいち地方大会でしかありません。そのために少なくとも現状では、関東以外の大学は箱根駅伝には出場できないようになっています。例えば関西大学や中京大学と言った他の競技で強豪として良く聞く大学でも、箱根駅伝にはどうあがいても出場できないのです。

結論を先に言ってしまうと、今回のエントリで私が主張したいことは原監督と同じで「箱根駅伝全国化すべし」なのですが、これについて調べれば調べるほど、一筋縄では行かなさそうと言うことがわかります。現にこちらの記事では原監督の箱根全国化の主張は、他の箱根駅伝出場校からは苦々しく思われているなどと伝えています。

一部引用します。
しかしこれを苦々しく見ているのが、古参である中央大、早稲田大、日本大らの関係者だ。週刊誌記者が語る。
記事で書かれた「古参大学」が本当に全国化に反対しているかどうかは疑問ではありますが、このような記事が出てくること自体、それを拒む何らかの力が働いているとみてとれます。そのような中で、なぜ青山学院大学原監督は箱根駅伝の全国化を訴えているのでしょう?
「関東の大学限定」と「全国の大学が出場可能」のどちらが「本来あるべき」姿なのでしょうか?

これを探るためには、箱根駅伝が生まれた歴史から紐解いて調べる必要がありそうです。


箱根駅伝の歴史とその魅力
テレビ観戦にしろ生観戦にしろ、箱根駅伝が面白い競技であることは認めざるをえません。その歴史を調べることも、それに匹敵するくらい興味深い発見の連続でした。

まず紹介したいのが、我々が普段使っている「箱根駅伝」と言う呼称は、あの駅伝競技の正式名称ではないと言うことです。正式な名称は「東京箱根間往復大学駅伝競走」と言う非常に長ったらしく、おそらく日本人の9割は聞いたこともないであろう名称なのですが、さらに驚いたことに、我々が普段使う「箱根駅伝」と言う名称は、読売新聞東京本社の登録商標として登録されているのだそうです。

これを知ると私などはどうもきな臭く感じてしまうのですが、箱根駅伝が生み出されたきっかけは、きわめて崇高なものでした。以下、箱根駅伝公式サイトからの引用です。
箱根駅伝が誕生したのは、1920年(大正9)、今から90年も前のことである。
創設の原動力になったのは、マラソンの父として知られる金栗四三らの「世界に通用するランナーを育成したい」との思いだった。

Wikipediaによると、誕生後はそれなりに紆余曲折があったようですが、1987年から日本テレビによる完全生中継が始まったことで人気を決定づけ、正月の風物詩として完全に定着したようです。

箱根駅伝のテレビ中継は、見る者を飽きさせません。1月2日に5時間ぶっ続け、さらに翌1月3日にも5時間ぶっ続けで観ていられるほど面白いです。その面白さは、箱根駅伝特有のドラマ性に起因しており、さらに言うならば、残酷なまでの悲劇性こそ最大の魅力なのではないでしょうか。たった一人のコンディション不良が、同じチームの他の9人のランナーの1年間の努力を無にしてしまいかねず、実際にそのようなドラマが生放送中に頻発するわけです。さらには、シード権を失うことで翌年の選手にも影響を与え、それが大学自体の志願者数の増減にも影響を与えてしまうのです。このような悲劇を、日本テレビの中継はことさら強調して放送します。

傍から観戦するには極端なまでに魅力的なドラマですが、この過剰なまでの演出(?)に疑問を呈する人たちも一定数いるようです。彼らは、どのような観点で批判しているのでしょうか?

かなり長くなってしまったので、本日のエントリはこのあたりで。
続きは次のエントリにて。