星野仙一が急逝したことに、私も大いに驚きました。

私は生まれも育ちも名古屋で、ずっとドラゴンズファンでした(ほぼ過去形)から、彼に対してはそれなりに思い入れはあります。とは言っても、私がドラゴンズファンであった時でさえも「星野仙一が好き」だったわけではなく、どちらかと言うと彼のことを醒めた目で見ておりました。

亡くなった後なのでご多分に漏れずマスコミ記事にはポジティブな評価ばかりが溢れていますし、監督をした3球団でいずれもリーグ優勝を成し遂げたのは、凄いことだと思います。一方で、私が彼のことを好きになれなかった理由の一つが、監督として長期間強さを維持させる能力に欠けていたことです。ドラゴンズでの2回の優勝の後はいずれも弱くなって辞任していまし、楽天でも優勝の翌年は最下位でした。逆に、(ドラゴンズファンの間では評価の低い)落合博満は、監督として長期にわたって強さを維持できていました。このあたりの監督落合博満への世間一般の評価の低さへの不満とドラゴンズへの複雑な思いについて、6年以上前のエントリーに書いています。


さて、ここからが今日のエントリの本題なのですが、私が星野仙一のことをどうしても好きになれなかったもう一つの理由であり、さらには上記した「強さを維持できない」理由の一つであるとも考えているのが、彼のいわゆる「鉄拳制裁」です。

こちらの記事には、その凄惨な模様が書かれています。

一部引用させていただきましょう。
むしろ打たれて“鉄拳指導”の矛先が向けられたのは、リードをしていた当時の正捕手・中村武志(47)が断トツだった。「独自の理論で、育てるという意味合いがあったのは確かでしょう。それにしても、中村は日々標的となっていた。顔面に付着した血が固まった状態で試合前の練習に出てきたことがありました。そればかりか、顔が変形するほど殴られ、翌日には顔が膨れ上がってしまって、普通にはかぶることもままならなくなったマスクの中に、無理して顔を押し込んだこともあったほどです」(球界関係者)


「90年、試合中にもかかわらず、星野監督が主砲の大豊泰昭(50)をベンチ裏でボコボコにブン殴ったんです。大豊は無抵抗のまま鼻血をダラダラと流していた。それを大物助っ人として好成績を残していたバンスロー(57)が目撃してしまったんです。彼は2年契約の1年目だったのですが、『こんなチーム、ダメだ』と退団を決意しました」(元ドラ番記者)

匿名記者による伝聞であるので信憑性は保証できません。それでも彼の鉄拳制裁は当時から有名で、本人を含めて誰も否定していませんでした。私もテレビ映像で試合中に凡退した打者にベンチで蹴りを入れる姿を実際見てますので、大きな嘘はないのでしょう。

さらには審判への暴行に対しては、その全てがテレビで中継されることで(被害者の審判本人ではなく第三者からですが)刑事告発までされています。

さて、敢えてこのタイミングでこのことを書くのは、「死者に鞭打つ」ようで心苦しくもあります。それでも取り上げるべきと考えたのは、ごく最近の別の「暴力事件」との扱いのバランスの悪さに大きな違和感を感じたからです。

そうです。大相撲の日馬富士の暴力事件についてです。

片や星野仙一は、生涯にわたってほぼネガティブな評価を受けることなく暴力事件の後も次々と重要なポジションを歴任し、殿堂入りまで果たしてしまいました。その一方で、片や日馬富士は世間から猛バッシングを浴びた上に不本意な引退にまで追い込まれてしまいました。

違いはなんなのでしょう?
一つの大きな違いは、「時代」なのかもしれません。

確かにここ数十年で、「(広い意味での)体罰」に対する認識は大きく変わりました。20年前ならある程度許されていた体罰が、現在は全くもってダメなものだと大きく認識が変わっています。実際星野仙一も、楽天監督時代には鉄拳制裁を使わなかったとのこと。
でも、時代で認識が変わったからと言って、過去のものが許されて現在のものだけ厳しく咎められることで良いのでしょうか?少なくとも「セクハラ」に関しては、そのように扱われていません。セクハラについても体罰同様この20年ほどで世間の認識が大きく変わりましたが、甘かった時代の過去のセクハラ被害を訴えることが昨年から行われています。そのような「過去の蒸し返し」は、少なくとも現時点では概ねポジティブな評価を受けているのです。

あるいは、このアンバランスに対して「仕方がない」と言う人は、被害者側の感情の違いを挙げるのかもしれません。
警察に訴えた貴ノ岩に対し、星野仙一から鉄拳制裁を受けた中村武志や大豊泰昭は、不満さえも口にしなかったことは確かです。でもこれ、フェアな比較と言えるでしょうか?後者の二人と加害者の関係は「部下と上司」であり、よほど制度としての救済の仕組みが無い限り、下手に不満を訴えれば自身に不利益が降ってかかることは目に見えています。加えて上記したように、当時は「愛のある暴力は許される」との風潮がありましたから、受けた暴力に対する不満を口に出すのは相当に勇気にいることでしょう。むしろ、星野仙一はそのような逃げようも無い弱い立場の人間に対して執拗に暴力を振るっていたわけですから、酔った勢いで突発的に暴力に及んだ日馬富士よりも遥かに悪質なように思います。

まさかとは思いますが、日馬富士がモンゴル人だからこの扱いの差が生まれるのでしょうか?
そうでは無いことを願うばかりです。 

誤解していただきたく無いのですが、私は日馬富士の暴力を擁護するつもりは毛頭ありません。個人的には、どのような場合も暴力は許せません。ただ、世間からのあそこまでのバッシングを行うのであれば、過去に遡ってあらゆる暴力に対して、同様の扱いをして欲しいところです。





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