私(山田晃嗣)が運営していた旧ブログ(Lecture notes in Psychohistory)の読者の皆様、大変お待たせいたしました。ようやくブログの引越しが完了し、旧ブログでの過去の記事をひと通りこちらの新ブログ(Living in the Flat World)に移し変えました。 もちろん今後の新たなエントリも、こちらのブログに追加していきますので、今後ともご愛読のほど、よろしくお願いいたします。

今日のエントリでは、こちらの新しいブログのタイトル「Living in the Flat World」に含めた私の思いを語らせていただきます。

----------------------------
新ブログ名称:「Living in the Flat World(平らな世界での生活)」とは?

私がこれまでに読んだ本の中で、最も強烈な印象を受けた本の中のひとつである、下記の本から「Flat World(平らな世界)」と言うキーワードを拝借している。
 フラット化する世界
<Amazonでの購入はこちら(普及版) >

この本は、リーマンショック以前に出版された本であるため、グローバリズムを礼賛しすぎていている点で、少々突っ込みどころの残る本ではある。しかしそれを差し引いても、まだまだ十分に読む価値のある本だと思う。今世界で起きている「変化」の実態とその理由を、的確にわかりやすく表現している点で、他の本の追随を許さない。何よりも、「The World Is Flat (世界は平らだ)」と言う、簡潔かつ刺激的なタイトルが素晴らしい。単に刺激的なだけではない。本当に「世界はフラットだ」と実感することが、最近益々多くなってきているのだ。

どうして「世界はフラット」と言えるのか?

例えば20年前の日本とインドの関係は、決して「フラット」ではなかった。インド人として産まれるよりも、日本人として産まれたほうが、明らかに恵まれていたと言える。日本人とインド人が、ビジネスにおける「競技場」で戦う必要が生じることは滅多に無かったし、仮に戦うにしても、あらゆるルールは日本人に有利に出来ていた。競技場は決してフラットでは無かったのである。

2012年現在はどうだろう?我々日本人がインド人と ビジネスの世界で 戦うことは珍しくなくなった。それでもまだ少しは日本人に有利なハンディキャップは残っているかもしれない。しかし、今少しあるハンディキャップが、今後益々少なくなっていくであろうと言う予測に、意義を唱えられる人はほとんどいないのではないか。我々は知らず知らずの間に、「日本人である特権」に甘えてきたが、そんな特権はもう長続きしない。個人個人が「Flat World」と言うハンディの無い世界で、インド人や中国人達と戦わなければいけないのだ。

悲観すべきことばかりではない。

「情報の伝達」も、明らかにフラットになった。20年前は、テレビや大手新聞を頂点としたマスコミが高い位置にあり、その他の人々は低い位置しかいなかった。水が上から下に流れるかのごとく、情報伝達もほぼ完全な一方通行でしかなかった。マスコミに縁の無い「普通の人」が何らかの情報発信をして、それを多数の人に広めることは「広告料」に莫大な資金を費やさない限りは、どだい不可能なことだった。

2012年の現在なら、何の資金も持たない「普通の人」が、何百万人を相手に情報発信をして、世論の動向を変えてしまうことは決して不可能なことではない。普通の人々でも、平らな競技場で大手マスコミと戦うことができるのだ。

下記は、「フラット化する世界」からの抜粋。
グローバリゼーション3.0は、世界をSサイズからさらに縮め、それと同時に競技場を平坦に均した。また、グローバリゼーション1.0の原動力が国のグローバル化であり、2.0の原動力が企業のグローバル化であったのに対し、3.0の原動力--これにたぐいまれな特徴を与えている要素--は、個人がグローバルに力を合わせ、またグローバルに競争をくりひろげるという、新しく得た力なのである。
ちなみに英語オリジナルだとこちら。
Globalization 3.0 is shrinking the world from a size small to a size tiny and flattening the playing field at the sama time. And while the dynamic force in Globalization 1.0 was countries globalizing and the dynamic force in Globalization 2.0 was companies globalizing, the dynamic force in Globalization 3.0 --- the force that gives it its unique character --- is the newfound power for individuals to collaborate and compete globally.

このフラットな世界に住んで(まさにLiving in the Flat World)、これから私はどうすればよいのだろう?

少なくとも私にとっては、このブログでの個人での情報発信を続けることこそ、今一番やらなければならないことだと思っている。その理由を、物凄く端折って書くと、下記の通り。
・私の周りで起きている多くのことは、今後世界が「より極端にフラット化」するための要因なのではないか。
・そうした出来事をただ漠然と見て感じるよりも、こうして文章化したほうが整理しやすい
・情報発信を続けることが、フラットな世界を生きていく上での武器になるかもしれない。


取り留めの無いエントリになりましたが、今後も情報発信は続けます。よろしくお願いいたします。