前回のエントリに続いて、「イノベーションのジレンマ」に関してまとめる。

イーストマン・コダックの経営破綻を伝えるニュースには、多くの場合次のような論評が加えられていた。いわく「フィルム事業に拘るあまり、デジタルカメラへの対応が遅れてしまった」と。
そして多くの人は次のように考えただろう。
「もっと早くからデジタルカメラへの移行を進めていればよかったのに。」
「判断を遅らせた経営者の責任は大きい。」

しかし「イノベーションのジレンマ」によると、ことはそんなに簡単なことではないらしい。コダックのように、旧来技術(例:アナログカメラ)で良好な経営を行っている企業にとっては、不連続な技術革新(デジタルカメラ)を使った新規市場に参入することは、「不可能」と思えるほど難しく、参入したとしてもほとんど失敗してしまうと言うのだ。

なぜそこまで難しいのか?
「イノベーションのジレンマ」の著者クリステンセンは、いくつかのもっともな理由と、興味深い事例を挙げている。


【理由1】不連続な技術革新による新しい市場は、優良企業にとって旨みが無い
今現在「儲かる事業」をしている企業が、その儲かる事業のための資源を削ってまでして、「儲けの少ない新規事業」に力を入れることは、はたして正しい判断なのだろうか? 少なくとも短期的には、その正しさを裏付ける結果を得られることはまず無い。

前回のエントリで書いたように、「不連続な技術革新」は、登場直後は機能・性能・品質ともに良くない「粗悪品」として扱われる。したがってそのような製品では、少ない利益で安く売るか、もしくは極端に高くなって一部のマニアしか買わないかで、事業としての利益は極めて低くなる。いくら将来の市場拡大の可能性があったとしても、初期の時点では明らかに「投資すべきでない市場」なのである。

特にコダックの場合、カメラ購入後もフィルムによる収入の続くアナログカメラは、実に旨みのあるビジネスであり、フィルム収入の無いデジタルカメラへの投資は、当時は「自分の首を絞める」行為以外の何ものでもなかった。新規市場への投資は、短期的には明らかに損な行為なのだ。

それでも(例えばスティーブ・ジョブズのような)優れた経営者ならば、「未来への投資」として、儲けの少ない新規事業に投資するのだろうか? コダックはもっと早くデジタルカメラに投資すべきだったのだろうか? いや、それはあくまで「あと出しジャンケン」の発想である。以降の理由で説明するように、「新規事業の将来の市場予測」は、実は極めて極めて難しい。


【理由2】「不連続な技術革新」による将来の市場予測は極めて難しい
我々は、不連続な技術革新が市場においても成功し、旧来技術を使った製品を駆逐する例をたくさん見てきた。「アナログカメラを駆逐したデジタルカメラ」「大型コンピュータを駆逐したパソコン」「パソコンを駆逐する勢いのタブレット」などだ。
しかし、それらの影に隠れた「失敗作」も多くあることを忘れてはいけない。

こちらの写真の製品をご存知だろうか?
Apple Newton
ディスプレイ下のリンゴのマークに注目して欲しいのだが、これは1992年にAppleが発表したPDA(携帯情報端末)「Newton」だ。これを知っている人は、それなりのAppleマニアのはずで、一般にはほとんど知られていない。そのことからも分かるように、ビジネス的には大失敗で、鳴かず飛ばずのまま生産を終了してしまった。当時のCEOジョン・スカリーが「最重要プロジェクト」と位置づけて、研究・開発はもちろん、市場調査にも膨大な予算をつぎ込んだにもかかわらずである。

Appleのような企業でさえも、新しい市場は読み誤って失敗する。他の企業もしかりである。それにはれっきとした理由があって、「今存在しない市場」は、そもそも分析のやりようがないのだ。分析したとしてもその分析は、「持続的な進歩を前提とした既存の市場」の分析でしかなく、「不連続な革新による新規市場」の分析にはなっていないのだ。



【理由3】新規市場は、既存優良企業よりも新興企業には有利
完全な失敗に終わったとされているAppleのPDA「Newton」は、いったいどれくらい売れたのだろうか?「2年間で14万台」だったそうだ。これが「少ない=失敗」とされた根拠は、当時のAppleの全体の売上げに占めるNewtonの割合が1%にも満たなかったことによる。
ところで、次の製品の同じ期間の売上げ台数との比較は、非常に興味深い。
AppleII
このパソコンは1977年のAppleの大成功作「Apple II」で、これによってAppleは、当時のパソコン業界のリーダーの地位に立った。実は、大成功だったと言われるApple IIの販売実績は、「2年間で4万3千台」であった。それでも、社員が数名しかいなかった当時のAppleにとっては爆発的な成功と言ってよかった。

1992年当時、既に規模の大きくなったAppleにとっては、Newtonは失敗作だったかもしれない。しかし同じような製品を小さな新興企業が製造販売し、同じ程度売れれば、それは素晴らしい成功になっていたのである。つまり、不連続な革新を使った新規市場は、中小の新興企業にとっては簡単にビジネスを継続できても、大企業にとってはそう簡単にビジネスを継続できるほどの成功は得られないのである。



【理由4】不連続な革新技術による成功は、偶然の要素も大きい
新しい技術を生み出してそれがビジネス的にも成功すると、それは「成功事例」として大いに注目を集めることになる。現在のAppleへの注目がまさにそれだが、「成功には○○のような必然性があった」と語られることはあっても、成功を偶然の産物にしてしまう論評は極めて少ない。しかしそれは、偶然を理由にしては物語的に面白くないだけで、偶然による成功事例は実際には相当に多くあるようだ。

クリステンセンによると、ホンダが小型オートバイでアメリカ市場で成功したのは、全くもって偶然と幸運の産物であり、成功するための主体的な戦略・投資を、当時のホンダには全くと言ってよいほど実施していなかった。むしろ、当初は完全に間違った戦略・投資をしていたのだ。

1959年当時のホンダは、米国市場に進出するにあたって「市場調査」を行い、「米国では50cc程度の小型バイクなど誰も欲しがっていない=小型バイクの市場は無い」と結論づけた。そのため米国向けに大型バイクを新たに開発し売り込んだが、既存メーカーに対する優位性に欠けたため、全く売れなかった。

ところが、「売るため」ではなく、当時は予算も限られていたホンダの社員が「自分たちの移動用」に持ち込んだ小型バイクが、周囲のアメリカ人達の注目を集め始めていた。市場調査によって「そんなニーズは無い」と結論づけられた小型バイクは、実はニーズは十分にあったのだ。アメリカ人にとっては「見たことないから欲しいと想像すら出来なかった」だけで、実物さえ目にすれば、それは十分に欲しいものだった。このような新たな市場は、「市場調査」では正しい答えを出せない。ホンダの場合、「予算削減のために、やむなく持ち込んだ小型バイク」が、偶然にも幸運を呼んだのである。

下記は、「小型バイクにもニーズはある」と気づいてからの、当時のホンダの広告。
Nicest people on a HONDA
それまでは、米国でのオートバイは、「マッチョな男たちの乗り物」としての市場しかなかったが、それ以外の「普通の人々」でも乗れるバイクがあることを啓蒙している。

 【まとめ】
ここまでのまとめとして、クリステンセンの記述をそのまま引用するのがよいだろう。

なお、これまで私は「不連続な技術革新」と言う用語を使ってきた。一方、クリステンセンの著書では「破壊的技術(disruptive technology)」と言う用語が使われている。実はこの2つは同じものだ。後述する理由により、私が勝手に呼び方を変えたいた。
「破壊的技術」と書くと、どうしても「破壊的なほど素晴らしい技術」と思われがちであるが、ほとんどの場合そうではない。むしろ粗悪な製品として世に出されることのほうが多い。「破壊的」なのはその内容ではなく、あくまでそれがもたらす結果のことである。「破壊的技術」が「素晴らしい技術」と勘違いされないように、あえて「破壊的技術」との用語を避けていた。下記の赤太字は、日本語版「イノベーションのジレンマ」からの、そのままの引用である。
(→以降の黒字は、私(山田)のコメント)


1.資源の依存。優良企業の資源配分のパターンは、実質的に、顧客が支配している。
→アナログカメラとフィルムを求める顧客がいる以上、コダックがその顧客の要望を無視することは容易ではなかった。

2.小規模な市場は、大企業の成長需要を解決しない。
→かつてのAppleの失敗作「Newton」は、大成功作と言われた「Apple II」よりも多く売れたが、大企業となったAppleの成長需要を満たすことができなかった。

3.破壊的技術の最終的な用途は事前にはわからない。失敗は成功への一歩である。
→ホンダの小型バイクがアメリカで受け入れられるとは、事前には誰も分からなかった。需要があるはずの大型バイクの失敗で、はじめて小型バイクの需要に気がついた。

4.組織の能力は、組織内で働く人材の能力とは関係ない。組織の能力は、そのプロセスと価値基準にある。現在の事業モデルの核となる能力を生み出すプロセスと価値基準が、実は破壊的技術に直面したときに、無能力さの決定的要因になる。
→大型コンピュータのビジネスで成功する組織の能力(プロセスや価値基準)は、パソコンのビジネスで成功する能力とは全く異なっている。

5.技術の供給は市場の需要と一致しないことがある。確立された市場では魅力のない破壊的技術の特徴が、新しい市場では大きな価値を生むことがある。
→家電としてのオーディオ・ビジュアル機器は、より良い画質・音質が求められ、持続的な技術はその要求に合わせて進歩した。画質・音質ともに劣悪な「ネット動画」は、不特定多数との共有と言う新しい市場では、その手軽さが大きな価値となった。

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では大企業は、不連続な革新にどう対処すればよいのか?
ここまでの記述で、コダックのような既存技術に強みを持った企業にとっては、不連続な技術革新に対処するのが「不可能」と言えるほど難しいことを書いてきた。不連続な技術革新を前にしては、衰退を待つしかないのだろうか?

僅かだが道はある。現に富士フイルムは生き残った。その方法については次回のエントリにて。


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2012年3月18日追記
富士フイルムさんの社名を、本来大きな「イ」で書くところを間違って小さい「ィ」で記載してしまっていた。謹んでお詫び申し上げると共に、本文修正させていただきました。申し訳ございませんでした。

キヤノンさんの「ヤ」と共に、富士フイルムさんの「イ」が小さくならないのは、有名な話だそうです。無知をBlogで晒すことは、恥ずかしいことである反面、学習の機会も与えられます。