注:このエントリを実際に執筆しているのは、2012年が明けてからのこと。ただし文章の構想を練っていたのは2011年末であり、時系列をすっきりさせるために、エントリの日付を2011年末とさせていただいた。 


<前日エントリからの続き>

【食料の確保と帰宅について】
震災の日、私を含めて数十人のCitrixの社員と、トレーニングを受講していた数名のお客様は、帰宅を諦めてCitrixのオフィスで一晩を過ごすことにした。おそらく他にもこのような形で職場で一晩を過ごした人たちはたくさん居たのだろうが、その中でも我々は相当に恵まれていたほうだった。なぜなら、Citrixのオフィスには飲み物や食料の備蓄がたっぷりあったのだ。食料とは言っても、ほとんどがスナック菓子類だったが、災害時の1回分の食事としては十分だった。さらには、ビールやワインまで、ここぞとばかりに出てきた。どうか不謹慎と言うなかれ。これらアルコール類も、不安を和らげる効果はあるはずなので、馬鹿には出来ない。

もしも食料の備蓄がなかったらどうなっていただろう? Citrixのオフィスは、高層ビルの23階と24階にあるのだが、震災直後からエレベータは動かなくなり、翌朝まで復旧はしなかった。何か食べたければ、タフな階段移動を強いられてコンビニかレストランに行く必要があったのだ。

苦労して階段で移動しても、食料が確保できた保証はない。聞くところによると、コンビニやレストランの在庫も早々に無くなったらしく、誰もが食料確保には相当に苦労したとのこと。あらためて自らの境遇の幸運さを噛み締める必要がある。と同時に、これを読んでいる会社員の皆さんにも訴えたい。今からでもある程度の食料の備蓄を職場に用意しておくことをお勧めする。必要な食料があるか無いかで、災害時の気持ちの持ちようは大きく違うはずなのだ。



夜遅くなると、24階のビルの窓からは、周りの道が渋滞で動かなくなっていることが良く分かった。電車がストップしてしまっている以上、帰宅には徒歩かタクシーかの選択肢しかなかったわけだが、少なくともタクシー移動が、あまりよくない選択肢だったことは想像できた。むしろ徒歩のほうが早かったくらいではないのか。徒歩での帰宅は、自宅までの距離に大いに依存するものだが、自宅がオフィスから約30kmも先にある私には、徒歩での帰宅は最初から問題外だった。

それにしても、震災発生時にオフィスに居たこと自体が、本当に本当に幸運だったと思う。私は仕事上オフィスにいないことが多く、オフィスにいる割合は勤務時間全体のせいぜい3分の1ほど。通勤時間も含めると、さらに会社にいる割合は少ない。この震災では、たまたま幸運な3分の1に引っかかってくれたわけだ。現に、同僚の多くは震災発生時に外出中で、そこからの帰宅に相当苦労したと聞いている。(ある同僚は、10時間かけて徒歩で帰宅した)

災害時の帰宅に関する今後に向けての教訓であるが、外出時に災害に見舞われた際は、無理に自宅に帰ろうとはしないようにすべきだと考えている。外出先が都心であれば迷うことは無い。自分の会社のオフィスに戻ればよい。問題は、(実際に私がよく訪れる)府中市や川崎市と言った微妙な場所にいたときの対処だ。この場合も、「しばらく現地に留まる」ことを優先すべきのように思える。このような場所は、都心に比べれば昼間の人口密度は低いので、食料も確保しやすいだろうし、駅舎や学校など緊急の場合に休める場所は、それなりに確保出来るのではと思える。普段から、緊急時の対応を意識しておくべきだろう。



【家族との連絡について】
震災発生後から継続的に妻との電話連絡やメールでの連絡を試みていたが、電話は全く繋がらないし、メールはこちらから送信はできても返信は返ってこない。ようやく電話が通じたのは22時を回ってからのことだった。幸い家族は無事だったが、いくつかの意外な事実がここで判明した。

第一に、私が想像していたよりもずっと横浜の自宅の揺れは大きく、妻と当時5歳の長女に相当な恐怖感を与えていたこと。食器棚の扉はしっかり閉ざされていたにも関わらず、揺れによって外側に動いた食器の重みで扉が開き、多数の食器が落下して砕け散ったそうだ。霞が関の23階オフィスの揺れが少ないからといって、横浜緑区のマンション11階の揺れが同程度とは限らないと言う事だ。現に、東京でも神奈川でも、揺れによる建物倒壊の直接的な被害が出ていた。地震の揺れは、狭い地域の中でも場所によって、或いは建物によって大きな差が出るものらしい。

2つ目に知ったこと。私の自宅一帯の地区が震災直後から停電になり、20時頃にようやく電力が復帰したとのこと。完全に真っ暗になってマンションのエレベータも止まった中で、家族は相当に辛い思いをしていたらしい。実は、この後も例の「計画停電」で、我が家は停電に悩まされ続ける事になるのだが、冬季の夜間の停電は本当に辛い。暖房や照明だけでなく、マンションの場合は水道も止まってしまうのだ。終わりの時間が明示されている計画停電でさえ相当に辛いものだったのだから、震災直後にいつ終わるともしれない停電に見舞われた家族の不安は相当なものだっただろう。もっと早く連絡が取れていれば、どれだけ家族の力になれたことだろうか。

さて、このような緊急時の家族との連絡について考えてみたい。今回の震災で「電話」が固定にしろ携帯にしろ、緊急時の連絡手段として役に立たないことは、誰にも強く実感できたと思う。メールでの連絡は、少なくとも相手が「携帯メール」の場合はダメだった。さらには、上記したように、私の自宅周辺は震災後停電になったので、我が家に限って言えばパソコンを使ったインターネットの利用もダメだった。災害時の家族での連絡方法は、さらに深く考えておく必要がありそうだが、なかなか明確な答えは無い。

これはさらに後になって知ったことだが、TwitterやFacebookは、震災直後も連絡手段として機能していたらしい。安くない料金を普段から徴収しているインフラが軒並みダウンして、基本的に無償で提供されているサービスが生き残っていたと言うのは、実に興味深いことだと思う。我が家も、災害時の連絡用のためだけに妻にTwitterを使えるようにさせた。

もちろんこれだけでは万全とは言えなくて、東日本大震災と同様に停電が起きてパソコンも無線LANも使え無くなった場合には、妻の持つ携帯電話(いわゆるガラケー)のインターネットアクセスだけが頼りになる。それが使えるかどうかは、災害が起きてみないと分からない。加えて、緊急時連絡手段としてのTwitterやFacebookは、東日本大震災前にはほとんど知られておらず、単にユーザが少なかったためにダウンしなかったのかもしれない。次に同じレベルの災害が襲った際には、TwitterやFacebookにもアクセスが殺到してパンクしてしまう可能性も否定できないだろう。とは言っても、「電話とメールだけが頼り」だった以前に比べれば通信手段は相当に冗長化されているわけで、このような可能な限りの対策を取るべきと意識できたことも、大きな教訓と言ってよいだろう。



【得られた教訓まとめ】
・広域で公共交通機関が止まるような災害がおきた場合は、無理に自宅へは帰ろうとせずに、その近くに留まることを第一に考える

・「その場に留まる」ためにも、職場にはスナック菓子などの食糧備蓄をすべき。外出先の場合は、早々に食糧を確保する。

・「食糧確保」の後は、「夜を越せる場所」を探す。最寄のホテルや公共施設などは日ごろからチェックしておくべき。

・緊急時の家族との通信手段としては、電話や携帯メールは使えない。Twitterなどの他の複数の通信手段を予め用意しておくべき。 


<次回エントリに続く>