Sony TabletやSamsungのGalaxyをはじめ、Androidタブレットの出品ラッシュが続いている。
Androidタブレット

これだけ色々な機種で賑やかになってくると、タブレットとして先行し既に市場に受け入れられているApple iPadとのシェア争いが面白いネタとなる。私は以前にこちらのエントリ(類似競合製品は無いと困る!)で書いたように、Androidタブレットの登場は、Appleに対する援護射撃にこそなっていても、iPadのシェアを脅かす存在にはなっていないと思っている。実際、通勤電車の中でiPadを開いている人は時折見れど、Andoroidタブレットを開いている人にはいまだかつて一度も出会ったことがない。読者の皆さんもそうなのでは?


ただ、上記のような私の考えは少数派のようで、「かつてWindowsの登場がMacをマイナーな存在に押しやったように、Androidタブレットもそのオープン性を武器に、iPadを凌駕するシェアを獲得するだろう。」と考えている人は多いようだ。

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ジョブズはスタイルやイメージの演出が卓越していることは認めますが、iPhone、iPad、iTunesが世界を変えたと思わないのです。ジョブズ後のこれらのツールはその閉鎖性の故に衰退するに違いありません。
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また、こちらのサイト(「iPad」がAndroidに敗れ去る5つの理由)でも、それなりにもっともらしい理由を挙げて、iPad衰退の理由を挙げている。


確かにかつてのMacintoshは、Windowsとの戦いに敗れ去って大きく市場シェアを落としてしまった。その最大の要因が、動作プラットフォームに関する「閉鎖性」であったとする説に反対する人は少ないだろう。歴史で「IF」が語られることは多いが、「もしもWindowsがリリースされるよりも早く、Appleが、Mac OSを他のPCベンダーに提供していたら?」と考えてみるのも面白いものだ。

しかしここで改めて断言したい。
今回のiPadとAndroidタブレットの戦いは、かつてのMacとWindowsのようにはならない!と。
少なくとも、iPadの閉鎖性とAndroidのオープン性が理由で、Androidが市場に受け入れられることは無い。

もちろん、Apple陣営が未来永劫に市場を寡占し続けることはありえず、いつかはシェアを落とすこともあるだろう。もしもそのようなことがあるとしたら、例えば次のようなケースだろうか。
1) 極めて強い人気を持つ特定のアプリ(もしくはサービス)が、iPadで使えないケース
(例えば、Googleマップ機能のiOS版の出荷をGoogleが停止するような事態)
2) 極めて多くの数のデバイスが必要な特定用途で、iPadが使えなくなるケース
(例えば、日本郵便の配達員全員に非iPadを持たせる決断が下るような事態)


いずれの場合も、非iPad陣営が「閉鎖性」を武器にした場合である。それゆえ非常に考えにくいケースでもある。Andoroidの本家本元であるGoogleが、Androidのオープン性を否定しても、Googleに何の得にもならないのだ。

結局何が言いたいかと言うと・・・
上で紹介したWindowsとMacの事例をもってして「閉鎖性:悪、オープン性:善」と言う図式が一般に考えられているが、「実はそんなことはないですよ」と強く言いたいのだ。

単にオープンと言うだけなら、LinuxデスクトップはWindowsよりも遥かにオープンなはずだ。ではデスクトップとしてのLinuxは一体どれだけ普及したのだろうか?Linuxはあまりにもオープン過ぎて、各ディストリビューションによって操作方法もバラバラ。キャズムで言うところの実利主義者(つまり一般の人々)にとっては、その「操作のバラバラ感」が最大の導入障壁だった。

AndroidもLinuxデスクトップと同じで、デバイスメーカによって実装もまちまち。したがって操作方法もバラバラ。一貫性のある操作性を提供しているApple製品とは、使い勝手の面で相当に差があると言わざるを得ない。

では、Androidタブレットが、iPad並の簡単操作を実現すれば(それ自体は十分実現かのうであることは認める)、iPadに脅威を与えられるのか?
いや、Androidがダメな理由はまだまだある。既に長くなってしまったので、次回以降のエントリで、そのことを書いていきたい。今日はここまで。

12月12日追記:
翌日のエントリで詳細な理由を説明。