Living in the Flat World

「世界はフラットになっている」と考えれば、世の中の変化も少し違った見方ができるはず!その考え方のもと、ITを中心に日常生活から世界のニュースまで幅広い題材を取り上げるブログ。

2012年01月

コダックの経営破綻と「イノベーションのジレンマ」(下)

前々回前回のエントリに続いて、「イノベーションのジレンマ」に関して。

コダックのような既存技術(アナログカメラ)に強みを持った企業は、不連続な技術革新(デジタルカメラ)に対して、どのように向き合えばよいのか?

【答え】
不連続な技術革新(クリステンセンはこれを「破壊的技術」と呼んでいる)を扱うための独立した新組織を作るしか方法は無い。

この新組織は、予算や企業文化の面で、本体組織とは完全に独立させなければいけない。相手にする顧客やパートナー企業も本体組織とは別のものであるべきだし、地理的にも本体組織とは離れた場所に置いたほうが良い。

もしくは既に不連続な技術革新に取り組んでいる別企業を買収するのも一つの手段である。ただしその場合、本体組織との統合や、本体組織からの介入は最小限にしなければいけない。



【成功例】
IBMは、元々大型コンピュータの製造販売に圧倒的な強みをもっていた企業である。
IBM System 360
そのIBMにとって、「パソコン」が将来脅威になりうる不連続な技術革新であることは、パソコン黎明期に既に予想されていた。ところが、黎明期のパソコンはある意味おもちゃのような代物で、ビジネス規模が小さすぎて巨大企業IBMが取り組めるものではなかった。しかしだからと言って、何もやらないと将来的に飲み込まれてしまうことも十分予想できる。つまり、典型的なイノベーションのジレンマに陥ってしまったのだ。

しかし、IBMは「イノベーションのジレンマ」が出版される20年も前に、この本に書かれている通りの正しいことを実施した。本社のあるニューヨークから遠く離れたフロリダ州に、完全に独立した組織を作ってパソコン事業を担当させたのだ。

こうして登場したのが、「IBM PC」である。
初代IBM PC
これをきっかけに、IBMのパソコン事業は少なくとも5年程度は十分に成功し、パソコン業界の中心的な存在となった。(2012年現在我々が利用しているWindowsパソコンも、この初代IBM PCの影響を受けている。パソコンの持続的進化の歴史を紐解くと、源流はこのIBM PCに行き着くのだ。)

成功していた5年間は、フロリダにあるIBMの新組織はニューヨークの本社にお伺いを立てる必要なく、自由に部品を調達し、独自の販売チャネルで自由に販売し、パソコン業界での競争上のニーズに適したコスト構造を自由に形成できる自立的な組織として存在していた。

残念ながらIBMのパソコン事業が成功したと言えたのは、最初の5年間のみだった。興味深いことに、パソコン部門と本体組織の緊密な連携を図ることをニューヨークの本社が決定したタイミングで、IBMのパソコン事業は衰退してしまった。2012年現在、もうIBMはパソコン事業から撤退している。

同様の成功事例は、IBMのパソコン事業だけでなく、HP(Hewlett Packard)のインクジェットプリンタ事業(それまでHPは、レーザープリンタから主な収益を上げていた)や、カンタムの3.5インチハードディスク事業など、相当数あるらしい。


【それでもコダックは失敗した】
「イノベーションのジレンマ」は、私のような経営学が専門ではない者でも知っている、最も有名なビジネス理論のひとつだ。コダックの経営陣は、「イノベーションのジレンマ」を読んでいなかったのだろうか?いや、それも考えにくい。

こちらの日経ビジネスの記事は、まさにコダックの件に関するクリステンセン教授のコメントを掲載していることが興味深いが、そのコメントは完全に納得できるものとは言いがたい。教授曰く「これほどの難題に直面した企業は他に見たことがない。新たに登場した技術が従来のものと根本的に違いすぎて、旧技術をもって課題を乗り越えるのは不可能だった」とのこと。コダックのケースは、本当に前代未聞の難題だったのだろうか?IBMが一時的にしろ乗り越えたパソコンだって、技術は従来のものと根本的に違いすぎるものだと思うのだが。 それに、富士フイルムが、危機を乗り越えられた説明にもなっていない。

富士フイルムとコダックが明暗を分けた理由に関しては、Web上で多くの論評が見られる。しかし、例えばこちらの「フラッシュ・メモリが日本発だから富士フイルムは生き残れた」との記事のように、ロジカルな説明になっていないものが多い。(「フラッシュ・メモリが日本発」は、理由の一つにはなっても、決定的な理由とするには、いくらなんでも根拠が薄弱)

もっとも納得のいく説明をしていたのが、こちらの大前研一氏の論評。日米の「株主の圧力の差」が、富士フイルムとコダックの明暗を分けたとのこと。日本の株主は、総じて企業がキャッシュを保持することに寛大で、そのキャッシュを使って新規事業に投資することが出来た。一方で、欧米の株主は、企業がキャッシュを持つことを許さない(株主への配当を要求する)ので、新規事業投資のための十分なキャッシュが無かったとのこと。

昨今、円高の影響で軒並み不調が伝えられる日本の製造業だが、この大前研一氏の見解は、日本企業の将来の競争力にひと筋の光を与えてくれるもののように思う。


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2012年3月18日追記
富士フイルムさんの社名を、本来大きな「イ」で書くところを間違って小さい「ィ」で記載してしまっていた。謹んでお詫び申し上げると共に、本文修正させていただきました。申し訳ございませんでした。

キヤノンさんの「ヤ」と共に、富士フイルムさんの「イ」が小さくならないのは、有名な話だそうです。無知をBlogで晒すことは、恥ずかしいことである反面、学習の機会も与えられます。
 

コダックの経営破綻と「イノベーションのジレンマ」(中)

前回のエントリに続いて、「イノベーションのジレンマ」に関してまとめる。

イーストマン・コダックの経営破綻を伝えるニュースには、多くの場合次のような論評が加えられていた。いわく「フィルム事業に拘るあまり、デジタルカメラへの対応が遅れてしまった」と。
そして多くの人は次のように考えただろう。
「もっと早くからデジタルカメラへの移行を進めていればよかったのに。」
「判断を遅らせた経営者の責任は大きい。」

しかし「イノベーションのジレンマ」によると、ことはそんなに簡単なことではないらしい。コダックのように、旧来技術(例:アナログカメラ)で良好な経営を行っている企業にとっては、不連続な技術革新(デジタルカメラ)を使った新規市場に参入することは、「不可能」と思えるほど難しく、参入したとしてもほとんど失敗してしまうと言うのだ。

なぜそこまで難しいのか?
「イノベーションのジレンマ」の著者クリステンセンは、いくつかのもっともな理由と、興味深い事例を挙げている。


【理由1】不連続な技術革新による新しい市場は、優良企業にとって旨みが無い
今現在「儲かる事業」をしている企業が、その儲かる事業のための資源を削ってまでして、「儲けの少ない新規事業」に力を入れることは、はたして正しい判断なのだろうか? 少なくとも短期的には、その正しさを裏付ける結果を得られることはまず無い。

前回のエントリで書いたように、「不連続な技術革新」は、登場直後は機能・性能・品質ともに良くない「粗悪品」として扱われる。したがってそのような製品では、少ない利益で安く売るか、もしくは極端に高くなって一部のマニアしか買わないかで、事業としての利益は極めて低くなる。いくら将来の市場拡大の可能性があったとしても、初期の時点では明らかに「投資すべきでない市場」なのである。

特にコダックの場合、カメラ購入後もフィルムによる収入の続くアナログカメラは、実に旨みのあるビジネスであり、フィルム収入の無いデジタルカメラへの投資は、当時は「自分の首を絞める」行為以外の何ものでもなかった。新規市場への投資は、短期的には明らかに損な行為なのだ。

それでも(例えばスティーブ・ジョブズのような)優れた経営者ならば、「未来への投資」として、儲けの少ない新規事業に投資するのだろうか? コダックはもっと早くデジタルカメラに投資すべきだったのだろうか? いや、それはあくまで「あと出しジャンケン」の発想である。以降の理由で説明するように、「新規事業の将来の市場予測」は、実は極めて極めて難しい。


【理由2】「不連続な技術革新」による将来の市場予測は極めて難しい
我々は、不連続な技術革新が市場においても成功し、旧来技術を使った製品を駆逐する例をたくさん見てきた。「アナログカメラを駆逐したデジタルカメラ」「大型コンピュータを駆逐したパソコン」「パソコンを駆逐する勢いのタブレット」などだ。
しかし、それらの影に隠れた「失敗作」も多くあることを忘れてはいけない。

こちらの写真の製品をご存知だろうか?
Apple Newton
ディスプレイ下のリンゴのマークに注目して欲しいのだが、これは1992年にAppleが発表したPDA(携帯情報端末)「Newton」だ。これを知っている人は、それなりのAppleマニアのはずで、一般にはほとんど知られていない。そのことからも分かるように、ビジネス的には大失敗で、鳴かず飛ばずのまま生産を終了してしまった。当時のCEOジョン・スカリーが「最重要プロジェクト」と位置づけて、研究・開発はもちろん、市場調査にも膨大な予算をつぎ込んだにもかかわらずである。

Appleのような企業でさえも、新しい市場は読み誤って失敗する。他の企業もしかりである。それにはれっきとした理由があって、「今存在しない市場」は、そもそも分析のやりようがないのだ。分析したとしてもその分析は、「持続的な進歩を前提とした既存の市場」の分析でしかなく、「不連続な革新による新規市場」の分析にはなっていないのだ。



【理由3】新規市場は、既存優良企業よりも新興企業には有利
完全な失敗に終わったとされているAppleのPDA「Newton」は、いったいどれくらい売れたのだろうか?「2年間で14万台」だったそうだ。これが「少ない=失敗」とされた根拠は、当時のAppleの全体の売上げに占めるNewtonの割合が1%にも満たなかったことによる。
ところで、次の製品の同じ期間の売上げ台数との比較は、非常に興味深い。
AppleII
このパソコンは1977年のAppleの大成功作「Apple II」で、これによってAppleは、当時のパソコン業界のリーダーの地位に立った。実は、大成功だったと言われるApple IIの販売実績は、「2年間で4万3千台」であった。それでも、社員が数名しかいなかった当時のAppleにとっては爆発的な成功と言ってよかった。

1992年当時、既に規模の大きくなったAppleにとっては、Newtonは失敗作だったかもしれない。しかし同じような製品を小さな新興企業が製造販売し、同じ程度売れれば、それは素晴らしい成功になっていたのである。つまり、不連続な革新を使った新規市場は、中小の新興企業にとっては簡単にビジネスを継続できても、大企業にとってはそう簡単にビジネスを継続できるほどの成功は得られないのである。



【理由4】不連続な革新技術による成功は、偶然の要素も大きい
新しい技術を生み出してそれがビジネス的にも成功すると、それは「成功事例」として大いに注目を集めることになる。現在のAppleへの注目がまさにそれだが、「成功には○○のような必然性があった」と語られることはあっても、成功を偶然の産物にしてしまう論評は極めて少ない。しかしそれは、偶然を理由にしては物語的に面白くないだけで、偶然による成功事例は実際には相当に多くあるようだ。

クリステンセンによると、ホンダが小型オートバイでアメリカ市場で成功したのは、全くもって偶然と幸運の産物であり、成功するための主体的な戦略・投資を、当時のホンダには全くと言ってよいほど実施していなかった。むしろ、当初は完全に間違った戦略・投資をしていたのだ。

1959年当時のホンダは、米国市場に進出するにあたって「市場調査」を行い、「米国では50cc程度の小型バイクなど誰も欲しがっていない=小型バイクの市場は無い」と結論づけた。そのため米国向けに大型バイクを新たに開発し売り込んだが、既存メーカーに対する優位性に欠けたため、全く売れなかった。

ところが、「売るため」ではなく、当時は予算も限られていたホンダの社員が「自分たちの移動用」に持ち込んだ小型バイクが、周囲のアメリカ人達の注目を集め始めていた。市場調査によって「そんなニーズは無い」と結論づけられた小型バイクは、実はニーズは十分にあったのだ。アメリカ人にとっては「見たことないから欲しいと想像すら出来なかった」だけで、実物さえ目にすれば、それは十分に欲しいものだった。このような新たな市場は、「市場調査」では正しい答えを出せない。ホンダの場合、「予算削減のために、やむなく持ち込んだ小型バイク」が、偶然にも幸運を呼んだのである。

下記は、「小型バイクにもニーズはある」と気づいてからの、当時のホンダの広告。
Nicest people on a HONDA
それまでは、米国でのオートバイは、「マッチョな男たちの乗り物」としての市場しかなかったが、それ以外の「普通の人々」でも乗れるバイクがあることを啓蒙している。

 【まとめ】
ここまでのまとめとして、クリステンセンの記述をそのまま引用するのがよいだろう。

なお、これまで私は「不連続な技術革新」と言う用語を使ってきた。一方、クリステンセンの著書では「破壊的技術(disruptive technology)」と言う用語が使われている。実はこの2つは同じものだ。後述する理由により、私が勝手に呼び方を変えたいた。
「破壊的技術」と書くと、どうしても「破壊的なほど素晴らしい技術」と思われがちであるが、ほとんどの場合そうではない。むしろ粗悪な製品として世に出されることのほうが多い。「破壊的」なのはその内容ではなく、あくまでそれがもたらす結果のことである。「破壊的技術」が「素晴らしい技術」と勘違いされないように、あえて「破壊的技術」との用語を避けていた。下記の赤太字は、日本語版「イノベーションのジレンマ」からの、そのままの引用である。
(→以降の黒字は、私(山田)のコメント)


1.資源の依存。優良企業の資源配分のパターンは、実質的に、顧客が支配している。
→アナログカメラとフィルムを求める顧客がいる以上、コダックがその顧客の要望を無視することは容易ではなかった。

2.小規模な市場は、大企業の成長需要を解決しない。
→かつてのAppleの失敗作「Newton」は、大成功作と言われた「Apple II」よりも多く売れたが、大企業となったAppleの成長需要を満たすことができなかった。

3.破壊的技術の最終的な用途は事前にはわからない。失敗は成功への一歩である。
→ホンダの小型バイクがアメリカで受け入れられるとは、事前には誰も分からなかった。需要があるはずの大型バイクの失敗で、はじめて小型バイクの需要に気がついた。

4.組織の能力は、組織内で働く人材の能力とは関係ない。組織の能力は、そのプロセスと価値基準にある。現在の事業モデルの核となる能力を生み出すプロセスと価値基準が、実は破壊的技術に直面したときに、無能力さの決定的要因になる。
→大型コンピュータのビジネスで成功する組織の能力(プロセスや価値基準)は、パソコンのビジネスで成功する能力とは全く異なっている。

5.技術の供給は市場の需要と一致しないことがある。確立された市場では魅力のない破壊的技術の特徴が、新しい市場では大きな価値を生むことがある。
→家電としてのオーディオ・ビジュアル機器は、より良い画質・音質が求められ、持続的な技術はその要求に合わせて進歩した。画質・音質ともに劣悪な「ネット動画」は、不特定多数との共有と言う新しい市場では、その手軽さが大きな価値となった。

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では大企業は、不連続な革新にどう対処すればよいのか?
ここまでの記述で、コダックのような既存技術に強みを持った企業にとっては、不連続な技術革新に対処するのが「不可能」と言えるほど難しいことを書いてきた。不連続な技術革新を前にしては、衰退を待つしかないのだろうか?

僅かだが道はある。現に富士フイルムは生き残った。その方法については次回のエントリにて。


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2012年3月18日追記
富士フイルムさんの社名を、本来大きな「イ」で書くところを間違って小さい「ィ」で記載してしまっていた。謹んでお詫び申し上げると共に、本文修正させていただきました。申し訳ございませんでした。

キヤノンさんの「ヤ」と共に、富士フイルムさんの「イ」が小さくならないのは、有名な話だそうです。無知をBlogで晒すことは、恥ずかしいことである反面、学習の機会も与えられます。
 

コダックの経営破綻と「イノベーションのジレンマ」(上)

米国を代表する企業のひとつであるイーストマン・コダックが経営破綻した。
コダック経営破綻
ニュースを聞いた瞬間に、これはまさに「イノベーションのジレンマ」だと思った。そのように考えたのは私だけではないらしく、Web上では既に、コダック経営破綻を「イノベーションのジレンマ」と結びつけて論評している記事が複数見られる。
その中で読み応えがあったのは下記の2つ。

(いずれも海外経済紙の翻訳で、日本人評論家による分析ではないのが少々寂しいが)

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「イノベーションのジレンマ」とは、ハーバード・ビジネス・スクール教授のクレイトン・クリステンセンの1997年発表の著書のこと。
イノベーションのジレンマ

この本は、知る人ぞ知るビジネス書の名著中の名著であるし、私自身も2007年頃に読んで「まさに評判通りの名著」だと確信した。今後も、コダックのように「イノベーションのジレンマ」で説明できる企業の衰退は多発すると思われるし、技術面での未来予測をするにはこの本の理論は不可欠だ。この本の重要性は益々高まっていくだろう。

今日からの一連のエントリでは、本を読んでいない人のためにと、自分自身の備忘録として「イノベーションのジレンマ」の理論をまとめておくとともに、コダックの事例をさらに深堀りして考えてみたい。

なお、以降の説明は、私(山田 晃嗣)がクレイトン・クリステンセン教授の本を読んで理解した内容を、私の言葉でまとめたものだ。内容的におかしなところや理解しにくい所があれば、責任はクリステンセン教授ではなく私にある。

【入門「イノベーションのジレンマ」】
市場で売られている製品やサービスは、供給者側の競争により、技術面でより良く進歩していくことが普通である。それら技術的進歩は大きく分けて、「持続的な技術の進歩」「不連続な革新」の2つに分類される。

情報機器の進歩で例えるなら、CPUのクロック、メモリ搭載量、価格性能比などが向上していくのは「持続的な技術の進歩」と言える。一方で、それまでキーボードとマウスを使って操作していたものから、マウスもキーボードもない「画面のタッチ」によって操作する情報機器(タブレット)の登場は、「不連続な革新」と言える。

上で例に挙げた「タブレット」では、iPadの登場があまりにも衝撃的だったので、「不連続な革新」とは「誰もが驚く凄い技術」であると思われがちだが、実はそうではない。
ほとんどの場合、「不連続な革新」が初めて世の中に姿を現す時は、「性能・機能・品質の劣る粗悪な製品」として登場する。
であるがために、登場当初は「不連続な革新」は正当に評価されず、注目も集めない。

しかし、そんな粗悪な製品でも、時間が経てばこちらも「持続的な技術の進歩」が得られ、いつか市場が要求する性能・機能・品質のレベルを超えることになる。

ここまでの流れを図に表すと、下記のようになる。(クリックで拡大)

今回伝えられたコダックのニュースの場合、赤矢印がアナログカメラで、青矢印がディジタルカメラであり、赤矢印のアナログカメラを作っていたコダックが衰退したと説明できる。


私が専門とするIT(情報技術)の世界では、次の例が一番有名である。赤矢印をかつての大型コンピュータ青矢印をパソコン、緑の点線を「企業情報システム基盤としての要求」と考えるのだ。登場直後(1970年代後半)のパソコンは、性能・機能・品質、いずれも貧弱すぎて企業の情報システムで使えるレベルでは無かった。それどころか将来そうなりうると予測できた人もごく僅かだった。ところが、持続的な技術の進歩で、いまやパソコンとそれから発展したPCサーバーが企業情報システムの中核を担い、大型コンピュータはごく一部の金融などの分野で使われているのみである。

興味深いのは、青矢印の例として筆頭だったパソコンも、ひょっとしたら赤矢印に分類されてしまう日も近いかもしれないことだ。その際に青矢印になりうるのがiPadなどのタブレットだ。

上にも書いたが、iPadの場合はその登場があまりに華々しかったので、「不連続な革新」による登場早々いきなり注目を集めたように思われがちだ。だが実はそうではない。タブレットのiPadは電話機のiPhoneからの「持続的な技術の進歩」であるし、さらに電話機のiPhoneは、携帯音楽プレーヤーのiPodからの「持続的な技術の進歩」とも言える。iPodが登場した際に、これをベースに持続的な進歩をしたものが、将来パソコンの存在を脅かすものになると予想できた人はまずいなかっただろう。

ここまで読まれたかたは、次のように思われたかもしれない。
「なるほど、技術革新を生み出せるよう研究開発に投資したり、革新技術を使った製品への移行を迅速に行うことが、今後の企業経営の重要な要素になりそうだ。」
「(例えばスティーブ・ジョブズのような)英断を下せるような経営者のいる企業こそ生き残れそうだ。」

いや実は「研究開発や経営判断の問題ではない。」と、「イノベーションのジレンマ」で、著者クレイトン・クリステンセン教授は書いている。
赤矢印の企業にとっては、どんなに研究開発に注力して、どんなに正しい経営判断をしても、青矢印の技術の出現すると、衰退への道以外は無いと。

普通に考えれば、研究開発に投資し、赤矢印の企業自身が青矢印の「不連続な革新」を行えば良いようにみえる。だが、うまく「不連続な革新」となるような技術を生み出せたとしても、それはビジネス的には必ず失敗するのだ。

我々は、この事実を忘れてはいけない。



国産タブレットも、今ならまだ間に合いますよ

昨日のエントリでは、Appleの電子教科書戦略を、ビジネスモデルの観点から見て相当に磐石なものであることを説明した。では、Androidタブレットを使って、この分野でAppleに競争を挑むことは出来るだろうか?

結論:ほとんど勝算はないだろう。

かつて「AndroidタブレットがiPadにどうしても勝てない3つの理由」と言うエントリに書いた理由が、電子教科書の分野にもそのまま当てはまる。特にこの分野では、iPadのサードパーティ製品(この場合は教科書コンテンツ)が質・量両面で既に圧倒しており、Androidタブレットが食い込む余地はほとんど残されていない。

コンテンツを作成する立場で考えて欲しい。
Appleが提供したビジネスモデルに便乗さえすれば・・・

1) 素晴らしいコンテンツ作成ツールが無償で提供されていて、
2) デファクトと言って良いほど対象プラットフォームが普及していて、
  (売れる対象がたくさんある)
3) 代金を回収する仕組みがしっかり用意されていて、
4) 機種ごとの違い(画面サイズなど)をいちいち考慮する必要がない。

現状では、これらAppleの利点を無視して、あえてAndroidベースで苦労してコンテンツを作る理由など全く無い。

Appleの優位点として挙げた上記 1)~4) のうち、ひょっとしたら 1)と3) については、追いつくことは「まったく不可能」ではないかもしれない。~ それでも相当難しいし、いったい誰がその仕組みを作るのか? Googleが作ってくれるのだろうか?~ だが、2)と4) に関しては、Android陣営がAppleに追いつくことは、もう絶望的と言ってよい。特に2)が最重要で、これこそがコンテンツメーカーを引きつけている魅力に他ならない。量を捌くことによって売上げを確保できれば、3)で徴収される「Appleへの上納金」も、大したことではない。

結果として、
コンテンツが充実する → プラットフォーム(iPad)が売れる 
 → さらにコンテンツが充実する → さらにプラットフォーム(iPad)が売れる
  → 繰り返し
の好循環が生まれ、ますますAppleの優位は磐石となるのだ。

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だがそれでも、Androidタブレット陣営(特に日本メーカ)が勝てる分野は残されている!

それこそ今日のエントリの本題なのだが、Appleの電子教科書は、(少なくとも現時点では)日本市場には全く手を付けていない。日本の教科書の「検定」の仕組みや、独特の流通には、さすがのAppleも手が出せなかったのだろう。つまり、日本の学校の教科書の電子化に限って言えば、まだまだ国産タブレットにも十二分に勝算があるのだ。

1ヶ月前のエントリで、AndroidタブレットがiPadに勝つためにはニッチマーケットで戦うしかなく、学校での利用はその一つだと書いた。その時点では私も、ここまでのレベルの教科書の電子化は想定していなかったが、具体的なモデルはAppleが示してくれた。このアイデアはアイデアとしていただいてしまおう。

これからの進め方としては、各タブレットメーカーがそれぞれ独自に動いてもダメ。役所(文部科学省など)や出版社も巻き込んだ上で、国産メーカーが足並み揃えて共同で共通基盤を作っていかなくてはいけない。メーカー同士で争っている場合ではないのだ。具体的には、メーカー間での共通仕様の作成や、コンテンツ作成ソフトの製作、役所や出版社にも正しく利益を分配できる仕組み作りでは、足並みを揃えないと前に進まない。

それでも、出版社や印刷業者はもちろん役所の中からも相当な抵抗があることが予想される。そんな場合は、その人たちにも「今はそんなことを言っていられる場合じゃない」ことを訴えよう。ぐずぐずしていると、国内の教科書出版も教育ITインフラも、黒船(Apple)に侵略されかねないのだ。Appleが米国での教科書の電子化を華々しく発表してくれたおかげで、これら抵抗勢力の勢いも多少は弱まるのではないか。

例えば富士通さん、Exileをキャラクターに使ったり、個別に凄い機能を備えたところで、そうそう簡単にiPadの牙城は崩せないと思います。



その理由は、右メニューの私の過去のエントリのうち「Android」と言うカテゴリのエントリをお読みください。


それよりも、まだAppleが手を付けていない、日本の教育市場をおさえるべきだと思いませんか?


 

「教科書の再発明」に隠れた真のイノベーション

Steve Jobs 亡き後も、そのDNAはAppleに引き継がれていると思わせる発表だった。2012年1月19日に発表された「教科書の再発明」と謳われた、あの発表のことだ。
教科書を再発明
誤解しないで欲しいのだが、私は「教科書(教材)を電子化してiPadで見られるようにしたこと」を特段凄い事だとは思っていない。教材の電子化は、「e-Learning」と言う名前で何年も前から実現されているし、既にビジネスとしても十分成立している。

では何が凄いのか?

磐石のビジネスモデル(端的に言うならば「後はラクして儲かる仕組み」)を作り上げたことだと思う。発表された後に「後だしジャンケン」で振り返れば、至極シンプルかつロジカルなビジネスモデルなのだが、今まで誰もやっていなかった。それをまたAppleが「発明」してしまったのだ。

例の「教科書の再発明」でAppleがリリースしたものを、もう少し詳しく見てみよう。これを紹介したテレビの映像などでは、いかにも利用する子供たちの興味を引きそうな、美しくて迫力のあるiPad上の教材の映像が流されていて、思わずそちらに興味が行きがちだった。しかし、Appleは「教材のコンテンツ(中身)」そのものは作っていないし、今後も作らないはずだ。

Appleが作ったものは何だったのか?

1つは、コンテンツ作成者用のツール「iBooks Author」
iBook Author
おそらくこのツールは、AppleとiPadの強みを活かして、コンテンツ作成者にとって飛び切り使いやすく魅力的なツールになっているのだろう。多くのコンテンツ作成者がこのツールで創造意欲を掻き立てられて、今後良質のコンテンツが充実していくことが予想できる。

2つ目は、電子書籍をiPad上で見るアプリ「iBooks 2」
iBook 2
既存のe-Learningアプリよりも、魅力的で使いやすいものになっていることは、少し見たテレビの映像から用意に創造できる。パソコンでのマウス操作よりも、iPadのタッチ操作は、特に教育分野では魅力的だ。

注目すべきは、新たに発表された上記2つのアプリが、いずれも無料で提供されることだ。
ではAppleは、どのようにお金を儲けるのか?


答えは既に運用中の「iBookstore」にある。これはいわば、Appleが経営する「電子書店」であり、「iBooks Author」を使って作成した電子書籍は、「iBookstore」が独占販売するのである。iBook Authorを使って誰かが電子書籍を作り、それを誰かが買うと、売り上げの一部が自動的にAppleに入ってくる。つまり、自らコンテンツを作らなくても、無料ツールに引寄せられて集まってきたコンテンツ作成者がコンテンツを作ってくれる。そしてそのコンテンツの売り上げの一部が、自動的にAppleの懐に入ってくるのだ。

実に素晴らしいビジネスモデルだ!
お賽銭


それにしても、言われてみればこんな簡単なことを、どうして今まで誰もこれを実現できなかったのだろう?

ひとつの理由として考えられるのは、「iPadと言う電子書籍に適した魅力的な端末があって初めて実現できた」と言う考え方だ。確かにWindowsパソコンでは、このモデルは成立しにくいかもしれない。

では、ハードウェア的な造りはだけならiPadに近いAndroidタブレットを使った電子書籍ビジネスは成り立つのか?これは深い問題なので、次回のエントリにて。

妻に iPod Touch をプレゼント

スマートフォンの購入を検討したが、「月々5千円以上のパケット定額は、いくらなんでも高すぎる!」と思って、購入を躊躇している人や、既に諦めた人は多いと思う。そんな人たちに、声を大にして言いたい。

「まずは、iPod Touch を買いなさい!」と。

一番安いモデルであれば、パケット定額3か月分でおつりがくる。無線LANのある家の中でなら、ほぼスマートフォンと同様に使えるので、まずこれで3ヶ月は様子を見るべきだ。

外出の少ない人で、「家の中で使えれば十分!」と思った人は、引き続きガラケーとiPod Touchを使えばよい。

「これは素晴らしい!これなら月々5千円以上払っても、屋外で使いたい!」と思った人は、パケット定額を払って、スマートフォンに乗り換えれば良い。iPod Touchの購入費用約1万5千円も、あながち無駄にはなっていない。

実は私もそのように考えて、妻にiPod Touch をプレゼントした。
iPod Touch

話は数ヶ月前に遡るのだが、それまで使っていた妻の携帯電話(au)が購入後2年経過しようとしていて、他キャリアへの乗換えか機種変更かを検討し始めたのがこの話の発端。

妻の周りでも、スマートフォンを使い始めた友達が増え始めたらしく、彼女もかなりスマートフォンに興味がある模様。しばらく携帯電話ショップを巡って、iPhone だの Android だのを見て回ったが、月々5千円以上も必要な「パケット定額」が、スマートフォン購入の最大のネックだと気がついた。

これまで使っていたガラケーでは、妻は典型的なライトユーザーで、自分から通話することもWebを閲覧らすることも滅多になく、もっぱら実質無料の携帯メールを中心に使っているのみだった。月々の使用料は、基本料金など全て合わせても3千円もかかっていなかったはず。

それがスマートフォンでは、一気に倍以上になってしまうのだ!!
これはいくらなんでももったいない。


そこで考えたのが、携帯電話は引き続きガラケーを使ってもらい、(機種は変更して新しいものにした)  それとは別に iPod Touch をプレゼントして、せめて家の中ではスマートフォン気分を味わってもらおうと言うもの。

結果は大成功!
専業主婦で外出の少ない妻は、十分にこれで満足している。

既に無線LAN環境の整っている家の中であれば、ほぼiPhone と同じように使える。使えないのは「電話番号を使った電話」だけだ。「電話番号を使った電話」などとわざわざ書いたのは、Apple純正のFaceTime や、Skypeであれば使えるからだ。

<FaceTime利用時のイメージ>
FaceTime

繰り返しになるが、「スマートフォンに必須なパケット定額は高すぎる!」と思う人は、是非iPod Touch を。

マカオ雑感

1月8日から12日の5日間、会社の研修でマカオに滞在していた。

私が勤めるCitrixでは、1月の年度スタート時に社員を集めた研修イベントを行うのが慣例になっている。数年前までは、本社のあるフロリダに世界中の社員が集まっていたのだが、昨今では社員の数が増えすぎて一箇所に集めるのは難しくなったらしく、全世界を2つに分割して開催されるようになった。「アジア太平洋地区」の研修イベントとしてマカオで開催されるのは、去年に引き続き今年が2回目。実はこちらのエントリで紹介した「Start with Why」は、1年前のマカオでの研修で教材として使われたものだ。

研修の内容自体は、残念ながら現時点ではBlogで公開することは出来ないので、それ以外の面でのマカオ滞在に関する雑感をまとめておきたい。

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真っ先に印象に残ったのが、諸外国から来た同僚達から、真っ先に震災のことを聞かれたこと。かなり心配してくれていたらしい。多額の寄付をしてくれた者もいて、そのお礼を言うとともに、今の日本の現状を「大丈夫」と言うべきか「大丈夫じゃない」と言うべきか自分でも分からなくなってしまい、ましてやそれを英語で説明しなければいけないものだから、相当に苦労したことを覚えている。

研修は、「City Of Dreams」と呼ばれる、カジノを中心に複数のホテルが集まる施設内のイベント会場を借り切って行われた。
City Of Dreams Macau
ここは豪華そうな施設の割にはレンタル料金が安く、円高もあって日本で同程度の設備を借りるよりも相当に安価にすむらしい。にわかに信じ難いが、参加した社員の飛行機による移動費を加えても、マカオ開催のほうが安く済むとのこと。

ホテルの室内は、ちょっとした大名気分だが、これでも一泊二万円以下。
Room of Grand Hyatt Macau



研修施設のある一角は、「コタイ地区」と呼ばれ、かつては海だったが比較的最近(2000年頃)に埋め立てられた地区らしい。マカオの観光資源である豪華なカジノが立ち並び、建物だけを見るとLas Vegasと勘違いしそう。

<こちらは研修会場すぐ隣の、マカオのVenetian Resort>
Venetian Macu

<こちらは本家Las VegasのThe Venetian>
Las Vegas The Venetian


Venetianホテルは、Las Vegasが「本家」かもしれないが、「Venetian」のコンセプトは、実はイタリアの都市ベネチアのいわばパロディー。それだけでなく、Las Vegasと言う町自体が、Venetianやエジプトのルクソールなど、世界中の都市文化のパロディーなわけで、さらにそのLas Vegasを真似たマカオは、「パロディーのそのまたパロディー」と言う、何とも微妙な位置づけになっている。

とは言っても、マカオのカジノの売上げ規模は、本家Las Vegasを上回っているらしいので、パロディーだからと笑ってばかりもいられない。
そのマカオのカジノに大金を貢いでいるのは誰かと言うと、かの製紙会社の御曹司のような日本人も一部いるかもしれないが、大半はお隣中国の富裕層なわけで、超大国中国の底力を身をもって実感したような気がした。


ご多分にもれず、研修に参加した同僚のCitrix社員たちも、そこそこの金額をカジノに貢いでいたようす。私はと言えば、賭け事には全く関心がないので、研修以外はもっぱら食事を楽しんでいた。

全般に美味しい中華料理が食べられるが、なかでも絶対にお勧めなのが「六棉酒家」

最初はホテルのコンシェルジュに薦められて行った店なのだが、本格中華料理が実に美味しいうえに、信じられないほど安い!!(一人3千円程度で、相当豪華なものが食べられる) 
この店は「地球の歩き方」にも載っていないし、Webで調べても日本語での紹介記事は非常に少ないので、観光客よりも地元の人々をターゲットにした店なのだろう。穴場と言ってよい。
そのためか、この店の唯一の難点は、店員に英語がなかなか通じないこと。

以下、六棉酒家で食べた料理の写真いくつか。
六棉酒家

六棉酒家

六棉酒家

六棉酒家

六棉酒家

六棉酒家

六棉酒家

六棉酒家

六棉酒家

こんなのばかりを、たらふく食べていたので、帰国後は恐ろしくて体重計に乗ることが出来ない。

(Las Vegasの写真以外は、全てiPhone 4Sのカメラで撮影)

YouTubeと著作権

以前からずっとやりたかったのだが時間が無くて実行できなかったことがあった。大昔のバンド活動時のアナログビデオで録画した動画をYouTubeにアップすることなのだが、年末に家族が帰省したタイミングでようやく実施することが出来た。

いくつか投稿したうちの、もっとも出来が良い演奏がこの下の動画

(画面右の白服が2002年時点の私) 

投稿したその他の動画はこちら 

投稿した動画は、2002年頃まで私が参加していたアマチュアバンドの活動の様子。ほとんどの曲が、カシオペアと言う、プロのバンドのカバー曲で、YouTubeへの投稿に関しては、著作権に関するひっかりがあったことも事実だ。「まあYouTubeではおおっぴらに皆やっているけれど、厳密には著作権を侵害しているのだろうな。」との考えもあり、これまで実際の投稿を躊躇していた。

恥ずかしながらごく最近になって知ったことなのだが、著作権で保護されている楽曲でも、自ら演奏したものであれば、YouTubeへの投稿は問題ないらしいのだ。こちらこちらの記事にもあるように、日本国内の音楽著作権を管理する団体「日本音楽著作権協会(JASRAC)」が、YouTubeと包括的な契約を結んでおり、YouTubeの利益から一定額が、JASRACを通して楽曲の著作権者に払われているとのこと。 

JASRACとYouTube包括契約の締結が2008年10月で、私がそれを知ったのが2011年末。随分と遅れたコメントで恐縮なのだが、それにしてもこの契約はJASRACの素晴らしい判断だと思う。 

カセットテープやビデオテープに始まって、CD-RによるCDのコピー、携帯音楽プレーヤーによる音楽の「データ化」など、著作権は常にテクノロジーの進歩と言う難題に立ち向かってきた。このような対立構造が生まれた場合、往々にして古い者(例えばJASRAC)は、新しいもの(新しいテクノロジー)を全面否定する方向に行きがちだ。JASRACも、当初はYouTubeに投稿された「著作権侵害動画」を都度削除依頼で対応していたらしい。

このような新旧の対立構造の場合、古い者の指摘は的を得ていることが多い。新しいものには必ず「問題」が付きまとうのだ。しかし、物凄い勢いで普及しようとする新しいテクノロジーを止めることは不可能と言える。それは歴史を見れば明らかだ。であれば古い者は、新参者をうまく利用する方向に発想を切り替えたほうが良い。JASRACの判断は、まさにそれを狙ったものだ。

現代では、「あの曲が聴きたいな」と思えば、CDを買わずともYouTubeで探せば、大抵の曲を聴くことが出来る。これはある意味恐ろしいことで、本来最も保護されるべきミュージシャンの利益を損なうかもしれないし、仲介業者であるところのレコード会社やCDショップのビジネスは本当に苦しくなるだろう。

ただし考え方を変えれば、新しいビジネス創出のチャンスでもある。音楽的な観点で見ても、無名ミュージシャンが、純粋に実力主義で評価されて世の中に認められる可能性が高まったことは確かだ。例えば、こちらのエピソードは、YouTubeが無ければ絶対にありえなかった、シンデレラストーリである。 
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