Living in the Flat World

「世界はフラットになっている」と考えれば、世の中の変化も少し違った見方ができるはず!その考え方のもと、ITを中心に日常生活から世界のニュースまで幅広い題材を取り上げるブログ。

2011年12月

2011年を振り返って<その4> 震災を振り返って(下)

注:このエントリを実際に執筆しているのは、2012年が明けてからのこと。ただし文章の構想を練っていたのは2011年末であり、時系列をすっきりさせるために、エントリの日付を2011年末とさせていただいた。 

震災当日の出来事と、そこから得られた教訓については、一昨日昨日のエントリにまとめた。今日のエントリでは、震災後数日間の少々特殊な生活について記録しておく。


■震災後一週間の「在宅勤務」
私が勤務するシトリックス・システムズ・ジャパン(株)は、震災後数日間の社員へのケアに関しては、かなり胸を張って自慢できるような素晴らしいことが出来ていたと思う。これはおそらく、他の企業のモデルケースにもなりえると考えるので、ここに詳しく説明しておく。

震災が発生したのは金曜日。その後の土曜日と日曜日は当然会社を休むとして、「震災3日後の月曜日の勤務をどうしたか?」については、企業によって対応がまちまちだったのではないかと思う。シトリックスでは、震災翌々日の日曜日に全社員に次のような内容の通達がまわってきた。「月曜日は会社には来るな。基本は在宅勤務しろ。もちろん休暇でもOK。」

この通達には重要なポイントが2つある。

ポイント1つ目は、「出社しなくて良い」ではなくて、「出社するな」だったこと。この2つは似ているようで似ていない。3月11日の震災後しばらくは、実際に余震も度々起きていて、遠方に通勤することと、それによって家族と離れることに関しての安全性の懸念は、拭い去ることは出来なかった。家族の安全を思えば家を離れたくないが、まだまだ多くの日本人のマインドには、家族と言う「私」よりも企業人としての「公」を優先することを美徳とする文化は残っている。「出社しなくてよい」と言う通達では、使命感の強い一部の人々は仕事を優先して会社に来るだろうし、必要以上に悩んでしまう人も多いだろう。その点、「出社するな」と言う通達は、安心して家族と一緒にいられる実にありがたい通達だった。

2つ目のポイントは、「休暇を取れ」ではなくて「休暇を取っても良いけど、基本は在宅勤務しろ。」だったこと。この通達も、社員には実にありがたかった。震災後しばらくは、家族と離れたくない気持ちが強い一方で、仕事が完全に無くなるわけでも忘れられるものでもない。また、強制的に有給休暇を消化させられることに不満を持つ人もいるだろう。多くの日本企業が、少なくとも日常では「会社に行って仕事をする」か、「休暇をとって家に居る」かの2つの選択肢しか用意していないため、今回のような非常時には、その狭間で悩むことになってしまう。
幸いなことにシトリックスでは、「在宅勤務」は制度的にもITインフラ的にも普段から認められていたことなので、震災後に在宅勤務を標準にすることに迷いは無かったようだ。家族と一緒に過ごしながら、お客様などへの迷惑を最小限にできるよう必要な仕事を進めることが出来たことは、公私両面で安心できる材料となった。

冒頭にも申し上げたとおり、これらシトリックスの対応は、十分にモデルとして他の企業の参考にしてもらえるものと自負している。会社としても、下記のような広報記事を作っているので、是非参照していただきたい。

「震災後、シトリックスの在宅勤務を支えた2つの制度」


■計画停電
震災後しばらくの間、我が家がもっとも悩まされたのは、余震でも物資不足でもなく、この「計画停電」だった。停電中の不便や不安もさることながら、大きな不満を感じたのはその「不平等さ」だろう。首都圏の家庭や企業が、均一に停電にあうなら「仕方がない」と言う気も起きるが、しばらく後に同僚に聞いたところによると、大多数が「一度も停電などしていない。」と言っていた。いったいどのような基準で、「停電してはいけないところ」と「停電してもよいところ」が区分けされたのだろう?一般家庭である我が家はまだ「不安」「不便」「不満」で済んだが、計画停電によって経済的・経営的な打撃を受けた企業の怒りはどれくらいだったのだろうか。

今更怒ってみても生産的ではないので、計画停電によって「貴重な学習が出来た」と割り切っている。せっかくなので、今後同じような「計画停電」が行われる場合の教訓を、広く共有しておきたい。ただし、これはあくまでも「一般家庭」としての対策である。残念ながら企業様には役に立たない。

・一番良いのは外出すること
計画停電は、ある程度の地理的な範囲に限定して行われるので、その範囲から抜け出れば全く別世界となる。車などが使えて簡単に抜け出せるものなら、停電エリアを脱出してしまうのが、一番有効な対策となる。ただし「脱出」は停電実施前がのタイミングで行うのが望ましい。なぜなら信号機も止まってしまうので、クルマでの走行も危険を伴うからだ。

・二番目は「寝る」こと
停電がある程度遅い時間なら、布団に入って寝てしまおう。これも停電自体が基本的に気にならなくなる。ただし、停電解除時の電気周りのチェックはすべきなので、例えばお父さん一人くらいは、停電解除後に起きたほうが良い。

・冷蔵庫に食糧を溜め込みすぎない
上記の「外出する」あるいは「寝る」の対策を取っても、悩みとして残るのは冷蔵庫の食糧のことだ。この時の計画停電は、幸いなことに寒い時期だったので大きな被害はなかったが、生肉や冷凍食品などは、過度に溜め込むべきではないだろう。

・iPadでのYouTube動画視聴は、かなり使える
3時間近い計画停電の間、ほぼ真っ暗な中で「何も出来ない」と言うのは、かなりストレスが溜まる。我が家で役に立ったのは、iPadを使ってYouTubeの動画を再生して家族で楽しむことだった。事前にフル充電しておけば、iPadのバッテリーは停電期間中も十分に持ってくれるし、3G回線も生きていてくれた。もちろん、iPadでなくても、バッテリーで動作可能なノートPCなら同様なことが出来るはず。


もちろん、二度と同じようなことは経験したくはない。「計画停電」は、地震のような天災とは違って、防ぐことは十分に可能だと思うのだが。

2011年を振り返って<その3> 震災を振り返って(中)

注:このエントリを実際に執筆しているのは、2012年が明けてからのこと。ただし文章の構想を練っていたのは2011年末であり、時系列をすっきりさせるために、エントリの日付を2011年末とさせていただいた。 


<前日エントリからの続き>

【食料の確保と帰宅について】
震災の日、私を含めて数十人のCitrixの社員と、トレーニングを受講していた数名のお客様は、帰宅を諦めてCitrixのオフィスで一晩を過ごすことにした。おそらく他にもこのような形で職場で一晩を過ごした人たちはたくさん居たのだろうが、その中でも我々は相当に恵まれていたほうだった。なぜなら、Citrixのオフィスには飲み物や食料の備蓄がたっぷりあったのだ。食料とは言っても、ほとんどがスナック菓子類だったが、災害時の1回分の食事としては十分だった。さらには、ビールやワインまで、ここぞとばかりに出てきた。どうか不謹慎と言うなかれ。これらアルコール類も、不安を和らげる効果はあるはずなので、馬鹿には出来ない。

もしも食料の備蓄がなかったらどうなっていただろう? Citrixのオフィスは、高層ビルの23階と24階にあるのだが、震災直後からエレベータは動かなくなり、翌朝まで復旧はしなかった。何か食べたければ、タフな階段移動を強いられてコンビニかレストランに行く必要があったのだ。

苦労して階段で移動しても、食料が確保できた保証はない。聞くところによると、コンビニやレストランの在庫も早々に無くなったらしく、誰もが食料確保には相当に苦労したとのこと。あらためて自らの境遇の幸運さを噛み締める必要がある。と同時に、これを読んでいる会社員の皆さんにも訴えたい。今からでもある程度の食料の備蓄を職場に用意しておくことをお勧めする。必要な食料があるか無いかで、災害時の気持ちの持ちようは大きく違うはずなのだ。



夜遅くなると、24階のビルの窓からは、周りの道が渋滞で動かなくなっていることが良く分かった。電車がストップしてしまっている以上、帰宅には徒歩かタクシーかの選択肢しかなかったわけだが、少なくともタクシー移動が、あまりよくない選択肢だったことは想像できた。むしろ徒歩のほうが早かったくらいではないのか。徒歩での帰宅は、自宅までの距離に大いに依存するものだが、自宅がオフィスから約30kmも先にある私には、徒歩での帰宅は最初から問題外だった。

それにしても、震災発生時にオフィスに居たこと自体が、本当に本当に幸運だったと思う。私は仕事上オフィスにいないことが多く、オフィスにいる割合は勤務時間全体のせいぜい3分の1ほど。通勤時間も含めると、さらに会社にいる割合は少ない。この震災では、たまたま幸運な3分の1に引っかかってくれたわけだ。現に、同僚の多くは震災発生時に外出中で、そこからの帰宅に相当苦労したと聞いている。(ある同僚は、10時間かけて徒歩で帰宅した)

災害時の帰宅に関する今後に向けての教訓であるが、外出時に災害に見舞われた際は、無理に自宅に帰ろうとはしないようにすべきだと考えている。外出先が都心であれば迷うことは無い。自分の会社のオフィスに戻ればよい。問題は、(実際に私がよく訪れる)府中市や川崎市と言った微妙な場所にいたときの対処だ。この場合も、「しばらく現地に留まる」ことを優先すべきのように思える。このような場所は、都心に比べれば昼間の人口密度は低いので、食料も確保しやすいだろうし、駅舎や学校など緊急の場合に休める場所は、それなりに確保出来るのではと思える。普段から、緊急時の対応を意識しておくべきだろう。



【家族との連絡について】
震災発生後から継続的に妻との電話連絡やメールでの連絡を試みていたが、電話は全く繋がらないし、メールはこちらから送信はできても返信は返ってこない。ようやく電話が通じたのは22時を回ってからのことだった。幸い家族は無事だったが、いくつかの意外な事実がここで判明した。

第一に、私が想像していたよりもずっと横浜の自宅の揺れは大きく、妻と当時5歳の長女に相当な恐怖感を与えていたこと。食器棚の扉はしっかり閉ざされていたにも関わらず、揺れによって外側に動いた食器の重みで扉が開き、多数の食器が落下して砕け散ったそうだ。霞が関の23階オフィスの揺れが少ないからといって、横浜緑区のマンション11階の揺れが同程度とは限らないと言う事だ。現に、東京でも神奈川でも、揺れによる建物倒壊の直接的な被害が出ていた。地震の揺れは、狭い地域の中でも場所によって、或いは建物によって大きな差が出るものらしい。

2つ目に知ったこと。私の自宅一帯の地区が震災直後から停電になり、20時頃にようやく電力が復帰したとのこと。完全に真っ暗になってマンションのエレベータも止まった中で、家族は相当に辛い思いをしていたらしい。実は、この後も例の「計画停電」で、我が家は停電に悩まされ続ける事になるのだが、冬季の夜間の停電は本当に辛い。暖房や照明だけでなく、マンションの場合は水道も止まってしまうのだ。終わりの時間が明示されている計画停電でさえ相当に辛いものだったのだから、震災直後にいつ終わるともしれない停電に見舞われた家族の不安は相当なものだっただろう。もっと早く連絡が取れていれば、どれだけ家族の力になれたことだろうか。

さて、このような緊急時の家族との連絡について考えてみたい。今回の震災で「電話」が固定にしろ携帯にしろ、緊急時の連絡手段として役に立たないことは、誰にも強く実感できたと思う。メールでの連絡は、少なくとも相手が「携帯メール」の場合はダメだった。さらには、上記したように、私の自宅周辺は震災後停電になったので、我が家に限って言えばパソコンを使ったインターネットの利用もダメだった。災害時の家族での連絡方法は、さらに深く考えておく必要がありそうだが、なかなか明確な答えは無い。

これはさらに後になって知ったことだが、TwitterやFacebookは、震災直後も連絡手段として機能していたらしい。安くない料金を普段から徴収しているインフラが軒並みダウンして、基本的に無償で提供されているサービスが生き残っていたと言うのは、実に興味深いことだと思う。我が家も、災害時の連絡用のためだけに妻にTwitterを使えるようにさせた。

もちろんこれだけでは万全とは言えなくて、東日本大震災と同様に停電が起きてパソコンも無線LANも使え無くなった場合には、妻の持つ携帯電話(いわゆるガラケー)のインターネットアクセスだけが頼りになる。それが使えるかどうかは、災害が起きてみないと分からない。加えて、緊急時連絡手段としてのTwitterやFacebookは、東日本大震災前にはほとんど知られておらず、単にユーザが少なかったためにダウンしなかったのかもしれない。次に同じレベルの災害が襲った際には、TwitterやFacebookにもアクセスが殺到してパンクしてしまう可能性も否定できないだろう。とは言っても、「電話とメールだけが頼り」だった以前に比べれば通信手段は相当に冗長化されているわけで、このような可能な限りの対策を取るべきと意識できたことも、大きな教訓と言ってよいだろう。



【得られた教訓まとめ】
・広域で公共交通機関が止まるような災害がおきた場合は、無理に自宅へは帰ろうとせずに、その近くに留まることを第一に考える

・「その場に留まる」ためにも、職場にはスナック菓子などの食糧備蓄をすべき。外出先の場合は、早々に食糧を確保する。

・「食糧確保」の後は、「夜を越せる場所」を探す。最寄のホテルや公共施設などは日ごろからチェックしておくべき。

・緊急時の家族との通信手段としては、電話や携帯メールは使えない。Twitterなどの他の複数の通信手段を予め用意しておくべき。 


<次回エントリに続く>

2011年を振り返って<その2> 震災を振り返って(上)

注:このエントリを実際に執筆しているのは、2012年が明けてからのこと。ただし文章の構想を練っていたのは2011年末であり、時系列をすっきりさせるために、エントリの日付を2011年末とさせていただいた。 


2011年を振り返って何か語るのであれば、あの震災のことを避けて通ることはできない。私も震災発生時には東京都心にいて、被害は極めて小さかったがそれなりの影響は受けた。年月が経って記憶が薄れないうちに、体験したことと学んだことを、ここにまとめておきたい。

端的に結論を書いてしまうと、震災時に首都圏にいた人たちの中では、私は相当に恵まれていたほうだった。揺れの恐怖も感じなかったし、いわゆる帰宅難民にもならなかった。家族との連絡に多少苦労したが、比較的居心地のよいオフィスで一晩を過ごし、翌朝には普通に電車で帰宅することができた。

だがこれは、いくつかの偶然が重なった幸運であって、少なくとも帰宅難民になる可能性は十二分にあったし、家族を危険な目にあわせた可能性も否定できなかった。自分が地震などの自然災害に対してあまりに無頓着かつ無防備だったことを思い知ったのが、まず一つの教訓だったと言える。

このあまりの無防備さは、45年間の人生で災害らしい災害を経験したことがなかったことによるのかもしれない。とは言ってもこの無防備さは、おそらく私だけが特別なわけでなく、多くの人も同様なのではと勝手に推測している。私と同じように災害に対して無防備のかたが、このエントリを読んで、用心を高めてくれればこんな嬉しいことはない。



【私の過去の地震体験】
反省すべきは、過去に遡る。私が人生の大半を過ごした名古屋は、東京地区より遥かに地震が少ない。もちろん時折軽微な地震は来るが、恐怖を感じるような地震は、名古屋で生まれ育った37年間、まったく経験したことは無かった。

生まれて初めて地震に恐怖らしきものを感じたのは、名古屋から首都圏に引っ越した後のことだった。2005年7月23日(土)に発生した千葉県北西部地震のとき、私は当時借りていた木造二階建ての戸建で一人過ごしていた。土曜日で会社は休み。妻と長男は、長女の出産のために名古屋に帰省して不在だった。そんなタイミングでその(東日本大震災に比べればずっと小規模ではあるが)大きな地震はやってきた。

急激な揺れとともに、木造住宅がミシミシと軋み始めたことに随分と驚いたものだ。あまりに激しい軋み音で「家が崩れ落ちてくるのでは」との恐怖を感じ、ダイニングテーブルの下に必死で逃げ込んだことを記憶している。小学生の頃から地震の避難訓練で、机の下に避難する真似事は何度もしてきたが、本当に恐怖を感じて机の下に文字通り「逃げ込んだ」のは生まれて始めての経験だった。

ただしこの2005年の地震では、「瞬間的な恐怖」を感じただけで、私自身は直接的にしろ間接的にしろ全く被害を受けることはなかった。何かモノが壊れることもなかったし、電気・水道・ガスが止まることも無かった。通信に関して言えば、直後に名古屋の家族と連絡が取れたかどうかは、記憶にさえも残っていない。と言うことは、少なくともそれほど困る事態にはなっていなかったのだろう。世の中では公共交通機関が長時間に渡ってストップし、大量の帰宅難民が生じたらしいが、幸運なことに私は自宅に居て難を逃れた。

しかし今にして冷静に考えてみれば、普段は一日の半分以上を外出して過ごしている私にとって、地震発生時にたまたま自宅に居たのは、単に幸運なだけだったことが分かる。外出していれば、帰宅難民になっていたであろうし、家族が木造住宅にいたならば連絡の可否は死活問題になりかねなかった。このことを踏まえて、しっかり備えをしておくべきだったのだが、「喉元過ぎれば・・・」のごとく、特に対策らしい対策はすることはなかった。だからこそ、2005年のこの地震も、再度思い出してみる必要があると思うのだ。交通機関が止まるレベルの地震は、別に「100年に一度」ではなく、「数年に一度」はやってくる。そしてまさに「それ」がやってきたのが、2011年3月11日だった。しかも、規模を遥かに大きくして。



【2011年3月11日そのとき】
その時私は、Citrixが入居する「霞が関コモンゲート」の23階にて、10名ほどの販売パートナー様を相手に、Citrix製品のトレーニング講師を務めていた。
霞が関コモンゲート

講義をしながら立ち上がっている際に揺れがやってきて、「おや、地震のようですね。」と発言したことを覚えている。興味深いことに2005年のような急激な揺れは無く、恐怖を感じるようなものでは全くなかった。その分、私も周囲も妙に冷静で、ただ普通に座って揺れが収まるのを待っていた。

お客様に対しては、「このビルは非常に新しいうえに、免震設計もしっかりしているはずなので、ビルの中でじっとしているのが一番安全ですよ。」と発言し、そのとおりお客者様も冷静に椅子に座り続けていてくれた。ビルの免震構造が効いていたのか本当に揺れは緩やかで、難点と言えば、恐怖ではなくて乗り物酔いのような気持ちの悪さだけだった。加えて、揺れが異常に長時間続いたことへの気味悪さも感じていた。今にして思うと、天井からの落下物の心配はあったはずなので、一時的にせよ机の下に潜ることを誘導すべきだったかもしれない。結果的には最後まで何も起きなかったが。

もちろん、この揺れの緩やかさは、首都圏の建物の中では特殊なほうだったわけだが、そのことが分かったのは随分と後になってからのことだ。私の自宅(14階建てマンションの11階)では、地震発生時に食器棚から大量の食器が落ちて大きな音を立てて割れてしまい、妻と長女は絶望的とも言っていい恐怖を感じていたらしいのだが、そのことを知ったのも、地震発生日の深夜になってからのことだ。地震発生直後の私はと言えば、10名ほどの社外のお客様をホストする立場にあり、彼らのことをケアすることが目の前の最重要事項だった。霞が関での揺れが大したことがなかったため、横浜の自宅も同程度だろうと勝手に思い込んでしまい、家族の心配は二の次三の次だった。2005年の地震の地震体験からすれば、もっと想像力を働かせて、自宅の惨状を考えるべきだったかもしれない。

地震発生後の状況に話を戻そう。そのときの私は妙に鈍感なのか冷静なのか、「このままビルの中に留まることが最も安全」と判断することに疑いは無かった。お客様に対しても、ビル自体の免震性の高さを継続的に訴えるとともに、「今外に出ても、交通機関は動いていないだろう」ことを根拠に、もこのままビル内に留まることを薦めた。これも結果論としては大きな問題はなかったが、もっと深く考えるべきだったかもしれないと反省している。お客様たちは、私以上に入ってくる情報も行動の自由も制限されていたため、私の支持に従うしか行動の余地がないのだ。私の判断で彼らの安全が脅かされる可能性さえもあったのだが、そこまでの自覚は無かったと言わざるをえない。

幸いなことに、震災時もビルの電力とインターネット接続は生きていた。トレーニングを開催していた教室には、受講者一人ずつにインターネット接続端末があり、揺れが収まってほどなくすると「震源は東北で、相当に規模の大きい地震だったらしい。」と言う情報も入ってきた。ただし、インターネットから得られる情報は断片的で、震災の全貌を実感することはできなかった。ましてや、首都圏でも十分に大きな被害が出ていることは、その時点では想像だにできなかった。

各種の情報が断片的ながらも入ってくるうちに、もうひとつ新たな問題が発生した。お客様の一人が東北出身で、ご家族が東北にいるのだが、携帯電話の連絡が全く通じないとの事。会社の固定電話をお貸ししたが、これもダメ。そのお客様の顔が険しくなっていくのが分かるが、残念ながらどうしようもない。私自身も横浜の家族に電話をかけても繋がらなかったので、東北はさらに難しかったのだろう。(結局、このお客様が東北の家族と連絡が取れたのは深夜になってのこと。幸いにもご無事だったらしい。)

その後、お客様にはインターネット閲覧を続けていただいたり、テレビを見ていただいたりはしたが、基本的にはそのまま教室で過ごすことをお勧めした。夕方までには、歩いて帰れる程度の距離に家がある一部のお客様は歩いて帰り始めたが、一部のお客様は結果的にCitrixの会議室で一晩を過ごすことになった。そして私も交通機関が動いていない以上は、約30km先の自宅に帰ることも出来ず、一晩オフィスで過ごすことにした。

<次回エントリに続く>

2011年を振り返って<その1> Start with Why

注:このエントリを実際に執筆しているのは、2012年が明けてからのこと。ただし文章の構想を練っていたのは2011年末であり、時系列をすっきりさせるために、エントリの日付を2011年末とさせていただいた。2011年末日付のエントリは、この後にも続ける予定。 


激動の2011年もあと僅か。あくまで個人的なレベルではあるが、この1年間にわたって考え続けていたことを、今のうちにまとめておきたい。複数のトピックを複数日にわたって書いていくつもりだ。

今日の第1回目のエントリは、2011年1月にシトリックスの社内イベントで見せられて以来、常に私の頭の中で繰り返し繰り返し脳内再生されてきた動画について。

その動画は、インターネットで一般に公開されており、英語での説明ではあるが日本語字幕もつけられている。18分程度の長さなので、その時間が取れるのならば、是非全編見てほしい。


Simon Sinek: How great leaders inspire action 

動画の内容を要約すると、下記になる。

例えばAppleのように、常に革新的なことをやり続ける企業の秘密はどこにあるのか?サイモン・シネックは、「Golden Circle」と名づけた、下記の図にこそ秘密があると説く。 
Golden Circle from
「なにを(What)」と「どうやって(How)」と「なぜ(Why)」で作られるこの図。どんな企業も、自分たちが「何を(What)」やっているかは分かっている。その中の一部の企業は、うまい「やり方(How)」も十分に分かっている。ところが、自分たちが「なぜ(Why)」それをやっているか十分に分かっていて、その意識が社員にも顧客にも共有されている企業は、意外なほど少ない。えてして「なにを(What)」のほうが具体的で分かりやすく、「なぜ(Why)」は抽象的で分かりにくくなってしまうからだ。

ここで注意しなくてはいけないのは、「お金を稼ぐ」ことは「なぜ(Why)」の答えにはならない。「お金を稼ぐ」ことは「結果」であるし、(他の企業ではなく)当のその企業が存在することの理由にはならない。

上記Golden Circleの図で言うなら、外側から内側に矢印が向くのが、一般的な企業の傾向だ。まず、製品(やサービス)を作り、その機能・性能上の特徴(How)を定義づける。なぜ(Why)それを作っているかの説明は、明快でない場合のほうが多い。

ところがごく一部の企業では、Golden Circleの中心から外側に向かって矢印が伸びる。

携帯音楽プレーヤーを例にあげると分かりやすい。AppleのiPod以前にも、携帯音楽プレーヤは、Sony、Panasonic、Dellと言ったそうそうたる企業が参入していた。しかしどれもこれと言った成功は得られなかった。AppleのiPodだけが、他とは比較にならないほどの成功を得られたのだ。いったいそれはなぜか? Appleには「音楽の聴き方を根本から変える。」「人々の生活スタイルを変える」「音楽ビジネスのあり方を変える。」と言う、明快な「なぜ(Why)」があったからに他ならない。

その他、ライト兄弟が、人材や資金の面で遥かに上回るライバルたちを差し置いて世界初の有人動力飛行に成功した事例や、マーチン・ルーサー・キングが当時のその他の市民活動家よりも圧倒的な支持を得た事例も、この「なぜ(Why)」を中心としたGolden Circleで説明できる。 

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2011年の1月にこの動画を見せられて以来、「一年間『Star with Why』と一緒に居た」と言っても良いくらい何度も何度もこの言葉を反芻してきた。

シトリックスの「Why」は何か?

「企業情報システムのあり方を変える。」ことだ(と少なくとも私は考えている)。

ただし、「Why」の次に続くはずのシトリックスの「How」や「What」は、残念ながらAppleのそれ(美しい意匠に誰にでも判りやすい直感的な操作)ほどは単純ではない。実に多種多様な「How」と「What」がある一方で、それらは結構複雑でわかりにくい。しかしながら、そこにこそ私(山田)が存在する「Why」があると思っている。

では山田晃嗣の「Why」は何か?

「一見判り難いシトリックスの『How』と『What』を、誰よりも判り易く説明すること」に私の存在理由があると考えている。そしてそれは、「Do what you love」と言う、私が2011年に反芻したもうひとつのキーワードとも一致している。「Do what you love」に関しては、また別の機会に。 

「アプリケーション仮想化」と「プレゼンテーション仮想化」

これまで複数のエントリで、XenAppを使った「アプリケーションの仮想化」が、標的型攻撃への対策としてどんな他の対策よりも高い効果を発揮することを書いてきた。おかげさまで複数のお客様からこの件で問い合わせがあり、実際に導入を前提に進めているお客様もあることから、書いてきたことの正当性は疑い無いものと自負している。
辛いのは、このことが(少なくとも私がこれを言い出した2ヶ月前時点では)ほぼどこにも書いていなかったことだ。どこにも書いてない以上、そのことを知っている人は極めて少ないし、せっかくの良いものも使っていただけない。その対策として始めたのがこのBlogであるし、実はそれ以外にもIT関連雑誌やWeb系のメディアにも掲載いただくように、メディア各社さんにもこのことを説いて回る活動を進めていた。
実はその活動がようやく実ったのが下記の記事。

私自身が実名で登場して内容を説明するような記事形式を取っており、書いてある内容もこのBlogで書いてきた内容にほぼ等しい。(取材を受けたとき、まさにこの内容の説明を記者さんにしている)
ただ一点、記事の内容に補足説明させていただきたいことがある。人によっては、記事を読んで混乱してしまうかもしれない「用語の使い方」があるのだ。
TechTargetの記事で「プレゼンテーション仮想化」と書かれているるものは、私がこのBlogで書いてきた「アプリケーション仮想化」のことだ。「用語の使い方」が異なるだけで、内容的には全く同じものだと考えていただいて良い。

ではなぜこのような用語の使い方の違いが出るのか?
端的に言うと、「プレゼンテーション仮想化」はマイクロソフトの用語で、「アプリケーション仮想化」はシトリックスの用語だ。この2社で用語の定義が異なるために、このような面倒なことが起きてしまっている。
この種の用語定義が各社で異なる問題の場合は、「多数決」で決められることが多いと思うが、ただその「多数決」も単純ではない。「単純な会社の数」だけでなく、「声の大きい会社」や「影響力の大きい会社」には、それだけ「多数決に参加する人数」も増やす権利があるらしいのだ。したがってこの件に関してもマイクロソフトの影響力は当然大きく、おそらく記者さんもそれに倣った用語の使い方をするのは当然のことだろう。

シトリックスとしたら、「長いものには巻かれろ」とマイクロソフト用語に揃える選択肢もあるはずで、他の多くの用語で実際そうしているが、この「アプリケーション仮想化 vs. プレゼンテーション仮想化」の用語の違いに関しては、なぜか自己主張を通している。
まあ、個人的にも「プレゼンテーション仮想化」はしっくり来ないし、一般の人もイメージ掴みにくいと思うので、シトリックスの用語の使い方を支持したい。だからと言って、マイクロソフト用語を否定することも出来ないので、私が出来ることは、混乱を招かないように2社の用語の使い方の違いをこのように説明することだろうか。

もうひとつ混乱を招きそうなので説明が必要なことがある。実は、マイクロソフトが『アプリケーション仮想化』と言う用語を使うこともあるのだが、それはシトリックスが言うような「画面転送を使ったアプリケーション配信」ではなく、「アプリケーションの中身そのものをネットワークで配信」する技術のことだ。
具体的には、こちらに説明のある「App-V」と言うテクノロジーのこと。


それにしても、この種のIT用語って判りにくい。「人によって会社によって用語の定義が大きく異なる」ことは、なにも今回挙げた例だけではない。また、「名前から受けるイメージと実態が大きくかけ離れている」ことも珍しくない。
これら用語の判りにくさが生み出す誤解は、この業界にいる人々の無駄な労力をかなり浪費しているはずなので、用語を決める権限を持つ人たちには、さらに努力していただきたいところ。
まあ、その判りにくさを解消するために、私のような人間がいるわけなのだが・・・

AndroidタブレットがiPadに勝つためにすべきこと<その4>

一昨日昨日のエントリで、さも「自分オリジナルのアイデア」であるかのように自慢した「Androidベースの家電統合リモコン」であるが、無知とは恐ろしいもので、とっくの昔に商品化されていることが判明した!!
Alimo

Alimo
少なくとも外観的な形状は、ほぼ私が考えていたとおりのもので、実に素晴らしい製品だと思う。

ただしさまざまレビュー記事数々を読んだ限りでは、改善の余地がまだまだありそうだ。

・改善余地その1:操作対象の家電機器が限定的
こちらが操作可能な家電製品の一覧だが、特定の家電製品の赤外線リモコン機能が予め組み込まれていて、それら特定家電に対してなら「買ってすぐに使える」ことは大きな魅力。
その一方で、対象家電はいわゆる「オーディオビジュアル機器」に限定され、エアコンや照明などの「非AV機器」は対象外になっている。せめて家電付属のリモコンの赤外線信号を「学習」することで、操作対象の家電機器をあとで広げられるようにして欲しい。複数のリモコンを「たったひとつ」に集約できないと、統合リモコンの存在の意味が大幅に薄れてしまう。

・改善余地その2:まだまだ「割り切り」が足りず価格が高い
他のタブレットのような薄型を追求せず、室内で使うことだけに割り切って、かなり厚めの形状にしたことは大いに評価できる。それでもまだ完全には「リモコン中心の利用」とまでは割り切れておらず、余分(と思えるような)機能も満載している。そのためか価格がまだまだ高いことが残念。実売価格は34,000円程度らしいが、なんとか1万円前後にできないものか?GPSセンサやカメラ、HDMI端子などを思い切って削れば、まだまだコストは下げられると思うのだが。

・改善余地その3:いろいろな意味で「普通のひと向け」でなく「マニア向け」
このような先見の明のある製品を商品化したアイ・オー・データ機器さんに対しては、賞賛してもし過ぎることはない。それでもやはり大手家電メーカに同様な製品を作って欲しい。それが「普通のひと」に使ってもらって、普及させるための第一歩になるはず。そして機能面でも「高機能を求めるマニア向け」ではなく、最低限の操作しかしない「一般のユーザ向け」の製品にしてほしい。


くどいようですがが、国内の家電メーカさん、具体的にはPanasonicさん、日立さん、東芝さん、三菱電機さん、ソニーさん、是非「Androidベースのリモコン専用機」を作ってください。同じようなものは既にアイ・オー・データ機器さんが出されていますし、改善するべきポイントも明確です。きっと売れるはずですし、将来の汎用Androidベースタブレット普及の足がかりにもなるはずです。


AndroidタブレットがiPadに勝つためにすべきこと<その3>

昨日のエントリで、Androidベースの家電統合リモコンの提案をしたところ、Facebookを通じて、早速いくつかのコメントをいただいた。

コメントによってはじめて知ったことは「タブレット/スマートフォンを使った家電リモコンは、すでに東芝が一部のオーディオビジュアル機器用にアプリをリリース済み。」だったと言うこと。
こちらが東芝の紹介ページ。
東芝RZタブラー

AV機器の操作だけではなく、録画したテレビ番組をタブレット上で見られたりと、相当に多機能になっている。なるほど、これで少なくとも技術的な実現性に関しては何の問題も無いことは確認できた。

もうひとつコメントとしていただいた意見は、「リモコンとして使うなら、リモコンとしてふさわしい形状が大事では?」と言うもの。この意見には私も大賛成。少なくとも、現在リリースされているタブレットやスマートフォンは、形状的にはリモコンとしてふさわしくないと思う。昨日のエントリでも書いたが、現状のタブレット/スマートフォンは「持ち歩き」を意識するがために、リモコンとしては扱いにくい。
テーブルなどに置いてあるリモコンを「さっと掴む」ための掴みどころが無いのはストレスを感じるだろう。

この形状の課題とも関連するが、上に紹介した東芝のリモコンアプリは「技術的実現性の確認」の確認にはなったものの、私が提案したリモコンのイメージとはほど遠い。理由は2つある。
理由1つ目。複数メーカ、複数ジャンルの製品の操作が一括で出来ないこと。
東芝のリモコンアプリは、あくまで「東芝のAV機器」がその中心にあり、タブレット/スマートフォンは、あくまでその1オプションに過ぎない。私が欲しいもの、そしてきっと市場も欲しがっているであろうものは、あくまで「1つのリモコンで複数メーカ、複数ジャンルの製品の操作が一括でできる」と言うこと。
そのためには、あくまで「統合リモコン」がすべての家電の中心にあるようにして欲しい。また、操作もあくまで「機械オンチ」な人でも簡単に扱えることを第一に考えるべき。東芝のリモコンアプリは、見るからにマニア向けになっている。液晶タッチパネルを使えば、物理ボタンのものよりも簡単操作に徹したGUIを設計しやすいと思うのだが。

理由2つ目。「リモコン専用デバイス」でないこと。
上にも書いたが、汎用的な利用を前提に設計されたタブレット/スマートフォンは、形状的にリモコンには適していない。では、どのような形状がリモコンとしてふさわしい形状なのか?
一般的な家電リモコンの多くは、こんな感じ。
普通のリモコン
ただ、この形状は「単一製品のリモコン」であることと「物理的な押しボタン」を前提としているために、タッチパネル操作には適していないと思う。

私のイメージにもっとも近い存在がこれ。
カラオケのリモコン
カラオケボックスに常備しているリモコンだが、これがもっともイメージが近い。ただちょっとばかり重過ぎるのが難点か。

液晶タッチパネルではないが、手で持たずに「机に置いて」使うことを前提としたリモコンは、ソニーが「おき楽リモコン」として既に商品化済み。
ソニー「おき楽リモコン」
通常のリモコンのように赤外線(光に近いので「向き」によっては操作できない)を使わずに、電波を使っているため、どんな向きでどんな場所に置いてあっても操作ができることがポイント。

次世代の任天堂Wiiも、リモコン(コントローラー)はタブレットに近いデザインになるらしい。
Wii U コントローラ

これらはいずれも、汎用のタブレット/スマートフォンとは異なるデザインになっているが、いずれも「リモコンにふさわしい形状」と言えるはず。これらの特徴をうまく組み合わせれば、良いものができるのではないだろうか。

さらにその後にWebで調べてわかった良いニュース。
Androidベースの家電統合リモコンを作るためには、てっきり「家電側の無線LAN対応が必須」だと思っていたのだが、Androidデバイスの中には(一般のリモコンと同じ)赤外線通信の機能を持ったものがあって、赤外線リモコンの「エミューレータ」として動作させることも可能らしい。こちらがその情報の出所。

これならもはや何の技術的な障害など無いではないか!

繰り返しになりますが、国内の家電メーカさん、具体的にはPanasonicさん、日立さん、東芝さん、三菱電機さん、ソニーさん、是非「Androidベースのリモコン専用機(リモコンとしてふさわしい形状のもの)」を作ってください。きっと売れるはずですし、将来の汎用Androidベースタブレット普及の足がかりにもなるはずです。


AndroidタブレットがiPadに勝つためにすべきこと<その2>

6日前のエントリ(AndroidタブレットがiPadに勝つためにすべきこと)で、Androidタブレットの起死回生策として、次の2つを提案した。
1) タブレットのマスマーケットを当面諦める
2) 当面は携帯電話に注力する

今日は3つ目の提案であり、おそらく大本命となるであろう提案をさせていただく。これは単なる「Googleとその他大勢のAndroid陣営」ではなく、日本の家電メーカにとって良い案になると信じている。さらには私たち消費者もその恩恵を十分に受けられるものになるはずだ。ひょっとしたら日本の家電メーカは既に開発を始めているかもしれないが・・・

■起死回生策その3 ~家電統合リモコン端末をAndroidベースで作る~
もう結論を先に書いてしまった。イメージ的には下のような図のデバイスを作るべきだ。
Androidベース多機能リモコン

皆さんもテレビもビデオも証明もエアコンも電話(インタフォン含む)もFAXもオーディオコンポもお風呂も、全ての家電がスマートフォン並の操作性で一括して操作できるリモコン装置欲しくないですか?私は物凄く欲しい!!

だいたい家庭の中にはリモコンが溢れかえっていて、実にうっとうしい。
数あるリモコン
さらには、それらは大抵異なるデザインポリシーで、操作性に統一感は無いし、並んでいても美しくない。これらのリモコンが、たった1つのデバイスで、スマートフォンライクなGUIで操作できたら、さぞかし素晴らしくはないか?

技術的な実現性は、それほど難しくはないだろう。
全体の統一規格として遠隔操作のためのインタフェース(おそらく無線LAN)を定めたうえで、各家電デバイスが個別にそのデバイスを操作するための「Androidアプリ」を提供すればよい。

例えば「A社のエアコン機種Z」は、Android汎用リモコンと通信できるインタフェース(無線LAN)を装備するとともに、そのエアコン機種Zの機能をフルに活かした操作が可能な「機種Z用Androidアプリ」を提供する。そのアプリをインストールしたAndroid端末は、それだけでそのエアコン機種Zの機能をフル活用可能なリモコンになる。操作はハードボタンではなくてGUIでの操作ができて、もちろん取扱説明書代わりの「ヘルプ」機能も充実している。

これならパソコンもタブレットも必要としないような「その他大勢」の人たちに買ってもらえる。これこそiPadもパソコンも踏み入れていない全く新しい市場だ。

実は上に書いたような「機能」は、別にAndroidだけでなく、iPadでも可能だ。しかし、iPadはハードウェアの仕様があまりにも汎用的過ぎて、リモコンに特化した仕様にはなっていない。これこそ、ハードウェア自由度の高いAndroidの得意技だ。家電用汎用リモコンに特化したハードウェア仕様の製品を出せばよい。

Android汎用リモコンに求められるハードウェア仕様は下記の通り。
1) 外出先への持ち出しは不要なので、必要以上に薄くなくて良い。
   (iPadは薄すぎて使いにくい)
2) 交換可能かつ長持ちのバッテリー。必要以上の小型化の必要は無い。
3) 簡単に充電可能な「ドック」
   (iPadにはこれが無い)

国内の家電メーカさん、具体的にはPanasonicさん、日立さん、東芝さん、三菱電機さん、ソニーさん、アイデア料は別に要りません。是非こんなものを作ってください。加えて通信規格の策定で、是非日本メーカがイニシアチブを取ってください。


今日からBlogタイトル変更

<2012年4月8日追記>
実は当ブログは、過去に2度の「ブログ名変更」をしている。つまり、現在の「Living in the Flat World」と言うBlogタイトルは、”三代目”のブログ名称になる。

下記のエントリは、1回目のブログ名変更をしたときのもの。二代目のブログ名称は、「Lecture notes in Psychohistory」と言う難解で長ったらしいものだったが、個人の思い入れはそれなりに強いものだった。その思い入れについて語っているこのエントリは、今となってはマヌケな内容になってしまっているが、あえて記録として残しておこうと思う。

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ちょっとした大人の事情があって、本日からブログのタイトルを変更した。
新Blogタイトルは「Lecture notes in Psychohistory」!
ほとんどの人には意味不明のタイトルだと思うので(ある意味それを狙っている)、今日のエントリでは、このBlogタイトルの意味を説明しておきたい。

「Lecture notes in Psychohistory」は、日本語で書くと「心理歴史学の講義ノート」になる。
「心理歴史学」と言うのは、あるSF小説に出てくる架空の学問分野のことで、詳細は後述するが、数学的な計算によって「未来予測」をある程度の正確性をもってできるようにするものだ。

傲岸不遜も甚だしいことではあるが、このBlogでも心理歴史学のように何らかの未来予測ができれば良いな、との思いを込めたかったのが一つの理由。そして何より、この架空の学問が登場するSF小説「ファウンデーション」の一連のシリーズと、その作者であるアイザック・アシモフが大好きなので、それにあやかったタイトルを付けたかったのだ。

架空の学問「心理歴史学(Psychohistory)」が登場するのは、こちらの「ファウンデーション」と言う小説の中。
ファウンデーション
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【小説のあらすじ】
天才数学者のハリ・セルダンは、「個々の人間の行動を予測することは難しくても、十分な数の集団の行動であれば、かなりの正確性で予測できる」とする「心理歴史学」を確立した。その心理歴史学の計算によれば、現在隆盛を誇る銀河帝国は近いうちに崩壊し、それを止める手立てはもはや無い。崩壊の後には暗黒の時代となってしまうが、このまま何もしなければ3万年続く暗黒時代を、30分の1の期間の千年に短縮することなら、心理歴史学を駆使すればまだ可能だ。
その方法とは、帝国の中心から遠く離れた最辺境の惑星に科学者を集めて、「銀河大百科事典」を編纂するための財団(ファウンデーション)を設立することだった(!?)。当のファウンデーションは、隠された真のミッションを知ることもなく、百科事典を完成させるために、近隣の惑星や帝国本体との戦争の危機を何とか切り抜けていく。そして思わぬ成長を遂げていくことになる。


【山田の書評】
この小説は私の最も愛する小説で、何度も何度も読み返したが一向に飽きなくて、読むたびに新鮮な驚きを与えてくれる。上で説明した「心理歴史学」は、出版された1942年時点では単なる空想上の学問でしかなかったが、その「十分な数の集団であれば予測が立てられる」と言うコンセプトは、現代の様々な学問で使われていると言える。
「心理歴史学」を創作した、作者のアイザック・アシモフの未来予測能力には感服するばかりだが、この小説の最大の驚きは「巨大組織崩壊の被害を最小限にするために、遠く離れた所に新しい組織を作る」と言う戦略だろう。実はこれと同じ戦略が、1997年に出版された有名ビジネス書にも書かれている。
イノベーションのジレンマ
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この「イノベーションのジレンマ」では、現時点で素晴らしい技術を持った巨大企業も、「破壊的テクノロジー」の登場によって衰退・崩壊してしまうことが避けられれないことを示している。そしてその崩壊は、どんなに良い経営判断でも避けられないと言うのだ。(ケーススタディとして、かつてミニコンの世界で隆盛を誇っていたDEC(Digital Equipment)が、「パソコン」と言う破壊的テクノロジーの登場によって衰退・崩壊した実話を挙げている)
既存の巨大企業が破壊的テクノロジーに対処するための唯一の手段として、作者クレイトン・クリステンセンが紹介しているのが、実は50年以上前にアシモフが提唱したことと同じ「地理的に遠く離れた場所に新組織を作る」ことなのだ!

【閑話休題】
ホンダの二足歩行ロボットASIMOの名称は、公式には「Advanced Step in Innovative Mobility」の略だとされている。しかし、アイザック・アシモフの別の小説内で提唱された「ロボット工学三原則」へのオマージュとして、「ロボットASIMO」は「偉大な小説家アシモフ」を意識してつけられた名前であることは明らかだろう。
ロボットASIMO
  二足歩行ロボットAsimo

【ロボット工学三原則】
第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。


アシモフよ永遠なれ!
アイザック・アシモフ



AndroidタブレットがiPadに勝つためにすべきこと

一昨日昨日のエントリで、Androidタブレットをこき下ろすような書き方をしてしまったが、別に私はAppleが大好きなわけでも、Androidが嫌いなわけでもない。少なくとも今年(2011年)の春ぐらいまでは、Androidタブレットに大いに期待していたし、タブレット端末でのAppleの独占を、むしろ苦々しいくらいに思っていた。

そのためかAndroidタブレットに実際に触ってみたときの「がっかり感」は、より一層強いものになってしまったかもしれない。Androidタブレットに期待を裏切られた思いを胸に、ついに観念してiPadを購入したのは、2011年の5月末のこと。新しいもの好きの多いCitrixの同僚達は、2010年のiPadの売り上げ増に相当貢献していたが、そんな中での私のiPad購入は最も遅い部類だった。

Androidタブレットをユーザの立場で実際に触ってみての「がっかり感」もさることながら、マーケティング的な観点で見ても、Android陣営がやっていることはどこか間違っていると思えて仕方が無い。昨日のエントリで書いた「AndroidタブレットがiPadにどうしても勝てない3つの理由」以外にも、AndroidがiPadに勝てない理由を挙げることはできるのだが、そんな中で今日はあえて、Android陣営の立場に立って市場を奪回する起死回生策を考えてみたい。


■起死回生策その1 ~タブレットのマスマーケットを当面諦める~
Androidタブレット陣営が現在やっていることで、「最も間違っている」と思えるのが、「マスマーケット」でiPadと正面勝負を挑もうとしていることだ。

ここで言う「マスマーケット」とは、汎用的な「何でも出来ます」的な端末ととして購入してくれるユーザ層を表している。その具体例は、企業での利用もあれば、新しいもの好きの若者もいれば、お年寄りもいれば、小中学生もいれば、主婦層もいる。iPadの凄い所は、この種のマスマーケットを既に支配し始めていて、特にお年寄りや小中学生など、これまでパソコンさえも使っていなかった層の獲得にさえ成功しかけているところにある。

このようなマスマーケットの場合、既に市場を独占しかけている者(この場合はiPad。かつてはWindowsもそうだった)に、正面きって戦いを挑んでもほぼ勝ち目はない。独占している者には好循環(売れる→3rd Party製品の充実→さらに売れる→さらに3rd Party製品が充実・・・)が続き、少数派には悪循環(売れない→3rd Party製品の欠乏→売れない・・・)のみが待っている。挽回するためには(まさにWindowsに対してiPadがやったように)「全く別の市場」を作り、そこをターゲットにしないとダメなのだ。

では、マスマーケットでの正面衝突を避けるとしたらどうするか? 「ニッチ市場」しかない。この場合の「ニッチ市場」とは、例えば「小学校で使われる、小学生のためのIT入門端末」だとか、「宅配業者向けに特化した端末」のようなものだ。これらはあくまでの「例」でしかないが、もしもそこに導入されるとなると、これらだけでも非常に大きな市場であるし、これらの用途で採用されるか否かは、(良い意味でも悪い意味でも)通常の市場原則以外の力関係で決まることが多い。十分に逆転の可能性ありなのである。

学校 

■起死回生策その2 ~当面は携帯電話に注力する~
これまで特に明記してこなかったが、私の一連の「AndroidタブレットはiPadには勝てない」と言う説の対象には、携帯電話&スマートフォンは含まれていない。携帯電話&スマートフォンの世界なら、タブレット端末に比べるとAndroidがiPhoneを凌駕出来る可能性はぐんと高まる。

なぜなら、タブレット端末が「多数のユーザ&多数の3rd Partyベンダの意向」と言う「市場原理」に基づいた力学で動くことに対し、携帯電話の場合は「少数の巨大通信キャリア(携帯電話会社)の意向」と言う、市場原理にあまり関係しない力学で動くことが大いにあるからだ。全ての通信キャリアがAppleにソッポを向けば(まずありえないことではあるが)、いとも簡単にiPhoneは売れなくなってしまう。

実際は通信キャリアがAppleにソッポを向くことはほぼありえないだろう。ではAndroid陣営はどうすればよいか? 私が考えるに、今狙うべきは「スマートフォンを必要としない人々」だと思う。

タブレット端末の場合も、「タブレット端末なんて必要ない。使わない」と言う人々は相当数いる。この人たちは、どんなにタブレットが安く使いやすくなっても使わない人たちだが、その人たちが取る選択肢は、単純に「何も買わない」と言うものだ。そこに市場は存在しない。

同様に「スマートフォンなんて絶対いらない」と言う層は確実に存在する。しかしそのような人々のかなりの割合が「でも携帯電話は必要」であるはずだ。さらには「スマートフォンに興味はあるが、パケット定額が高すぎてスマートフォンに手が出せない。」と言う人々も相当数いる。

つまりは、既存のスマートフォンではカバーできない市場、しかもかなり巨大な市場が確実に存在しているのである。例えば日本の場合、この「スマートフォンいらないけど、携帯電話はいる」と言う人々の市場は、現状ではいわゆる「ガラパゴス携帯」に占領されている。これはAndroid陣営にとってはiPhoneよりも遥かに戦いやすい相手なのではないだろうか。

具体的には、ガラパゴス携帯とスマートフォンの中間的な存在のものを作ればよい。「中身はAndroidだが、インタフェースなどは実質ガラパゴス携帯」のようなものだ。特にスマートフォンで実質的に必要となる「パケット定額」の契約が無くても良いように、データ通信機能を無効にすることは重要だ。これだけで「パケット定額払いたくない」人々が飛びついてくれる。

このような形で「スマートフォンいらない」層に対し、実際に使わせながらスマートフォンへの抵抗を減らし、徐々に徐々に「いや実はスマートフォンも悪くないな」と思わせていけば、それだけでiPhoneが浸透していない市場をおさえることができる。このように特定の市場をおさえてしまえば、あとは待っているのは好循環だけだ。
携帯電話 
携帯電話の市場をおさえた後で、そのユーザを囲い込みながらタブレットに移行させていけばよい。

またまた長くなってしまったので、今日はここまで。
まだまだAndroidの起死回生策はある。


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2012年1月28日追記

その後Appleは、「学校教科書の電子化」と言う市場に、万全のビジネスモデルを用意した上で進出し、さらにAndroid陣営がAppleに追いつくことを困難にしてしまった。
それに対する山田の見解は、下記のエントリにて。



このBlogについて
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に勤務し、自社製品をこよなく愛する山田晃嗣のブログ。

このブログで表明されている見解は、私(山田晃嗣)個人のものであり、シトリックスによって承認されたものではありません。
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