Living in the Flat World

「世界はフラットになっている」と考えれば、世の中の変化も少し違った見方ができるはず!その考え方のもと、ITを中心に日常生活から世界のニュースまで幅広い題材を取り上げるブログ。

AndroidタブレットがiPadに勝つためにすべきこと<その3>

昨日のエントリで、Androidベースの家電統合リモコンの提案をしたところ、Facebookを通じて、早速いくつかのコメントをいただいた。

コメントによってはじめて知ったことは「タブレット/スマートフォンを使った家電リモコンは、すでに東芝が一部のオーディオビジュアル機器用にアプリをリリース済み。」だったと言うこと。
こちらが東芝の紹介ページ。
東芝RZタブラー

AV機器の操作だけではなく、録画したテレビ番組をタブレット上で見られたりと、相当に多機能になっている。なるほど、これで少なくとも技術的な実現性に関しては何の問題も無いことは確認できた。

もうひとつコメントとしていただいた意見は、「リモコンとして使うなら、リモコンとしてふさわしい形状が大事では?」と言うもの。この意見には私も大賛成。少なくとも、現在リリースされているタブレットやスマートフォンは、形状的にはリモコンとしてふさわしくないと思う。昨日のエントリでも書いたが、現状のタブレット/スマートフォンは「持ち歩き」を意識するがために、リモコンとしては扱いにくい。
テーブルなどに置いてあるリモコンを「さっと掴む」ための掴みどころが無いのはストレスを感じるだろう。

この形状の課題とも関連するが、上に紹介した東芝のリモコンアプリは「技術的実現性の確認」の確認にはなったものの、私が提案したリモコンのイメージとはほど遠い。理由は2つある。
理由1つ目。複数メーカ、複数ジャンルの製品の操作が一括で出来ないこと。
東芝のリモコンアプリは、あくまで「東芝のAV機器」がその中心にあり、タブレット/スマートフォンは、あくまでその1オプションに過ぎない。私が欲しいもの、そしてきっと市場も欲しがっているであろうものは、あくまで「1つのリモコンで複数メーカ、複数ジャンルの製品の操作が一括でできる」と言うこと。
そのためには、あくまで「統合リモコン」がすべての家電の中心にあるようにして欲しい。また、操作もあくまで「機械オンチ」な人でも簡単に扱えることを第一に考えるべき。東芝のリモコンアプリは、見るからにマニア向けになっている。液晶タッチパネルを使えば、物理ボタンのものよりも簡単操作に徹したGUIを設計しやすいと思うのだが。

理由2つ目。「リモコン専用デバイス」でないこと。
上にも書いたが、汎用的な利用を前提に設計されたタブレット/スマートフォンは、形状的にリモコンには適していない。では、どのような形状がリモコンとしてふさわしい形状なのか?
一般的な家電リモコンの多くは、こんな感じ。
普通のリモコン
ただ、この形状は「単一製品のリモコン」であることと「物理的な押しボタン」を前提としているために、タッチパネル操作には適していないと思う。

私のイメージにもっとも近い存在がこれ。
カラオケのリモコン
カラオケボックスに常備しているリモコンだが、これがもっともイメージが近い。ただちょっとばかり重過ぎるのが難点か。

液晶タッチパネルではないが、手で持たずに「机に置いて」使うことを前提としたリモコンは、ソニーが「おき楽リモコン」として既に商品化済み。
ソニー「おき楽リモコン」
通常のリモコンのように赤外線(光に近いので「向き」によっては操作できない)を使わずに、電波を使っているため、どんな向きでどんな場所に置いてあっても操作ができることがポイント。

次世代の任天堂Wiiも、リモコン(コントローラー)はタブレットに近いデザインになるらしい。
Wii U コントローラ

これらはいずれも、汎用のタブレット/スマートフォンとは異なるデザインになっているが、いずれも「リモコンにふさわしい形状」と言えるはず。これらの特徴をうまく組み合わせれば、良いものができるのではないだろうか。

さらにその後にWebで調べてわかった良いニュース。
Androidベースの家電統合リモコンを作るためには、てっきり「家電側の無線LAN対応が必須」だと思っていたのだが、Androidデバイスの中には(一般のリモコンと同じ)赤外線通信の機能を持ったものがあって、赤外線リモコンの「エミューレータ」として動作させることも可能らしい。こちらがその情報の出所。

これならもはや何の技術的な障害など無いではないか!

繰り返しになりますが、国内の家電メーカさん、具体的にはPanasonicさん、日立さん、東芝さん、三菱電機さん、ソニーさん、是非「Androidベースのリモコン専用機(リモコンとしてふさわしい形状のもの)」を作ってください。きっと売れるはずですし、将来の汎用Androidベースタブレット普及の足がかりにもなるはずです。


AndroidタブレットがiPadに勝つためにすべきこと<その2>

6日前のエントリ(AndroidタブレットがiPadに勝つためにすべきこと)で、Androidタブレットの起死回生策として、次の2つを提案した。
1) タブレットのマスマーケットを当面諦める
2) 当面は携帯電話に注力する

今日は3つ目の提案であり、おそらく大本命となるであろう提案をさせていただく。これは単なる「Googleとその他大勢のAndroid陣営」ではなく、日本の家電メーカにとって良い案になると信じている。さらには私たち消費者もその恩恵を十分に受けられるものになるはずだ。ひょっとしたら日本の家電メーカは既に開発を始めているかもしれないが・・・

■起死回生策その3 ~家電統合リモコン端末をAndroidベースで作る~
もう結論を先に書いてしまった。イメージ的には下のような図のデバイスを作るべきだ。
Androidベース多機能リモコン

皆さんもテレビもビデオも証明もエアコンも電話(インタフォン含む)もFAXもオーディオコンポもお風呂も、全ての家電がスマートフォン並の操作性で一括して操作できるリモコン装置欲しくないですか?私は物凄く欲しい!!

だいたい家庭の中にはリモコンが溢れかえっていて、実にうっとうしい。
数あるリモコン
さらには、それらは大抵異なるデザインポリシーで、操作性に統一感は無いし、並んでいても美しくない。これらのリモコンが、たった1つのデバイスで、スマートフォンライクなGUIで操作できたら、さぞかし素晴らしくはないか?

技術的な実現性は、それほど難しくはないだろう。
全体の統一規格として遠隔操作のためのインタフェース(おそらく無線LAN)を定めたうえで、各家電デバイスが個別にそのデバイスを操作するための「Androidアプリ」を提供すればよい。

例えば「A社のエアコン機種Z」は、Android汎用リモコンと通信できるインタフェース(無線LAN)を装備するとともに、そのエアコン機種Zの機能をフルに活かした操作が可能な「機種Z用Androidアプリ」を提供する。そのアプリをインストールしたAndroid端末は、それだけでそのエアコン機種Zの機能をフル活用可能なリモコンになる。操作はハードボタンではなくてGUIでの操作ができて、もちろん取扱説明書代わりの「ヘルプ」機能も充実している。

これならパソコンもタブレットも必要としないような「その他大勢」の人たちに買ってもらえる。これこそiPadもパソコンも踏み入れていない全く新しい市場だ。

実は上に書いたような「機能」は、別にAndroidだけでなく、iPadでも可能だ。しかし、iPadはハードウェアの仕様があまりにも汎用的過ぎて、リモコンに特化した仕様にはなっていない。これこそ、ハードウェア自由度の高いAndroidの得意技だ。家電用汎用リモコンに特化したハードウェア仕様の製品を出せばよい。

Android汎用リモコンに求められるハードウェア仕様は下記の通り。
1) 外出先への持ち出しは不要なので、必要以上に薄くなくて良い。
   (iPadは薄すぎて使いにくい)
2) 交換可能かつ長持ちのバッテリー。必要以上の小型化の必要は無い。
3) 簡単に充電可能な「ドック」
   (iPadにはこれが無い)

国内の家電メーカさん、具体的にはPanasonicさん、日立さん、東芝さん、三菱電機さん、ソニーさん、アイデア料は別に要りません。是非こんなものを作ってください。加えて通信規格の策定で、是非日本メーカがイニシアチブを取ってください。


今日からBlogタイトル変更

<2012年4月8日追記>
実は当ブログは、過去に2度の「ブログ名変更」をしている。つまり、現在の「Living in the Flat World」と言うBlogタイトルは、”三代目”のブログ名称になる。

下記のエントリは、1回目のブログ名変更をしたときのもの。二代目のブログ名称は、「Lecture notes in Psychohistory」と言う難解で長ったらしいものだったが、個人の思い入れはそれなりに強いものだった。その思い入れについて語っているこのエントリは、今となってはマヌケな内容になってしまっているが、あえて記録として残しておこうと思う。

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ちょっとした大人の事情があって、本日からブログのタイトルを変更した。
新Blogタイトルは「Lecture notes in Psychohistory」!
ほとんどの人には意味不明のタイトルだと思うので(ある意味それを狙っている)、今日のエントリでは、このBlogタイトルの意味を説明しておきたい。

「Lecture notes in Psychohistory」は、日本語で書くと「心理歴史学の講義ノート」になる。
「心理歴史学」と言うのは、あるSF小説に出てくる架空の学問分野のことで、詳細は後述するが、数学的な計算によって「未来予測」をある程度の正確性をもってできるようにするものだ。

傲岸不遜も甚だしいことではあるが、このBlogでも心理歴史学のように何らかの未来予測ができれば良いな、との思いを込めたかったのが一つの理由。そして何より、この架空の学問が登場するSF小説「ファウンデーション」の一連のシリーズと、その作者であるアイザック・アシモフが大好きなので、それにあやかったタイトルを付けたかったのだ。

架空の学問「心理歴史学(Psychohistory)」が登場するのは、こちらの「ファウンデーション」と言う小説の中。
ファウンデーション
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【小説のあらすじ】
天才数学者のハリ・セルダンは、「個々の人間の行動を予測することは難しくても、十分な数の集団の行動であれば、かなりの正確性で予測できる」とする「心理歴史学」を確立した。その心理歴史学の計算によれば、現在隆盛を誇る銀河帝国は近いうちに崩壊し、それを止める手立てはもはや無い。崩壊の後には暗黒の時代となってしまうが、このまま何もしなければ3万年続く暗黒時代を、30分の1の期間の千年に短縮することなら、心理歴史学を駆使すればまだ可能だ。
その方法とは、帝国の中心から遠く離れた最辺境の惑星に科学者を集めて、「銀河大百科事典」を編纂するための財団(ファウンデーション)を設立することだった(!?)。当のファウンデーションは、隠された真のミッションを知ることもなく、百科事典を完成させるために、近隣の惑星や帝国本体との戦争の危機を何とか切り抜けていく。そして思わぬ成長を遂げていくことになる。


【山田の書評】
この小説は私の最も愛する小説で、何度も何度も読み返したが一向に飽きなくて、読むたびに新鮮な驚きを与えてくれる。上で説明した「心理歴史学」は、出版された1942年時点では単なる空想上の学問でしかなかったが、その「十分な数の集団であれば予測が立てられる」と言うコンセプトは、現代の様々な学問で使われていると言える。
「心理歴史学」を創作した、作者のアイザック・アシモフの未来予測能力には感服するばかりだが、この小説の最大の驚きは「巨大組織崩壊の被害を最小限にするために、遠く離れた所に新しい組織を作る」と言う戦略だろう。実はこれと同じ戦略が、1997年に出版された有名ビジネス書にも書かれている。
イノベーションのジレンマ
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この「イノベーションのジレンマ」では、現時点で素晴らしい技術を持った巨大企業も、「破壊的テクノロジー」の登場によって衰退・崩壊してしまうことが避けられれないことを示している。そしてその崩壊は、どんなに良い経営判断でも避けられないと言うのだ。(ケーススタディとして、かつてミニコンの世界で隆盛を誇っていたDEC(Digital Equipment)が、「パソコン」と言う破壊的テクノロジーの登場によって衰退・崩壊した実話を挙げている)
既存の巨大企業が破壊的テクノロジーに対処するための唯一の手段として、作者クレイトン・クリステンセンが紹介しているのが、実は50年以上前にアシモフが提唱したことと同じ「地理的に遠く離れた場所に新組織を作る」ことなのだ!

【閑話休題】
ホンダの二足歩行ロボットASIMOの名称は、公式には「Advanced Step in Innovative Mobility」の略だとされている。しかし、アイザック・アシモフの別の小説内で提唱された「ロボット工学三原則」へのオマージュとして、「ロボットASIMO」は「偉大な小説家アシモフ」を意識してつけられた名前であることは明らかだろう。
ロボットASIMO
  二足歩行ロボットAsimo

【ロボット工学三原則】
第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。


アシモフよ永遠なれ!
アイザック・アシモフ



AndroidタブレットがiPadに勝つためにすべきこと

一昨日昨日のエントリで、Androidタブレットをこき下ろすような書き方をしてしまったが、別に私はAppleが大好きなわけでも、Androidが嫌いなわけでもない。少なくとも今年(2011年)の春ぐらいまでは、Androidタブレットに大いに期待していたし、タブレット端末でのAppleの独占を、むしろ苦々しいくらいに思っていた。

そのためかAndroidタブレットに実際に触ってみたときの「がっかり感」は、より一層強いものになってしまったかもしれない。Androidタブレットに期待を裏切られた思いを胸に、ついに観念してiPadを購入したのは、2011年の5月末のこと。新しいもの好きの多いCitrixの同僚達は、2010年のiPadの売り上げ増に相当貢献していたが、そんな中での私のiPad購入は最も遅い部類だった。

Androidタブレットをユーザの立場で実際に触ってみての「がっかり感」もさることながら、マーケティング的な観点で見ても、Android陣営がやっていることはどこか間違っていると思えて仕方が無い。昨日のエントリで書いた「AndroidタブレットがiPadにどうしても勝てない3つの理由」以外にも、AndroidがiPadに勝てない理由を挙げることはできるのだが、そんな中で今日はあえて、Android陣営の立場に立って市場を奪回する起死回生策を考えてみたい。


■起死回生策その1 ~タブレットのマスマーケットを当面諦める~
Androidタブレット陣営が現在やっていることで、「最も間違っている」と思えるのが、「マスマーケット」でiPadと正面勝負を挑もうとしていることだ。

ここで言う「マスマーケット」とは、汎用的な「何でも出来ます」的な端末ととして購入してくれるユーザ層を表している。その具体例は、企業での利用もあれば、新しいもの好きの若者もいれば、お年寄りもいれば、小中学生もいれば、主婦層もいる。iPadの凄い所は、この種のマスマーケットを既に支配し始めていて、特にお年寄りや小中学生など、これまでパソコンさえも使っていなかった層の獲得にさえ成功しかけているところにある。

このようなマスマーケットの場合、既に市場を独占しかけている者(この場合はiPad。かつてはWindowsもそうだった)に、正面きって戦いを挑んでもほぼ勝ち目はない。独占している者には好循環(売れる→3rd Party製品の充実→さらに売れる→さらに3rd Party製品が充実・・・)が続き、少数派には悪循環(売れない→3rd Party製品の欠乏→売れない・・・)のみが待っている。挽回するためには(まさにWindowsに対してiPadがやったように)「全く別の市場」を作り、そこをターゲットにしないとダメなのだ。

では、マスマーケットでの正面衝突を避けるとしたらどうするか? 「ニッチ市場」しかない。この場合の「ニッチ市場」とは、例えば「小学校で使われる、小学生のためのIT入門端末」だとか、「宅配業者向けに特化した端末」のようなものだ。これらはあくまでの「例」でしかないが、もしもそこに導入されるとなると、これらだけでも非常に大きな市場であるし、これらの用途で採用されるか否かは、(良い意味でも悪い意味でも)通常の市場原則以外の力関係で決まることが多い。十分に逆転の可能性ありなのである。

学校 

■起死回生策その2 ~当面は携帯電話に注力する~
これまで特に明記してこなかったが、私の一連の「AndroidタブレットはiPadには勝てない」と言う説の対象には、携帯電話&スマートフォンは含まれていない。携帯電話&スマートフォンの世界なら、タブレット端末に比べるとAndroidがiPhoneを凌駕出来る可能性はぐんと高まる。

なぜなら、タブレット端末が「多数のユーザ&多数の3rd Partyベンダの意向」と言う「市場原理」に基づいた力学で動くことに対し、携帯電話の場合は「少数の巨大通信キャリア(携帯電話会社)の意向」と言う、市場原理にあまり関係しない力学で動くことが大いにあるからだ。全ての通信キャリアがAppleにソッポを向けば(まずありえないことではあるが)、いとも簡単にiPhoneは売れなくなってしまう。

実際は通信キャリアがAppleにソッポを向くことはほぼありえないだろう。ではAndroid陣営はどうすればよいか? 私が考えるに、今狙うべきは「スマートフォンを必要としない人々」だと思う。

タブレット端末の場合も、「タブレット端末なんて必要ない。使わない」と言う人々は相当数いる。この人たちは、どんなにタブレットが安く使いやすくなっても使わない人たちだが、その人たちが取る選択肢は、単純に「何も買わない」と言うものだ。そこに市場は存在しない。

同様に「スマートフォンなんて絶対いらない」と言う層は確実に存在する。しかしそのような人々のかなりの割合が「でも携帯電話は必要」であるはずだ。さらには「スマートフォンに興味はあるが、パケット定額が高すぎてスマートフォンに手が出せない。」と言う人々も相当数いる。

つまりは、既存のスマートフォンではカバーできない市場、しかもかなり巨大な市場が確実に存在しているのである。例えば日本の場合、この「スマートフォンいらないけど、携帯電話はいる」と言う人々の市場は、現状ではいわゆる「ガラパゴス携帯」に占領されている。これはAndroid陣営にとってはiPhoneよりも遥かに戦いやすい相手なのではないだろうか。

具体的には、ガラパゴス携帯とスマートフォンの中間的な存在のものを作ればよい。「中身はAndroidだが、インタフェースなどは実質ガラパゴス携帯」のようなものだ。特にスマートフォンで実質的に必要となる「パケット定額」の契約が無くても良いように、データ通信機能を無効にすることは重要だ。これだけで「パケット定額払いたくない」人々が飛びついてくれる。

このような形で「スマートフォンいらない」層に対し、実際に使わせながらスマートフォンへの抵抗を減らし、徐々に徐々に「いや実はスマートフォンも悪くないな」と思わせていけば、それだけでiPhoneが浸透していない市場をおさえることができる。このように特定の市場をおさえてしまえば、あとは待っているのは好循環だけだ。
携帯電話 
携帯電話の市場をおさえた後で、そのユーザを囲い込みながらタブレットに移行させていけばよい。

またまた長くなってしまったので、今日はここまで。
まだまだAndroidの起死回生策はある。


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2012年1月28日追記

その後Appleは、「学校教科書の電子化」と言う市場に、万全のビジネスモデルを用意した上で進出し、さらにAndroid陣営がAppleに追いつくことを困難にしてしまった。
それに対する山田の見解は、下記のエントリにて。



AndroidタブレットがiPadにどうしても勝てない3つの理由

昨日のエントリ(AndroidタブレットはiPadを凌駕するか?)では、Androidタブレットが市場シェアにおいてiPadを凌駕することは相当に難しいであろうと予測した。その理由として、Androidタブレットの売りであるところの「オープン性」は、巷で信じられているほど武器にはならないことを挙げた。今日のエントリでは、さらに詳細な理由に踏み込んでみたい。

なお、私がこれから述べる意見と、ほぼ正反対の意見(『iPad』がAndroidに敗れ去る5つの理由)をWebで見つけたので、今日のエントリでは、その記事への反論も意識して書いている。



まずAndroidタブレット苦戦の理由を述べる前に、「オープンであることの良さ」を改めて復習したい。具体例としてかつての「WindowsとMac OSのシェア争い」のケーススタディで考える。

●オープンの良さ(その1) ~デバイス価格の下落~
Mac OSは、Macintoshハードしか選択肢が無いが、Windowsはハードウェアに対してオープンであり、デバイスメーカー間の競争によってハードウェアコストが下落した。
トータルコストでMacintoshよりもWindows PCが安くなり、それがWindowsの市場競争力の強化となった。

●オープンの良さ(その2) ~サードパーティ製品の充実~
Mac OSに比べオープンなWindowsのほうが、サードパーティベンダが参入しやすくなり、サードパーティ製品(特にアプリケーション)が質・量とも充実した。それら質・量豊富なサードパーティ製品を含めたトータルソリューションとして、Windowsの競争力が増した。

●オープンの良さ(その3) ~ユーザの操作の容易さ~
ハードウェアに対してオープンなWindowsは、どのハードウェアメーカのPCでも共通の操作を提供できる。IBMだろうが富士通だろうがNECだろうがDellだろうが、全て共通の操作であり、特にPCに詳しくないユーザが「誰かに助けを得る」ことを容易にする。

さて、上記のようなかつてWindowsの競争力を高めた「オープン性」は、Androidタブレットも享受できるだろうか?結論は「否」である。

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さてここからが本題。
下記が「AndroidタブレットがiPadにどうしても勝てない3つの理由」

■理由1 Androidタブレットの価格競争力優位は非常に限定的
確かに一部のAndroidタブレットは非常に安い。約5万円のiPad(しかも値引きはほぼ無し)に比べ、半分以下の価格で売られているものも多い。

それでは、あるAndroidタブレットが仮に2万円だとして、「2万円 vs. 5万円」の戦いは、圧倒的に2万円が有利だろうか?
もちろん機能・性能・品質が同じであれば有利であるが、「20万円 vs. 50万円」(かつてのWindows と Mac の差は、本当にこれくらいだった)の差よりは遥かに優位性は薄れる。
(そしてもちろんAndroidタブレットとiPadの機能・性能・品質は同じではない)

さらには、iPadと同じようなタブレットを2万円で売っているメーカは、決してコスト的に余裕を持って2万円で売っているわけではない。ハードウェアの製造コストは、「同じ仕様の部品を、どれだけ大量に生産できるか?」で決まる。その点では、既に市場である程度のシェアを占めているiPadは大いに有利だ。また、Appleはハードウェアの製造コストが多少赤字でも、別の手段でコストを回収できる方法(iTunesストア)を確立している。
Appleは、iPadの販売価格を下げようと思えば、いつでも下げることができるのだ。現時点でのAndroid陣営の価格優位は、Androidタブレットのメーカが無理をしているか買い叩かれているだけであり、コスト構造的に優位とはいえない。


■理由2 サードパーティ製品の質・量でのiPad優位は当面揺らがない
上で「オープンの良さの一つは、サードパーティ製品の充実」と書いたが、実はわざと正確でない書き方をした。真実としては、オープン性はサードパーティ製品充実のための「ひとつの理由」にはなるかもしれないが、「決定的な理由」にはならない。

サードパーティベンダーにとって、プラットフォームが「オープンか、閉鎖的か?」は、実は大して重要ではないことだ。もっとも重要なのは「市場で優位か、優位でないか?」なのだ。つまり、サードパーティ製品のベンダーは、「自社の製品がより多く売れるプラットフォーム」を選ぶと言う、ある意味当たり前のことをしているに過ぎない。かつては、MacよりもWindowsのほうが市場優位だったのでサードパーティ製品が充実し、それにともなってさらに市場優位になる・・の好循環の繰り返しが起きた。いわゆる「デファクトか否か」が重要なのだ。「オープンか否か」は重要ではない。

翻ってAndroidタブレットとiPadの比較。iPod/iPhone時代からの蓄積によるサードパーティ資産によって、既にiPadのサードパーティ製品は圧倒的な質・量両面での充実度を誇っている。さらには現時点での圧倒的市場優位も出来上がっている。後は好循環が繰り返されていくだろう。

純粋に技術的な観点でも、AndroidよりもiPadのほうがアプリケーションは作りやすい。Appleは、十分なドキュメントとツールを提供しているし、Androidのハードウェアの統一性の無さが、アプリの作成をさらに難しいものにしている。例えばディスプレイサイズひとつ取っても、様々なバリエーションのあるAndroidでは、それら全てを考慮しなければいけない分、アプリ作成・テストのコストもかさんでしまう。iPadなら、ディスプレイサイズもハードウェアの仕様も統一されている分、作成・テストの手間が省かれる。
もっと細かい話をすると、「基本的に最新のiOSに対応していれば、それで良し」のiPadアプリに対し、Androidアプリの場合は相当に仕様の異なる複数のバージョンに対応しなければいけない。これもアプリベンダにとっては、大きな負担となる。


■理由3 Androidタブレットは、メーカ間・機種間の操作性に統一感が無い
現状でAndroidのGUIの品質全般は、iPadに比べると「まだまだ」であることに反論を唱える人はいないだろう。もちろん、この「まだまだ」は、時間が経てば追いつき追い越す可能性は大いに含んでいる。

しかしそれでも、iPadの優位は動かない。なぜなら、AndroidタブレットのGUIの向上が、本家本元Googleだけでなく各デバイスメーカが独自に取り組んでいるため、メーカや機種が変わると、操作方法も大きく変わってしまうためだ。初心者ユーザにとっては、この「操作方法が機種ごとにバラバラ」は、大きな大きな障壁になる。

既にお年寄りや小さな子供と言った、これまでPCにさえ触れなかった「全く新しい市場」を開拓し始めたiPadに比べると、Androidタブレット陣営はそのような市場とかけ離れていく一方となっている。各デバイスメーカがGUIの向上に努力すればするほど、統一性が薄れ、かえって使いにくくなってしまうのだ。

ここまで読んでいただいたうえで、「いやそんなことはない。Androidタブレットは早々にiPadを凌駕する」と考えている人は、是非反論をいただきたい。

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2012年1月28日追記

その後Appleは、「学校教科書の電子化」と言う市場に、万全のビジネスモデルを用意した上で進出し、さらにAndroid陣営がAppleに追いつくことを困難にしてしまった。
それに対する山田の見解は、下記のエントリにて。




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